https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R47BTRJIHHV1M/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4105054511
父はドイツが好きだった。医師で、ドイツ語でカルテを書く慣習があったからか、根っからの眼科医でカール・ツァイスやライカの製品をこよなく愛したゆえか、また、クラシック音楽のかなりのファンであったことも大きかったからかも。『世界の一流品』といった類の本が家にあって、ステレオセットではテレフンケンが世界最高と記されていたことを思いだす。父は本当に欲しそうだった。1960年代初頭、光学機械系はドイツレーベルが独占状況であった。また、ドイツ・グラモフォン直輸入盤は高価で憧れの的であった。
小生のドイツ赴任も喜んでくれたが、残念ながら現地を案内する機会はなかった。いまも悔やまれるが、父は出不精であったので所詮は無理だったかなとも思う。
ドイツ滞在時代に、ウィーンには家族で行った。楽しかった思い出と外国人、とりわけアジア人にはやや冷たい感触もあっていささか不愉快な思い出が交錯する。お金を落としてくれるお客様は大事にするが、地域には一線以上は入れない堅固な保守主義ももっている町であると思った。ミーハーでも金離れのよい外国人旅行者は「良きお客様」だが、当時の小生のように、ドイツ在住でいかにも貧乏風情の家族旅行には、顔をしかめられても仕方がなかったかな。いまの日本、京都では同じような感覚があるかも知れない。
ザルツブルク音楽祭に行き、カラヤンの「カルメン」を一人で聴いた。ウィーンではフォルクス・オパーを予約して家内に「こうもり」を見に行ってもらった。2人の小さな男の子を抱えている以上、留守番役は不可欠であり、お金も節約する必要があったので、ベビーシッダーを雇うような余裕はなかったが、それはそれで楽しい記憶である。
さて、そんなことを思いだしながら上記の番組を見た。アンネット・カズエ ストゥルナート (Annet Kazue Strnadt)のご苦労、深いところはもちろん知る由もないが、多少のドイツ在住の経験に照らしても想像するだけでも本当に大変であったろうと感嘆する。
それを支えたのは歌うことへの欲求、総合芸術としてのオペラの魅力であり、また、根底には父と同様、ドイツ、オーストリーへのあくなき憧憬があったかも知れない。