金曜日, 3月 20, 2009

クラシック音楽の危機

  




大御所中の大御所、名盤中の名盤の代表例:フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第5番

 クラシックのCDの売れ筋を見ていると、いまや鬼籍に入った演奏家の古い録音が実に多い。もともとぼくは、どちらかといえば、「古き名盤」ばかりを聴いているので、違和感はないのだが、マーケットに放出される厖大な音源のなかで、長きにわたって生き残ることは至難であり、一部の若手や個性的な大家を除く現役の音楽家の苦悩はとても深いのではないかと思う。

  かつては音楽会にも足繁く通ったが、いまはまったく行く気がしない。仕事の一環でやむを得ずといった、余程のことでもないと自発的な意思でチケットを買うことはなくなった。
  毎日、CDを聴いているのに、ライヴにモティベーションがわかないのは、40年にわたって素晴らしい実演に接して、その記憶をたどりつつ、またいまの自分の尺度からは、あまり期待するモノがないからかも知れない。喰わず嫌いといわれようとも、意欲が湧かなければ、趣味である以上、これは仕方がないだろう。

  CDでもTVやFMでもライヴでも、いずれも同様だが、ここまで「過去」の大家が君臨する以上、この領域(クラシック音楽界)の現在および将来は危機だろう。演奏法、解釈などで新たなアプローチもあるが、それはそれで面白いけれど、だからと言って栄光の「過去」を塗りかえるようなエネルギーが、いま十分にあるとも思えない。

  加えて、特定の作曲家への偏重、人気のある一部(人口に膾炙した)名曲への特化、全曲ではなく切り売り型の商品化がより一層進んでいるように思う。この傾向からは、希少な作曲家、現代音楽などがとりあげられる機会の減少、コンサート採用曲などのヴァリエーションの狭隘化、いわゆる癒し系・イージーリスニング系の小曲ブームなどが顕著になり、ますますマーケットが狭くなっているような気がする。

 なにを隠そう、このブログで最近、自ら取り上げているものだって、そうじゃないかと思う。軽め、話題性、一部贔屓への傾倒など・・・。時代が人をつくり、その人が時代の音楽をつくり奏でるとすれば、出でよ、英雄(女帝)!ということになるのだろうか。

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