1981年11月にロスアンジェルス・フィルを振ってのチャイコフスキーの6番。聴く前には「悲愴」ゆえに、ジュリーニ得意の濃厚なカンタービレがどう響くのかなといった関心だった。
余談だが、高校生のときにカラヤン/ベルリン・フィルの豪華なチャイコフスキー選集がでて、小遣いをためて購入した。これこそ「悲愴」はその言葉どおりに嫋々と切なく鳴っていると感じ入った。
しかし、ジュリーニのこの演奏はそれとは全く異なる。第一楽章冒頭の暗い出だしは幾分パセティックな予感を感じさせるけれど、それ以降はあらゆるメロディとリズムを「明瞭」かつ「流麗」に再現することを最大の目標にしているように、実にクリアーな音響が充ち満ちている。曖昧さも余分な感傷もないような演奏である。第三楽章のアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェなどは小気味よき切れ味で、むしろ気分がスッキリするくらい。第四楽章もメロディは見事に美しく響くが、テンポは軽妙な裁きで、けっして過度に感傷的にはならない。
生前作曲家は、「標題は『なぞ』として残されるべきだ。各自の推測にまかせる・・」と言ったそうだが、ジュリーニの演奏を聴くとチャイコフスキーの最後のシンフォニーの終楽章を格調たかく奏でることに全霊を傾けているように感じる。しかしそれが「悲愴」的かどうかはリスナーの感じ方次第とでも言わんばかりである。良き演奏である。