金曜日, 7月 09, 2010

クラシック音楽 聴きはじめ 3 マルケヴィッチ

 
身近にいると、あたりまえに思えて、客観的な評価ができず、その実力を過小評価する。逆に、遠く離れているがゆえに、知らずに理想化し、崇敬するといった陥穽もある。  
現代のグローバル化時代、IT時代なら、各種評価が即時に飛び交うが、約40年前、クラシック音楽界での来日演奏家の評価は、「情報の非対称性」から上記の傾向があり、その一例がイーゴリ・マルケヴィッチではなかったかと思う。

 当時、この指揮者とNHK交響楽団の名演を、いまは喪われた日比谷の旧NHKホールで聴いた。NHKシンフォニーホールの公開録画(抽選参加)として、無料だった。とんでもない贅沢をしていたものだ、といま想う。
 マルケヴィッチで、ベルリオーズ「イタリアのハロルド」を聴きながらこのブログを書いている。ハインツ・キルヒナー(ヴィオラ)、スザンヌ・コテル(ハープ)、ベルリン・フィルの演奏で1955年12月の録音である。切れ味鋭い、迫力ある演奏である。

 マルケヴィッチの名前は、①現代音楽の旗手としての系譜からも、②ベートーヴェンなどの総譜の研究者としても、③優れた20世紀の指揮者列伝からも、④さらに後世の指揮者を育てた指導者としても有名である。

 「イタリアのハロルド」(「幻想」も秀抜!)では①~③の彼の特質が如何なく発揮されていると思う。彼がもっと健康なら、その後半生はまったく別の航路だったかも知れない。
 才能に満ちあふれた人であったのだろう。しかし、有り難いことにいまだ揺籃期にあった日本にもよく来てくれた。1960年、68年、70年、83年に来日しているが、ぼくが聴いたのは68年であった。中学生の素朴な感想として、長い指揮棒を丹念に刻みつつ、カラヤンなどに比べて、派手さのまったくない、格好を気にしない愚直さに特色があったように記憶している。


金曜日, 7月 02, 2010

カルロス・クライバー

 今日はカルロス・クライバーについて。以下は、最近でたボックス・セットについての感想。
 クライバー(1930年7月3日~2004年7月13日)は、レコード・CD全盛期の指揮者だが、その盛名に比し録音は極端に少ない。だが、録音すれば向かうところ敵なし、圧巻の名演を紡ぎ出した。本全集は、そのレパートリーの相当な部分をカヴァーしており彼の全体像を知るうえで好適である。気難しい練習魔で、常任向きではないが、その天才的な音づくりには美学もあり内燃的な迫力もある。「こうもり」「トリスタン」の異質の2種はいまもベスト盤と思うが、その特質が際だっている。いままでクライバーに親しんでいない愛好家向きの廉価盤。
 カルロス・クライバーは、まちがいなく、「ドイツグラモフォン・レーベル」でカラヤン、ベームにつづく次の世代の旗手であった。なにより、緻密ながら衝撃の演奏スタイルが世を驚かせ、独特のカリスマ性をもっていた。「クライバーが今度振った・・」とPRされれば、思わず反応してしまう強烈な話題性があり、かつ、それは一般にも受け入れられやすい演目が中心だった。
 だが、この人はレパートリーを広げることにも、熱心に録音をすることにも、あまり関心がなかったのかも知れない。少ないレパートリーに磨きをかけ、他の追従を許さないといった専門家、職人気質が身上であったのだろうか。
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<収録一覧:録音時期>
【CD1】ウィーン・フィル/ベートーヴェン第5番&第7番:1974年3&4月、1975年11月、1976年1月 【CD2】ウィーン・フィル/ブラームス第4番:1980年3月
【CD3】ウィーン・フィル/シューベルト第3番&第8番:1978年9月
【CD4~5】バイエルン国立歌劇場/J.シュトラウス『こうもり』全曲:1975年10月
【CD6~7】バイエルン国立歌劇場/ヴェルディ『椿姫』全曲:1976年5月、1977年5、6月
【CD8~10】シュターツカペレ・ドレスデン/ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』全曲:1980年8&10月、1981年2&4月、1982年2&4月
【CD11~12】シュターツカペレ・ドレスデン/ウェーバー『魔弾の射手』全曲:1973年1&2月
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 オペラの歌手、合唱などより詳細な録音データについては以下を参照。
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 上記のうち、ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》&7番の感想は以下のとおり。
一世を風靡したウイーンの名指揮者エーリッヒ・クライバー(1890ー1956年)はベートーヴェンをこよなく愛し得意としていた。5番&6番のカップリングはいまも歴史的な名盤として記録されている。その子、カルロス・クライバー(1930ー2004年)はベルリン生まれ、ブエノスアイレス育ちで、「親子鷹」ながら父はカルロスが指揮者になることを強く反対したと伝えられる。  
 カルロスは父の使った総譜を研究し尽くして指揮台に上がったようだが、この5番&7番は、没後約20年後、父もここで名盤を紡いだ同じウイーン・フィルとの宿命の録音(1974、1976年)であり、余人の理解の及ばぬ、父を超克せんとする<格闘技>的な迫力にあふれている。同時期、ベルリン・フィルではその疾走感、音の豊饒さである意味共通するカラヤンの名演もあるが、明解すぎるほどメリハリの利いた解釈とオペラでしばしば聴衆を堪能させた弱音部での蕩けるような表現力ではカラヤンを凌いでいると思う。  
 父を終生意識しながら、その比較を極端に嫌ったカルロスが、結果的に父と比類したか、あるいは超えたかはリスナーの判断次第だが、この特異な名演が生まれた背景は、エーリッヒとの関係なしには語られないのではないかというのが小生の管見である。
最後に、本ブログで過去に書いたものを下に添付。