土曜日, 12月 11, 2010

フルトヴェングラー ブラームス 交響曲第4番














http://www.geocities.jp/furtwanglercdreview/bra4.html によれば、フルトヴェングラーのブラームス4番には、以下の5種類の演奏がある。

1 1943.12.12- BPO PH 
2 1948.10.22 BPO Dahlem 
3 1948.10.24 BPO TP 
4 1949.6.10 BPO Wiesbaden 
5 1950.8.15 VPO Salzburg 

  聴いているのは3であり、TPはティタニア・パラストの略である。かつて以下の感想を書いた。  

1948年10月24日、ティタニア・パラストでの演奏。フルトヴェングラーのブラームスでは、憂愁の深みを表現するうえで、感情移入によるテンポの大胆な緩急などについて多く語られるが、それに加えて、この演奏でのリズムの刻み方の切れ味はどうだろう。  一般に語られる4番のもつブラームスの「人生の秋、枯淡の味わい」といった抒情的な解釈よりも、古典的な造形美を最後まで貫き、絶対音楽のもつ孤高性こそを生涯、変わることなく主張したブラームスの芯の強い本質にフルトヴェングラーは、鉈を振り下ろすような圧倒的にリズミックな隈取りと時に自信に満ちた強大なダイナミクスをもって応えているように思われる。  しかもオーケストラは指揮者の意図を明確に理解し、細心の注意と最大限の集中力をもって臨場している。だからこそ、そこから湧きたつ音楽は、少しの曖昧さもなく説得的であり、深い感興をリスナーに与えることができるのだと思う。ドイツ的な名演という意味は、彼らのもつ「絶対音楽」の伝統を誇りをもって示しうるところにこそあるのかも知れないーーそうしたことをこの類い希な名演はわれわれに教えてくれている。 http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&sort_by=MostRecentReview&page=7  この1週間くらい、

また全集を取り出して聴いている。かつて毎朝、日が昇らずマイナス20度の寒さに街頭にでる経験をしたが、北ドイツの冬は暗くて実に寒い。同じドイツでもバイエルンなどの南の地方は少しく印象がちがうが、北方の生活者には憂鬱症といつも熟考する思慮深さ、そして厳しい環境、困難に負けない強い意志などがない交ぜになっているように感じることがある。よくブラームスを聴きながら通勤したが、これぞ風景と一体の感興があった。  この4番は、交響曲作曲家として満を持しての決意表明たる1番、比較的温暖で明るい2番をへて、叙情性のもっとも良くでた3番ののち、晩年の集大成としての作品だが、ウイーンでの名声や華やかな生活の影響などどこにも感じられず、原点回帰、ブラームスの心象風景たる北ドイツの冬の寂寥感を強く意識させる。  フルトヴェングラーの演奏は、その寂寥たる雰囲気を保ちながらも、その一方、上に記したように北方ドイツ人の強靭な意志をより印象づける。大胆なリズミックさとどこまでも底知れず沈降していく深みの感覚、テンポのたくまぬ可変性、フレージングの自由な処理、そして全体から受ける孤独に耐える知性的な闘争心。こういう演奏は他にない。

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