ベルリオーズの伝記(『小説ベルリオーズ』ジャン・ルスロ著, 横山 一雄訳 音楽之友社1975年)を読むと「幻想交響曲」の生成過程がよくわかる。ワーグナーほどではないが、この人も相当、波瀾万丈の生き様をのこしている。彼の人生は「恋愛と恋愛の苦悩にほかならなかった」(ロマン・ロラン)というのもうなずける。
イギリスの女優ハリエットへの熱愛、挫折をへて後のベルリオーズの社会的成功とともに、思いが叶い幸福の絶頂となるが、実はこれが生涯の心労のはじまり。後半生、男女愛憎乱れる複雑な人間関係に発展していくことになる。作品が作曲家の実生活と関係しているかどうかは、音楽を聴くうえでさして重要でない場合も多い。しかし、標題音楽をかかげ一種の私小説的なストーリー性をもった「幻想交響曲」の場合は別である。あのなんとも魔的でおどろおどろしい世界は、毒をふくんだような強烈な刺激をもっているし、ベルリオーズの創作の秘密(懊悩をスコアにぶつける方法論)もそこにあると言ってよいと思う。
<以下はかつて書いた文章>
「幻想」での悲恋はその後、紆余曲折をえて実り、ベルリオーズは憧れのハリエット・スミスソンと結ばれる。しかし、実はここからが新たな男女の縺れのはじまりであり、 ベルリオーズは社会的な名声をえる一方でスミスソン、そして若い愛人との婚姻、恋愛関係では一生悩むことになる。つまり、「幻想」はその後現実に雲散霧消したのではなく終生、ベルリオーズにメフィストのように纏わりつくのである。 彼は死の床で第5章を反芻していたかも知れない。
Sunday, June 02, 2013 幻想交響曲
さて、その「幻想交響曲」をいかに演奏するか。シャルル・ミュンシュの書いた『指揮者という仕事』(福田 達夫訳、春秋社1994年)は、この点でとても参考になる本である。ミュンシュは、ある意味、気まぐれで空ろぎやすい聴衆に、いかに音楽を聴かせるかに意を砕くが、「彼は音楽のドラクロアであるが、それは彼が厳密な計画にしたがって組み立てているからではなく、大きな色斑をまき散らした大壁画(フレスク)によってやっているからだ。すべてが自然よりも壮大であり行き過ぎている」(p.73)と言う。
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<以下はHMVからの引用>
1967年、フランス文化相アンドレ・マルローの提唱により創設されたパリ管弦楽団は「諸外国にパリおよびフランスの音楽的威信を輝かすこと」を使命とされた、まさにフランスが世界に誇ることを目指したオーケストラでした。その初代音楽監督に選ばれたのが、70歳を越えたフランスを代表する指揮者、シャルル・ミュンシュ。この『幻想交響曲』はミュンシュが最も得意とした曲のひとつであり、パリ管弦楽団の記念すべき最初の演奏会での演目。熱のこもった力溢れる名演です。
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当時、アンドレ・マルローの威令はゆきとどき、小生もご多聞にもれず流行していた彼の小説を何冊か読んだ(いまはほとんど内容を忘れているが、人の顔の抉るような描写のうまさに感心したことだけは覚えている)。
マルロー閣下主導、鳴り物入りのパリ管だったが、結果的にミュンシュは無理がたたり命を縮めてしまったような気がする。1967年の「幻想」はまさにパリ管への悲しき置き土産となった。
この演奏は、けっして「美しく」はない。むしろ、ベルリオーズのもつおどろおどろしさも垣間見えるし、腺病質的な危うさもときに顔をだす。「幻想」のもつ複雑な心理描写をトータルとしてもっとも的確に表現しているように思う。
ボストン時代から手中の演目だが、ミュンシュは録音にあたって吟味し直し考えぬき、表現しつくしてやろうとの気概のようなものを感じる。
なお、パリ管への管弦楽の統制は緩めで、パート演奏がややデフォルメされる傾向もある。ここを次に音楽監督についたカラヤンは気にいらず鍛えなおしたエピソードは有名。その意味では、ミュンシュ/ボストン響の完成度の高い演奏を第一とする見方もある。
「幻想交響曲」は指揮者にとってもオーケストラにとっても魅力的な演目である。その色彩感覚をどう表現するかには腕がなる部分もあろう。そこで、忘れられないのがマルケヴィッチである。
半世紀近くも前だが上野の東京文化会館のブースで、本演奏をリクエストし一人聴きいり、はじめて「幻想」という曲の凄さを知った気がした。1953年11月、残響豊かなベルリン・イエスキリスト教会でのモノラル録音。当時としては音の解析がクリアで、いま聴いても変わらぬ名演としての一種の<威容>がある。マルケヴィッチは作曲家としても、オーケストラ・ビルダーとしても高い能力をもっていたようだが、鬼才ベルリオーズの斬新な作風、特異の感受性をベルリン・フィルから見事に引き出しここに横溢させているように思う。
激しいパッショネイトな後半の「断頭台への行進」や「サバトの夜の夢」は誰が振っても相応な感動があるはずだが、マルケヴィッチの鋭い解析力がはっと実感できるのは、むしろ前半の「夢、情熱」や「野の風景」の緩やかな微音部分かも知れない。1度だけ実演に接したこともあるが、痩躯な横顔と長い指揮棒がマッチし指揮棒の先の震えるような動きが印象に残っている。録音のよい「幻想」のディスクはあまたあるが、鋭き解釈において後世の指揮者にこのマルケヴィッチ盤のあたえた影響は蓋し大きかったろう。誉れ高き、先駆的な名盤である(なお、同コンビによる代表的な成果としてハイドン:オラトリオ「天地創造」も推奨)。
最後に「幻想」の先駆性にはいつも驚く。ベートーヴェンと一部同時代に生きていたのだが、第2楽章ではベートーヴェン初期交響曲を、第3楽章は6番を、第4楽章は7番の強烈なリズム感を連想させる。その一方、循環動機、先進的な管弦楽法(彼は近代作曲家として初の理論書も書いている)と大胆なオーケストラの起用では、パガニーニ、リスト、ワーグナーらに与えた影響は絶大である。
【ベルリオーズ 幻想交響曲】
【織工 の選ぶ 幻想交響曲 10選】