楽聖ベートーヴェンの交響曲、CDになっているものであれば、誰の演奏を聴いても、それなりの感動はある。曲そのものの完成度が極めて高いからだろう。
かつて交響曲全集は、大変高価であったが、いまは2000円台で素晴らしいものを揃えることができる。そうした前提ながら、最近、よく聴くものを以下に。
テンシュテット Klaus Tennstedt
Symphony Nos 3 6 7 8 Overtures
第3番はライヴ盤だが、大変バランスよく均整のとれた演奏で、いままで聴いてきたほかの指揮者のあまたの音源と比較しても、トップクラスの名演であると思う。すこしオーケストラの統制を緩めて軽快に飛ばすドライブ感(第1,3楽章)と速度をぎりぎりまで減速してたっぷりと情感をもって丁寧に仕上げていく(第2、4楽章)交互の手法が見事にいかされている。
これは6番や8番も同様で、とくに流麗、豊饒な音楽に特色のあるテンシュテット・サウンドのヒット感が6番では強く感じる。3番、6番、8番そして序曲集と聴いてきて思うのは、オーケストラ(メンバー)が心のなかで豊かに「歌っている」感じを抱くということだ。外形的ではなく、あたかもハミングでも聞こえてきそうな雰囲気がある。しかも、それは統制されたものではなく、音楽に身をゆだねて自然に歌がでてくるような臨場感がある。これぞ、テンシュテットの魅力の源泉。
◆ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、1991年9月26日、10月3日(ライヴ)、『プロメテウスの創造物』、序曲『コリオラン』、『エグモント』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル
◆ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』、第8番、1985年9月15,16,19日、1986年3月27日、『フィデリオ』序曲、1984年5月11-12日、ロンドン・フィル
→
Great EMI Recordingsでの購入も一案
交響曲第2番ニ長調
交響曲第2番について(1964年、セッション録音)
軽快でありながら、緻密に配された起伏があり、安易に流れる音楽ではなく、ごつごつした質感がある。小気味の良いリズム感が強調された第1楽章から、柔らかさのある第2楽章ラルゲットへ転換。クリーヴランドの弦楽器の美しさが映える。厳格なインテンポでの弦楽器の磨かれたサウンドは室内楽的であり、これにかぶさる木管楽器は表情に富む。本曲の最大の聴かせどころだろう。
第3楽章、短いスケルツォは楽しげな舞曲風に駆け抜ける。終楽章はテンポを上げて堂々と締めくくる。総休止や長いコーダなど後世、ブルックナーへ与えた影響なども連想しながら、明るいエンディングは爽快である。
Karl Bohm、 Rias So
重たい、どんよりとしたスタートが、劇的な場面転換にように明るく躍動的にかわる第1楽章。インテンポ気味で小細工なく、楽譜指示通りに、しかし最大の緊張感をもって、といった安定と集中のいかにも「ベーム流」である。
古典的な形式美を感じさせる第2楽章は格調が高い。1952年4月21、23日に、ベルリンのダーレム、イエス・キリスト教会で収録された古いモノラル録音だが、それにしては残響がよく、本楽章の良さを引き立てている。
後半2楽章も基本線はブレない。後年の全集とかわらないが、50代半ばの働き盛りのベームの気迫の充実ぶりが伝わってくる。スケルツォ的な第3楽章とイメージが連続する終楽章では、ときにテンポを上げ彫りの深い造詣をみせ、迫力満点である。管楽器が惜しくもややふらつくが、オケは真剣な臨場感で好感がもてる。
オーマンディ Eugene Ormandy
ベートーヴェン:交響曲第5番・第6番
オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団のベートーヴェンの5番(録音:1966年2月14日)、6番(録音:1966年1月26日)。1899年ブタペスト生まれのオーマンディはヴァイオリンの神童で5歳でブタペスト音楽学校に入学、その後17歳で教授資格を取得。後に米国にわたりミネアポリス交響楽団からストコフスキーの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の指揮者となるが、当時ストコフスキーの米国での人気は凄かったから、オーマンディはその大いなる実力を評価されて後継者となったと言えるだろう。レパートリーの広さも有名で古典のみならず現代音楽への造詣も深い。
5番は音響もいまひとつでオーマンディとしてはやや平板な印象だが6番は素晴らしい。この時代のフィラデルフィア・サウンドは全般に明るく、ほんのりと暖かみがあり、なによりも柔らかな音色に特色がある。肌合い艶やかなその音響を聴いていると快感が内から湧きあがってくる。美しく長閑な印象に酔える、得難い体験のできる「田園」である。
http://shokkou.blog53.fc2.com/blog-entry-323.html
Beethoven: Symphonies 5 & 7
ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルによるベートーヴェンの第5番、第7番。最近の傾向として、あまり標題を意識せずに演奏するスタイルもあるが、ムラヴィンスキーの演奏はその典型かも知れない。
「運命」や「舞踏の聖化」(ワーグナー)といったイメージよりも、雄渾にして明快なベートーヴェン像を表現することに注力しているようだ。それは、安定したテンポ、切込み鋭いリズム、明瞭なメロディとその抑揚によっており、アクセントの付けかたが絶妙で、ときに強いダイナミズムが前面に出る。音楽に不必要な感傷は一切付着せず、カラリと乾いた、それでいて心地よい響きである。クライバー
ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》&7番 のように緩急自在、もっと主知的でドラマティックな演奏もあるけれど、小生はいかにもムラヴィンスキーらしい、ある意味で即物的(ザッハリッヒ)なこうした解釈にも惹かれる(但し、モノラル音源である点は留意)。
なお、6番については、
Beethoven: Symphonies Nos. 1 & 6 'pastoral' も参照。
<収録情報>
◆交響曲第5番ハ短調op.67
録音:1974年9月15日
フィルハーモニー大ホール、レニングラード
ライヴ(モノラル)
エンジニア:セミョン・シュガル
◆交響曲第7番イ長調op.92
録音:1964年9月19日
フィルハーモニー大ホール、レニングラード
ライヴ(モノラル)
エンジニア:アレクサンドル・グロスマン
➡
Mravinsky Edition にて聴取
Beethoven: Symphony No.9
カルロス・クライバーの父エーリッヒ・クライバーによる1952年の録音。フルトヴェングラーの有名なバイロイト・ライヴとほぼ同時期のセッション録音盤。父クライバーはウィーンで愛され、ベートーヴェンを得意としていた。
第9について当時、皆がフルトヴェングラー流の眦(まなじり)をけっするような演奏を押しいただいていたわけではない。「歓喜の歌」をもつ交響曲である以上、その受容スタイルもさまざまである。クライバーの演奏は明るい基調で鷹揚に構えつつ、過度な熱情をぶつけることなく、しかし入念に、慎重にこの大曲の素晴らしさを再現せんとしている。フルトヴェングラーなどとの比較では地味な印象はぬぐえないが、その実、手堅さと音楽的な気高さが同居しており、聴きすすむうちに引き込まれていく。中間2楽章の充実ぶり(第2楽章のあふれる生命感、第3楽章のウィーン・フィルの馥郁たる美しき響き)にとくに刮目。これも得難き名演のひとつと感じた。
<収録情報>
・交響曲第9番『合唱』
ヒルデ・ギューデン(S)
ジークリンデ・ワーグナー(A)
アントン・デルモータ(T)
ルートヴィヒ・ウェーバー(Bs)
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1952年6月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:モノラル(セッション)
→ The Great Conductors にて聴取
<参考>エーリッヒ・クライバーのその他のベートーヴェン交響曲音源
・第3番『英雄』コンセルトヘボウ(1950年5月)
・第3番『英雄』ウィーン・フィル(1953年4月)
・第5番『運命』コンセルトヘボウ(1953年9月)
・第6番『田園』コンセルトヘボウ(1953年9月)
【オマケ】
ベートーヴェン:プロメテウスの創造物
・プロメテウスの創造物 について
ベイヌムが先駆的に取り上げたということで興味をもって聴く(1952年2月の収録)。
歴史的に残る音楽には、やはり淘汰の理由があるのではないかと思った。序曲の推進力はなかなかのものでグッと惹きつけられるものがある。その一方で、それに続く各曲はたぶんバレリーナは踊りにくい(楽しめない)だろうなと感じてしまう一種の固さというか穿ち過ぎた音楽性があるように思う。それが、終曲のエロイカ変奏曲の「元ネタ」の部分にくると、思わず旧友に巡り合ったような愉悦にかわる。よって、序曲と終曲は十分に楽しめたが、小生はそれ以外は再度聴いてみたいとはあまり思えなかった。
なぜ、ベイヌムが本曲を意欲的に録音したかはわからないが、演奏そのものはいかにも真摯にして生真面目で好感がもてる。
➡
Portrait の廉価盤も参照
以下は全集のお薦め
SINFONIEN 1-9, OUVERTUERE
ベートーヴェンの交響曲全集。たとえば、カラヤンには、多くのリスナーを説き伏せるような「カラヤン流儀」といったものがあり、ベームにはメトロノームを内在したような堂々としたテンポ設定で、リスナーはじっくりと安心して身を委ねられるような安定感がある。
対して、バーンスタインのベートーヴェンの特色は、ダイナミックながらすっきりとした解釈にあり、意外にも過不足なく標準的な印象もある。しかし、全体を通じて解釈の一貫性があり、どの曲を聴いても爽やかな聴後感があるのはやはり只者ではない。けれんみなく素直な解釈によって、ベートーヴェンの素材をもっとも生(き)のままに味わうことができるように思う。良い意味で機能主義的なニューヨーク・フィルもいい。ここには、ベルリン・フィルにみるドイツ本流の、とかウィーン・フィルにみる伝統の誇り高きといったブランドイメージはなく、かわってベートーヴェンという名の偉大なコスモポリタニズムを感じさせる。これこそ、意図してバーンスタインが念頭においていたことであり、かつそのお手本は、トスカニーニにあり!ということかも知れない。
(参考)比較したい全集
◆ベーム:
Collectors Edition: Symphonies Nos. 1-9/5 Overture
◆トスカニーニ:
Beethoven: The 9 Symphonies
→
Scoprire Beethoven-I Capolavori に所収、聴取
Collectors Edition: Symphonies Nos. 1-9/5 Overture
べーム/ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集。1970〜1972年の録音。ほかに、「エグモント」、「コリオラン」、「プロメテウスの創造物」、「レオノーレ」(第3番)、「フィデリオ」の5つの序曲(最後の2つは1969年、シュターツカペレ・ドレスデン)を収録(9番データのみ下記)。
ウィーン・フィルでは1960年代末にイッセルシュテット
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第6番「田園」 との素晴らしい演奏(デッカ)もあるが、ドイツ・グラモフォンが数年後、満を持してベームとの組み合わせで世に送った大きな企画であった。ベームは1975,77,80年にウィーン・フィルとあいついで来日、これが空前のブームとなったことから、日本では特に注目された全集である。
ベームの演奏は、このベートーヴェンでもブラームス、ブルックナーでも共通し全体構成がしっかりと組み立てられており、テンポは(驚くべきほど)一定、かつ弦と管の楽器のバランスと融合が絶妙でどちらかが突出するということがない。それを可能とするのは、いくどもベーム自身が語っているように、スコアを徹底的に読み込み(新即物主義と言われる場合もある)、オーケストラに周到な練習を課することによって可能となる。
その一方、リスナーにとってどこに連れていかれるかわからないような、ある種のわくわくどきどき感(たとえばカルロス・クライバー
ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》&7番 )とは無縁かも知れない。
ベームのベートーヴェンは、以上の特質から非常な集中力のもと、はじめの一音から作品そのものに導き、演奏よりも作曲家の心象へリスナーの関心が集中することにある。落ち着きのあるアプローチは、重心の低さを常に意識させるが、磨かれた音は、けっして軽からず重からず、ウィーン・フィルの場合は特に瑞々しくも美しい。よって、幾度耳にしても飽きのこない真のオーソドックスさを感じさせる。最良の演奏記録といえよう。
[本集所収]
◆交響曲第9番ニ短調Op.125
ギネス・ジョーンズ(Sp)
タティアナ・トロヤノス(Ms)
ジェス・トーマス(T)
カール・リッダーブッシュ(Bs)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(参考)
同じウィーン・フィルで以下の録音もあります。
◇交響曲第9番ニ短調Op.125
ジェシー・ノーマン(Sp)
ブリギッテ・ファスベンダー(A)
プラシド・ドミンゴ(T)
ヴァルター・ベリー(Bs)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
【録音】1980年11月 ウィーン
トスカニーニ1939年のベートーヴェン:交響曲全集
1939年10月28日から12月2日まで、ニューヨークのNBC8Hスタジオ(9番のみカーネギー・ホール)で集中的に録音された記念碑的なベートーヴェン交響曲全集。
一般には1949〜53年に録音された
Beethoven: The 9 Symphonies がより廉価で録音も聴きやすくこちらがお奨めですが、トスカニーニのファンには本集も捨てがたい魅力があります。
1937年12月、トスカニーニのために組成されたNBC交響楽団の初期における渾身の録音であることが第1の理由です。翌年の十八番の名演
ヴェルディ:レクイエム&テ・デウム(トスカニーニ指揮1940年ライヴ) も聴きものですが、人口に膾炙したベートーヴェン交響曲全集ゆえ、当時のインパクトは現在では考えられないくらい大きなものがあったでしょう。
放送用録音ゆえに、聴取環境が悪くても、ある程度クリアに聴くことができるような配慮でしょうか、隈取のはっきりした演奏です。金管の強調されすぎや低音部の音痩せには忍耐がいります。演奏の特色としては、アポロン的明燦さときわめて明確な解釈を強く感じます。全体として短めにフレーズを処理し、きっちりと音束を揃えた歯切れのよさが身上です。しかし、迸る情熱は凄まじく、2,4,6番などの緩徐楽章は快速で小気味よく展開し、その一方、3,5,7番の終楽章などの追い込みの迫力は圧倒的です。真の歴史的名演です。
◆ベートーヴェン/交響曲全集&序曲集
第1番(1939年10月28日)
第2番(1939年11月4日)
第3番『英雄』(1939年10月28日)
第4番(1939年11月4日)
第5番『運命』(1939年11月11日)
第6番『田園』(1939年11月11日)
第7番(1939年11月18日)
第8番(1939年11月25日)
第9番『合唱』(1939年12月2日)※
『エグモント』序曲(1939年11月18日)、『レオノーレ』序曲第1番 (1939年11月25日)、同第2番(1939年11月25日)、同第3番 (1939年11月4日)
※ジャルミナ・ノヴォトナ(ソプラノ)、ケルステン・トルボルイ(アルト)、ジャン・ピアース(テノール)、ニコラ・モスコーナ(バス) ウェストミンスター合唱団(於:カーネギー・ホール)
→ 最新のリマスターでなければ
Ludwig van Beethoven: Complete Symphonies & Selected Overtures (1939) の廉価購入も可能です。
Beethoven: The 9 Symphonies
トスカニーニのベートーヴェン、指揮者にとってはいまも一種の教則本的な演奏といわれる。初期のカラヤンがこの演奏を強く意識していたことは有名だが、とりわけアメリカで活躍した指揮者にとっては(1950年代以降、否応なく比較の対象になっていたわけだから)、トスカニーニ/NBCの演奏はひとつの「規範」であった。ライナーやセル、バーンスタインらに、殿堂カーネギーホールでの本録音が与えた影響は計り知れない。
最近、ベートーヴェンの交響曲全集がとても安い価格で市場にでるようになった。有名指揮者の全集を2〜3千円で入手できるのだからオールド・ファンには隔世の感があるが、その中にあっても本全集は、その高質さから抜きんでた「買い物」といえる。1949〜53年の録音であることは明記しておかねばならないが、はじめて聴くリスナーにとって、演奏そのものには、古さを感じるよりもおそらく新鮮な驚きがあるだろう。堅牢な楽曲アプローチ、明快かつ曖昧さのない解釈、専用オケたるNBCの忠誠と集中力ーそこから導かれる完璧なハーモニー、独特のダイナミズムと軽快なリズム・速度感。数多あるベートーヴェン交響曲全集中、今日でも最高峰の記録といえる。
(参考)トスカニーニ ベートーヴェンの演奏 主要各番別レビュー
第1番、第2番:
ベートーヴェン : 交響曲第1番ハ長調Op.21
第3番:
ベートーヴェン:交響曲第3番(XRCD)
第5番、第6番:
ベートーヴェン : 交響曲第5番ハ短調Op.67 「運命」
第7番:
ベートーヴェン:交響曲第1番&第7番[XRCD]
第9番:
ベートヴェン:交響曲第9番「合唱」(XRCD)