◆ブルックナー 交響曲第3番
カール・シューリヒト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1965年12月2~4日(セッション録音)
シューリヒト/ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲録音は、第9番(稿:原典版、録音:1961年、演奏時間:56:17)、第8番(1890年版、1963年、1:11:14)の順に行われ、本第3番は、1889年版による1965年12月2~4日の収録です(55:17)。なお他に、第5番については1963年2月24日(ウィーン楽友協会大ホール)ライヴ盤もあります。
このコンビによって第8番、第9番で歴史的名盤を生み出したわけですから、本盤への期待は否応なく高まりますが、その割に意外にも注目されないのは、同じウィーン・フィルで、先行してクナッパーツブッシュ(1890年版、1954年4月)、本盤の5年後のベーム(1890年ノヴァーク版、1970年9月)という非常な名演があり、ちょうどその谷間に位置していることも一因かも知れません。
クナッパーツブッシュの“快演”からは、第3番の分裂症的な心理のボラティリティが見事に浮かび上がってきますし、ベームの堅牢な演奏スタイルは、その心象をある意味、克服していくようなエネルギーに満ちています。
そうした点では、シューリヒトはいつもどおりの彼であり、第3番に限って特に対応をかえているわけではありませんが、両者に比べて温和な印象があります。
中間2楽章が実に美しく、その一方でシューリヒトらしい明るい力感にも富んでおり聴き所かと思います。管楽器をあまり突出させない録音スタイルからは、メロディラインがくっきりと浮かびあがってきます。終楽章も沈着冷静な音づくりに最大限、集中している様子が感じとれフィナーレは感動的です。こうしたアク抜けした演奏もけっして悪くはありません。
さて、何度も聴いているとこの曲が当初、ウィーンの「目利き」の連中に受け入れられなかったことも理解できるような気になります。古典的な作曲ルールをけっして踏み外さないブラームスを堪能していたウィーン子が、はじめてライヴで聴く恐ろしく長くとても「異質の音楽」がこの第3番ではなかったか。
アーノンクールやシノーポリは「やり手」でこの曲のポレミークさ(論争性)を結構うまく使って、当時においてはおそらく感じたであろうブルックナーの「不思議な変調」(現代人のブルックナー・ファンにとっては実は堪らぬ魅力の源泉)を強調しているような気がしますが、シューリヒトは平常どおり奇を衒わず淡々とこなしているように感じます。第3番は良くも悪しくもブルックナーの「地金」が強烈にでている曲であり、そこをどう表現するかどうかのアクセントの違いかも知れませんが、ここはアクの強い演奏に惹かれるか、それともシューリヒトのように“アク抜け”を好ましく思うかの選択肢でしょう。
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