Emil Gilels Plays Concertos & Sonatas
http://www.amazon.co.jp/dp/B008CG1HRO/ref=pdp_new_dp_review
1972年4月22日、東京文化会館でエミール・ギレリスによるリストのピアノ・ソナタ ロ短調を聴いた。すでに「幻のピアニスト」リヒテルの初来日後であり、ソビエト出身のスーパースターのなかで、やや存在感のうすくなった感もあったが、その演奏は格段にすばらしく、リヒテルの「笑わん殿下」とは違った、いかにも誠実で気さくな人柄を感じさせるステージ・マナーも聴衆を魅了した。
その後、ヨッフム/ベルリン・フィルとのブラームス:ピアノ協奏曲第1&2番他 に接した。これはいまも小生のベスト盤だが、硬質な叙情性はクリスタル硝子の輝きに譬えたい気がする。一方、時にボヘミアングラスのような温かみ、素朴さも随伴していることこそ、ギレリスの懐の深さの表出と思う(例えば、グリーグ:叙情小曲集)。確かな技量のもと、その音楽性はすぐれて内面的であり豊かである。
本セットは格安ながら、ギレリスの魅力を十分味わうことができる。上記のリストやブラームスに加えて、バッハやシューベルトでも深き解釈には得がたい説得力がある。
(収録情報)
【協奏曲】
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
(1)ライナー/シカゴ響(1955年10月29日)
(2)メータ/ニューヨーク・フィル(1979年11月14日、ライヴ)
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、ライナー/シカゴ響(1958年2月8日)
ショパン:ピアノ協奏曲第1番、オーマンディ/フィラデルフィア管(1964年12月31日)
【ソナタ】
J.S.バッハ:フランス組曲第5番(1960年2月25日)
同:前奏曲ロ短調(ジロティ編曲)(1979年11月14日、ライヴ)
シューベルト:ピアノ・ソナタ第17番(1960年1月16~22日)
リスト:ピアノ・ソナタ
ロ短調(1964年12月~1965年1月)
ショスタコーヴィチ:ピアノ・ソナタ第2番(1964年1月8日)
ギレリスは冷戦時代、鋼鉄のピアニストという異名をもって西側に登場した。分厚い胸板、がっしりとした骨格で、ピアノの前に一個の巌を置いたような外観も、そのイメージを倍加していたかも知れない。しかし一方、豊かな髪を額にかけて弾く双眸には優しさや哀歓を湛えており、繊細なタッチや弱音部の際立った美しさもひとしおで、そのギャップも魅力であった。グリーグには、後者のギレリスの精華を感じる。
グリーグのピアノ・ソナタは、演奏家の表現力によって大きな差がでると言われる。難技巧的な曲、非常に速いパッセージ処理を要する曲などであれば、その山場が格好の聴かせどころとなるが、抒情小曲集は、北欧の野草の花束の如く単純で素朴な旋律の曲が多く、強烈な打鍵や劇的な演出は不要である。
ギレリス盤には、グリーグの喜怒哀楽の心象に同化し、感情の起伏に寄り添う独特の風情があり、アリエッタ、蝶々、おばあさんのメヌエット、余韻へとほのぼのとした感動が持続する。ギレリスの代表盤であるとともに、いまだ本曲のベスト盤であると思う。
Schubert: Piano Sonata in D D 850 Op. 53/Liszt: Pi
Emil Gilels - Virtuose mit Noblesse
Schubert: Piano Sonata in D D 850 Op. 53/Liszt: Pi
シューベルトのソナタは、温かみのある親しみやすいメロディが盛られている一方で、長く単調な音階がつづき、全曲を集中して聴くには忍耐が必要なこともある。本曲も「大曲」といわれるが、演奏時間は一般に35~40分を要する「長曲」と言うべきであり、凡庸な演奏では退屈を余儀なくされる。
ギレリスは、シューベルトの心の深奥に想像力は馳せ、内面から沸きあたるような喜びや哀歓、溌剌さを一貫して伸び伸びと表現している。初歩の教則本のような技術的には一見易しいパッセージにこそ、集中力を殺がせる陥穽が潜んでいることを十分に意識して、全曲を瑞々しくも生気あるものとしている。
鋼鉄のピアニストの片鱗はどこにも見せず、内攻し音楽的に深い解釈を示す。そこから紡ぎだされるメロディは素朴で美しく飽きさせない。なお、本曲は村上春樹『海辺のカフカ』でも言及され、彼の好きな曲としても知られる。
ギレリス(1916~85年)は惜しまれて古希を前に昇天した。本集は50年代の演奏が中心で、彼が30後半~40歳台前半の記録。いかに若くして嘱望され、晩年にいたるまで安定して活躍したかがわかる。
当時のソ連政府の方針で、早くから西側で名を知られ、ゆえに、ライナー/シカゴ響やクリュイタンス/パリ管の優れた協奏曲音源も幸い残された。しかし、本集では全般にはロシアものの作品やソヴィエトの演奏家との共演が多い。
ギレリスの魅力に接するのであれば、本集以前に Emil Gilels Plays Concertos & Sonatas
がお勧めだが、それで気に入ったら古き音源として本集へ遡及し、若きギレリスの勇姿に触れるのも一興。収録にダブりが少なく幅広いギレリスの音楽領域に接することができる。
(収録情報)
【協奏曲】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第1番(1957年)、第4番(1958年)
ザンデルリンク/レニングラード・フィル
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番(1955年)ライナー/シカゴ響
サン=サーンス:ピアノ協奏曲 第2番( 1954年)
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第3番(1955年)
クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団
カバレフスキー:ピアノ協奏曲 第3番(1954年)
ディミトリ・カバレフスキー指揮、ソヴィエト国立放送響
【ソナタ】
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第16番
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番「熱情」(1951年)
ショパン:ピアノ・ソナタ 第2番(1954年)
ドビュッシー:12の練習曲より「組み合わされたアルペジオのための」(1954年)
ラフマニノフ:絵画的練習曲 変ホ短調、楽興の時 変ニ長調 Op.16-5(1951年)
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガより 第1番、第5番、第24番(1954年、1955年)
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第2番(1951年)
バラキレフ:イスラメイ(1951年)
【室内楽曲】
ハイドン:ピアノ三重奏曲 ト短調 Hob.XV:19(1950年)
ハイドン:ピアノ三重奏曲 ニ長調 Hob.XV:16(1953年)
モーツァルト:ピアノ三重奏曲 第7番((1953年)
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番(1956年)、第9番(1950年)
シューマン:ピアノ三重奏曲 第1番(1958年)
フォーレ:ピアノ四重奏曲 第1番(1958年)※
コーガン(Vn)、ロストロポーヴィチ(VC)、※ルドルフ・バルシャイ(Vla)
ヘンデル:フルート・ソナタ イ短調 Op.7、アレクサンドル・コルネーエフ(Fl) (1958年)
(参考)