金曜日, 11月 30, 2007

トスカニーニ ベートーヴェン 交響曲第9番

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op.125『合唱』 
■アイリ-ン・ファーレル(ソプラノ) ナン・メリマン(メゾ・ソプラノ) ジャン・ピアース(テノール) ノーマン・スコット(バス) ロバート・ショウ合唱団(合唱指揮:ロバート・ショウ) 
NBC交響楽団 アルトゥーロ・トスカニーニ(指揮) 
■録音時期:1952年3月31日、4月1日(モノラル) 
■録音場所:ニューヨーク、カーネギー・ホール オリジナル・プロデューサー:リチャード・モア オリジナル・レコーディング・エンジニア:ルイス・レイトン / MONO

 フルトヴェングラーのバイロイト盤と双璧をなす最高峰の演奏。演奏時間はフルトヴェングラー盤(約74分)より10分も短く、とにかく速くそして切れ味が鋭い。これよりも速い第9は大所ではミュンシュ(約61分)くらいではないか。  

音にさまざまな「想念」が付着し思索的で粘着度の強いフルトヴェングラー盤に対して、こちらは明燦でかつ「からり」と乾いた感じの音楽であり、純粋な音響美を彫刻していく印象である。しかし、その集中度、燃焼度は凄まじくリスナーは音の強靱無比な「構築力」に次第に圧倒されていく。そこからは「第9とはこういう曲だったのか」という新鮮な発見がある。どの音楽も最高に聴かせるトスカニーニ流とは、スコアから独自の音を紡ぎ出す専門的な技倆と言ってもいいかも知れない。なればこそ、高度な音楽技能者として、その後の指揮者に与えた影響は絶大だったのだろう。

 第4楽章を聴いていて、ベートーヴェンが管弦楽法の究極を追求するために、「楽器としての人声」を独唱と合唱をもって置いたのではないかという仮説をトスカニーニ盤ほど実感させてくれるものはないだろう。第3楽章までの完成されたポリフォニーでリスナーは十分に管弦楽曲の粋を聴き取り、それが第4楽章ではじめて肉声と融合しさらに一段の高みに到達する瞬間に遭遇する。しかもそれは宗教曲の纏のもとではなく世俗的な詩を語ることによって表現される。そうしたアプローチは、ドイツ精神主義とは対極のものかもしれない。しかし、そこには作曲家のひとつの明確な意図が伏在していると感ぜずにはおかない強い説得力がある。トスカニーニ盤は、その意味でも普遍性を意識させるし今日的な輝きをけっして喪っていないと思う。