◆ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ノーヴァク版)
◆ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 フランツ・ヴェルザー=メスト(指揮)
(1991年8月27日ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音)
フランツ・ウェルザー=メスト(Franz Welser-Möst )は1960年、ブルックナーゆかりのオーストリアのリンツ生まれ。ミュンヘンで音楽を学び、19才の若さで、カラヤン国際指揮者コンクールで同国人のカラヤンに認められ衆目の関心の的となる。
いくつかの欧州の地方の管弦楽団で経験を積んだのち、1986年にロベス=コボスの代役としてロンドン・フィルを振って、これも同国人モーツァルトのレクイエムで大きな成功をおさめ、その後、ブルックネリアーナ指揮者としても圧倒的な実力をもつクラウス・テンシュテットの後任として弱冠30才でロンドン・フィルの音楽監督に就任する。
いくつかの欧州の地方の管弦楽団で経験を積んだのち、1986年にロベス=コボスの代役としてロンドン・フィルを振って、これも同国人モーツァルトのレクイエムで大きな成功をおさめ、その後、ブルックネリアーナ指揮者としても圧倒的な実力をもつクラウス・テンシュテットの後任として弱冠30才でロンドン・フィルの音楽監督に就任する。
その後、チューリッヒ歌劇場の音楽監督をへて、2002年にはドホナーニからクリーヴランド管弦楽団の音楽監督のバトン・タッチを受ける。この頃からオペラの演奏、録音も積極的に行い、2007年のシーズンではウイーン国立歌劇場でワーグナーの『指輪』を取り上げることになっている。さらに、2010年からは小澤征爾の跡目をうけてウイーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決まっている。
この演奏を聴いていると、まず、カラヤン同様、同国人のブルックナーへの敬愛があるように思える。そうした安易なアナロジーが不味ければ、「(母国作品に対しての)己のテリトリーとしての自覚」と言い換えてもいいかも知れないが、ブルックナー・ファンの聴き手としては、再現する対象との距離の近さに親近感が湧く。
次にテンシュテット時代からブルックナーを得意とするロンドン・フィルの音質のほの明るさが特徴的だ。ヨッフムの紡ぎ出す南ドイツ的な音色とは微妙に異なる透明度だが、このほの明るさはかなり印象的で、かつブルックナー休止でも十分残響をとり音が途切れない点ではカラヤン、ヨッフム、レーグナー的とも言える。
また、その運行テンポは比較的軽快(第一楽章で20分を切る)ながら、一音一音を慎重すぎるくらい慎重に重ねていく、折り目正しい丁寧な演奏である。さらに第3楽章など音が重くならず「もたれない」点ではシューリヒト特有の軽やかさの技法を連想させる。
強奏では十分に鳴らすが、テンポはけっして崩れず背後に冷静さを滲ませる。これも同国人ベームのような沈着さだなと勝手に思う。
全体に「個性的」ではないが、局所局所の処理が見事に整序されており、ライヴ的な熱狂には与しないぞという自己主張をしているように見受けられる。その意味でジャケットの「若さ」を強調する売り込みとは異質なものを抱くリスナーも多かろう。この段階で「大器」を予感させる十分な佳演である。
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