バッハについて、巨大な伽藍のような音楽もあれば、たった一人、誰の助けもなく単独の楽器で向き合う音楽もある。天啓という言葉そのものに、音楽が天から降りてくる。バッハはそれを書き留め、単独の楽器でそれを表現する曲を残した。「無伴奏」と銘打った曲こそがそれであり、チェロで、ヴァイオリンで、編曲してフルートで、また、「無伴奏」とはあえて言わなくとも、ピアノで、オルガンで同様な作品を残してくれた。
天からの啓示によってバッハが書く、一人の演奏者がこれに真剣に向き合う、それを多くの聴衆が耳にする。聴いているのは、演奏者の奏でる楽器の音なのか、それをつくりだしたバッハの作品なのか、否、その源になる天啓なる音楽そのものである。そうしたいわば「逆推論」を意識するような名盤を以下3枚選んでみた。
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
1936~39年録音でいまも現役盤ということ自体が奇跡的である。カザルスこそが無伴奏チェロ組曲の魅力をはじめて徹底的に見極め、その価値を世界に広めた。バッハの演奏は多様で、最近はクールに美しく弾く奏者も多いが、カザルスのバッハには、肉声を絞り出すような熱き思いをもって、全身全霊で臨場している様が浮かんでくる。その後、ライヴをふくめいくつかの音源もあるが、特に本盤は戦前の特異な時期に、一回性(一期一会)の気迫を込めた録音なればこそ、その訴求力は絶大なのだろう。精神が釘付けになる歴史的音源である。
→ Pablo Casals Original Jacket Collection も参照
J.S.BACH/ 6 SONATAS & PARTIATS FOR VIOLIN SOLO
この演奏は幾度も聴いてきた。というよりも、いまもシゲティを聴かずして本曲を語るのは、一種の「定番はずし」と言えなくもないほどに後世に影響を与えてきたとも言える。もっとも、なんの拘束もうけない気儘なリスナーにとっては、もっと気軽に本曲集を愉しみたいという当然の欲求もあろう。
しかし、おそらくは四六時中、この曲集のことが頭から離れず、いかにこの作品の持つ普遍的な価値を世に問うかを考えぬいた一人のヴァイオリニストの軌跡を知るうえで、本盤のもつ重さが減じることはないだろう。
求心的、磨き込んだ響きのもつ清廉さ、それでいて技巧を超えて自然体の構え、こうした演奏こそ不朽のものという気がする。
1960〜70年代、チェロといえば第一人者だったピエール・フルニエ(1906〜86年)の30〜50年代までの10枚の作品集。その後、多くはステレオ録音による再録があるため旧盤に相当しスーパー廉価となっている( Icon-25th Anniversary of Death などもある)。
旧録音、モノラルであることを承知で鑑賞すれば、壮年期の成果を集中的に聴くことができ、チェロの貴公子(容姿を含めて)とファンを魅了した上質な演奏スタイルを味わうことができる(この時代のムーア、ミュンヒンガーなどとの共演は貴重な記録)。
また、ベートーヴェンでは年代別にシュナーベル、グルダ【本盤】、ケンプ(ライヴ)との収録があるが、どれを選択するかはリスナーの好み如何かも知れない。