ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 [ハース版] 1967年2月25日モノラル録音
次のエピソードがウィキペディア(Wikipedia)にのっている。
BBCがムラヴィンスキーの特別番組を放送した中に、旧レニングラード・フィルのヴァイオリン奏者が語った彼の仕事ぶりを示す象徴的なエピソードがある。それは、ブルックナーの交響曲第7番のリハーサルの話である。
「ムラヴィンスキーはオーケストラのメンバーが完璧だと思っても満足せずに、家でスコア研究をし尽くし、メンバー全員にぎっしりと書き込みで埋まった楽譜を配布した。通しリハーサルの日は何度も何度も繰り返し細かい要求に答えなければならず体力的に厳しかった。忘れられない一日となった。最後の通しリハーサルのときはあまりにも完璧で信じられない演奏となり、そのクライマックスではまるでこの世のものではないような感覚に襲われた。しかし、最も信じ難いことは、ムラヴィンスキーがこの演奏の本番をキャンセルしてしまったことであった。その理由は『通しリハーサルのように本番はうまくいくはずがなく、あのような演奏は二度とできるはずがない』というものであった。」
この録音7番はキンキンという管楽器が耳障りだとかって書いた。ライヴ録音で音響環境はよくない。しかし再度、聴いていて、演奏の充実ぶりには感嘆する。ブルックナーばかり聴いていると、普段は一応満足しているCDでも、気分によって「このフレーズはなんとも退屈な処理だな」と思うことがある。
最近はあまりに遅い演奏にいささか辟易とすることもある。世評、名演の誉れ高いものであっても一定以上の遅さによって受忍限度を超える場合がある。ライブで聴いていれば、これは感じないものだろうが、なんども回すCDではあらかじめ演奏時間がわかっているので、鬱陶しさがはじめにくる。
しかし、ムラヴィンスキーのこの演奏には<退屈なフレーズ処理>、<鬱陶しい遅さ>ともにまったく無い。というよりも、リズミックな躍動とときに軽快なスピードにゾクゾクする瞬間が波状的にくる。ただしメロディは磨かれて美しくあるも、それに金管が少し過剰にかぶさってくるときは率直に言って耳障りだが、それをのぞけば、全体としては実に整然とした構えをもち、音楽は生彩感に満ちている。
8番でやや感情的に書いたが、底流に感じるのは猛烈なオーケストラと指揮者の「集中力」である。その点において、デモーニッシュなフルトヴェングラーの演奏を連想させる部分もある。
ヴァントやベームの7番も好きだが、頬を張り、少し戦闘的な緊張感に浸りたいときには最右翼に聴きたい7番である。
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