水曜日, 12月 23, 2009

クリスマス・イブ

 もう数十分するとクリスマス・イブである。子どもの頃は言いしれぬわくわく感があったが、いまは年の瀬近しの忙しなさが先にたつ。ドイツ滞在中は、フランクフルトやバチカンでその雰囲気を満喫したが、これはやはり本場欧州のもので、日本のクリスマス・イブは良い意味でも、そうでない見方でも「商業的」だなというのは否めない。でも小理屈なく、子ども連れが楽しめれば、それはそれで結構。こちらも笑顔のお裾分けで満足しようか。

 それとは別に、この時期、クリスマス音楽が、TVで、また街中に流れるが、思わず耳を傾けるような、実にうっとりするメロディも多い。ひそやかな楽しみである。

水曜日, 12月 02, 2009

ブルックナー vs シューリヒト

 日本には根強いシューリヒト・ファンが多い。自分もその末席に座しているなと思うこともある。いま、もう何度もお世話になっているブルックナーの9番を聴いている。
 なんとも精妙な音づくりに、これぞシューリヒトならではと膝を打つ一方、一種の「軽みの美学」は、待てよ、これってクナッパーツブッシュ的じゃないか?と感じることもある。あるいは両巨頭に<共通した部分>があるというべきか。後期3曲、7,8,9番は、両巨頭とも双璧の拮抗をみせる世紀の名演を残してくれている。どちらが上かはナンセンスな質問であり、リスナーの好みの問題といえるだろう。

 軽快なテンポで、音楽を重くせず、オーケストラの溜まっていくエネルギーを、ヒラリ、ハラリといなしていくような独特のやり口にそうしたことを思う次第だが、その反面、クナッパーツブッシュは時に大爆撃のようなこともやってみせるが、シューリヒトの演奏は最強音でも独特の品の良い美しさを失わず常軌を逸することがない。
 「1958年公演直後のウィーン・フィル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトとのヨーロッパ演奏旅行の楽団員用スケジュール小冊子」なるものがあるという(※1)。この2人の関係が気になる。
 シューリヒトは典型的な大器晩成型で、晩年になってから大舞台で活躍したので、クナッパーツブッシュの方が直観的にははるか年上に思えるが、実は、シューリヒトはクナッパーツブッシュよりも8才年長であり、しかも2年近く長生きしていることに驚く。

◆カール・アドルフ・シューリヒト(Carl Schuricht, 1880年7月3日 - 1967年1月7日
◆ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888年3月12日 - 1965年10月25日

 ウイーン・フィルとの関係では、シューリヒトは、その活動の最盛期が、クナッパーツブッシュより後になるので、この「ヒラリ、ハラリの技法」は、もしかするとクナッパーツブッシュ流のウイーン・フィル操舵術を、シューリヒトが、その実、よく心得ていたからかもしれないなと勝手に思ってみたりする。
 ちなみに、この2人は、「難物中の難物」ウイーン・フィルのメンバーが心から敬したという数少ない生粋のドイツの指揮者でもあった(※2)。

(参考)『ウィキペディア(Wikipedia)』 から抜粋
 シューリヒトの演奏スタイルは、基本的にテンポが非常に速く、リズムは鋭く冴えており、響きは生命力に満ち、かつ透明度の高いものであった。彼の楽譜の読みはどの指揮者よりも個性的で、ある時はザッハリヒに厳しく響かせたり、ある時はテンポを動かしながらロマンティックに歌わせるなど、決して一筋縄ではいかない意外性があったが、音楽全体は確信と明晰さにあふれていた。また、同じ曲でも決して毎回同じようには指揮せず、演奏するたびに新鮮な感動と発見を聴き手に与えるのであった。EMIDecca、コンサートホール協会盤など多数のスタジオ録音が残されているが、放送用録音の発掘も現在盛んに行われている。
シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た人であり、特に晩年はリューマチの悪化により杖をつきながらかなり長い時間をかけて指揮台に登場するのであった。しかしひとたび指揮台に上がると、年齢を全く感じさせない輝かしい生命力が彼の指揮姿からもその音楽からも湧き出て、聴く者に(そしてオーケストラの楽員にも)大きな感銘を与えたのである。能力のない指揮者に対しては口が悪いウィーン・フィルの楽団員に対しても、毅然とした態度で臨んだ。たとえば、1955年3月の初めての顔合わせのとき、だらけたウイーンフィルの演奏態度に腹を立てたシューリヒトは、ブルックナーの第4番を熱血あふれる指揮ぶりでひっぱり、見事にオーケストラを立ち直らせた。こうしたことがあって口さがないウイーンフィルの楽団員もシューリヒトには一目置いて、「偉大な老紳士」と称して特別に敬愛していたという。
1965年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮したのが最後の演奏会となり、1967年1月7日に、スイスで亡くなった。86歳没。

※1:http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%80%81%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%E3%80%81R-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%80%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC-BOX-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9/dp/B001KNVI84

※2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88