今日はSimon Halsey/CBSO(バーミンガム市交響楽団)合唱団で、ブルックナーのミサ曲第2番ほかを聴く。 以下は関連サイト(ベルリン放送響)からとったものの簡易意訳で正確ではないが概要はわかろう。
本盤は1990年、彼が32才の時の録音だが、ブルックナーの心情の吐露を無理なく表現しようとしているような感じ。ミサ曲2番は合唱と管楽器のみで演奏される<変則>ながら、その違和感がまったくない。合唱の柔らかな響きが弦楽器に見事に代替しているように聞こえる。実に自然な一体感である。
なお、「2つのエクアーレ ハ短調」(1847年)、「アヴェ・マリア」(1861、1882年)、「乙女らは王の御前に導かれ ヘ長調」(1861年)、「この所は神がつくり給いぬ ハ長調」(1869年)なども所収されているが、演奏されるのが珍しい曲も含まれている。
(lifepr) Berlin, 06.03.2008 - Kaum sind die Grammy-Freudenwogen verklungen, gibt es erneut Anlass zu feiern: Der Rundfunkchor Berlin gratuliert seinem Chefdirigenten Simon Halsey zum 50. ( lifepr )ベルリン、 2008年6月3日 –ベルリン放送響合唱団の首席指揮者サイモン・ハルシーが2008年3月5 0才の誕生日を迎えた。
2001年4月以来、サイモン・ハルシーは、8年間にわたってベルリンフィルハーモニー管弦楽団、ベルリンドイツ交響楽団およびベルリン放送交響楽団などと緊密で、ベルリンにて活動する一方多くの国際的オーケストラとも共演。「合唱音楽」というフィールドで素晴らしい活躍をしてきた。最近ではブラームスの「ドイツ・レクイエム」(サイモン・ラトル/ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)の合唱などは最高のパフォーマンスを示している。
サイモン・ハルシーは1958年ロンドン生まれ。 オックスフォード、ケンブリッジおよびロイヤルカレッジ・オブ・ミュージックで学び、ロンドン、スコットランド、グラスゴー、ウォーウィック大学などでオペラの合唱指導を行う一方、バーミンガム市交響合唱団とは、 25年以上の友好的な関係を保っている。
日曜日, 6月 29, 2008
土曜日, 6月 07, 2008
クナッパーツブッシュ ブルックナー
(掲載ジャケットはベートーヴェン第3番です)
今日はクナッパーツブッシュを聴いている。ミュンヘン・フィルを振った1959年3月19日の5番のライヴ盤を聴きながら、このブログと別ブログで書いたものの一部を整理してみた。
2006年9月にこう書いた。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー第4番
1955年録音。レーヴェとシャルクの監修版という<オリジナル重視派>にとっては、おそらくは批判すべきバージョンによる演奏でしょう。また、最近の優れた録音に慣れたリスナーにとっては、壁1枚隔てて聞いているような、言われぬもどかしさが部分的にあるかも知れません。
しかし、以上の要素を考慮したとしても、この4番は「名演」です。どの版を採用するか以前に、作曲者への共感がどれくらいあるかが根本的に重要でしょうし、レーヴェもシャルクもブルックナーの忠実な使徒でした。「師匠」の音楽をなんとか多くの聴衆にわかってもらいたいと念じて奔走しました。そうした改訂者の思いを全て「込み」で受けて、クナッパーツブッシュが指揮台に立ったとしたら・・。
そうしたことを想起して本盤を聴かれたら、まずは素朴な演奏だなと思われるのではないでしょうか。テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウイーンフィルならではです)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられます。想像の世界ですが、古き良きウイーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があります。
多少の音の荒さは無視して、少しだけ音量を上げて楽しんで下さい。指揮者もオケもブルックナーに深く没入しているのが伝わってきます(一部割愛) 。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&page=4
2007年2月にこう書いた。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー第8番
今日聴いているのは1951年1月7~8日にかけて録音されたベルリン・フィルとの演奏(1892年改訂版)です。ジャケットはひび割れCD自体もかなり痛んできてそろそろ買い換え時期にある1枚です。
1963年のミュンヘン・フィルとのライヴ演奏があまりにも有名で、かつ録音時点も本盤は古いことから一般にはあまり注目されませんが、これも素晴らしい演奏です。
クナッパーツブッシュの魅力は、うまく表現できませんが、独特の「節まわし」とでもいうべきところにあるのではないかと感じます。特に変調するときのリズムの刻み方などに彼特有のアクセントがあるような気がします。それがいまはあまり演奏されない「改訂版」の採択と相まって、通常の演奏とかなり異なった印象を醸す要因となっていると思います。
ベルリン・フィルの演奏は今日の精密機械にも例えられる機能主義的ではなく、もっとプロ・ドイツ的な古式の響きを感じさせますが、しっかりと8番の「重さ」を受け止めて質感あるブルックナー像を浮かび上がらせています。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー第5番
これもジャケットが傷だらけの古い友人のようなCDです。1956年6月。ウイーン・フィルとの演奏(改訂版)。先に記した51年のベルリン・フィルとの8番との比較では、レーベルの違いももちろんありますが、この5年間で録音もオーケストラの質量もはるかに豊かに聴こえることに気づきます。
ブルックナーの演奏では抑揚感というか、ダンスのステップを踏むような軽快さが心地よく気持ちを盛り上げてくれるスケルツオも楽しみの一つです。5番の第3楽章のモルト・ヴィヴァーチェは早いテンポのなか、畳み込むようなリズム感にあふれ、かつ特有の明るい和声が身上ですが、ここでクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルはなんとも見事な名人芸を披露してくれます。
第4楽章はシャルクの手が大幅に入り、原典版に比して100小節以上のカットがあるといわれますが、峨々とした峡谷をいく流量の多い大河の流れにも似たクナッパーツブッシュの運行では、そうした割愛の不自然さをあまり意識させません。あるいは、自分がこの演奏に慣れすぎているせいかも知れませんが、これはこれで納得し良いと思ってしまいます。
そこも大家の腕かも知れません。聴き終わって実に充足感が味わえる1枚です。
2007年12月にこう書いた。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー選集
・交響曲第3番(録音:1954年10月11日)バイエルン国立歌劇場管弦楽団
・交響曲第4番(1944年9月8日)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第5番(1956年6月)ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第7番(1949年8月30日)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第8番(1951年1月8日)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第9番(1950年1月28日)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
この選集が良いのは3番から9番までのラインナップに加えて、録音時点ではもっとも早い4番(1944年)から5番(1956年)までの12年間の軌跡を追えること、そして3つの楽団での演奏が聴けることだろう。
3番についてはウイーン・フィル盤(1954年4月スタジオ録音)と同年の演奏、その後ウイーン・フィルとは有名なライヴ盤(1960年2月14日、ムジークフェライン大ホール)がある。このライヴ盤についてのHMV レビュー が両者を比較しているので以下、参考までに引用しておこう。
「有名なDECCAのスタジオ盤の6年後におこなわれた演奏。一連のクナッパーツブッシュのブルックナー録音と同じく、ここでも改訂版が用いられていますが、この作品の場合、小節数が最も一般的なノヴァーク第3稿と同じこともあり、さほどの違和感はありません。第8番と同様に原典版との差が比較的少ないため、安心してクナの音楽に浸ることが可能です。
拍手嫌いのクナらしく、ここでも聴衆の拍手が鳴り止まないうちに演奏が開始されます。冒頭からリズムの良い実にクナらしい進行で、ウィーン・フィルの弾力ある弦と味のあるウィンナ・ホルンの絡みが絶妙。音質が生々しいため、荒々しく巨大な第1主題部と、気持ちのこもった美しい第2主題部のコントラストも強烈で、クナッパーツブッシュの第3が特別な存在であることをすでに十分過ぎるくらいに印象付けてくれます。
第2楽章と第3楽章は、スタジオ盤に較べて少々テンポの速くなっている部分で、演奏に独特の勢いの良さがありますが、第2楽章第2主題部などの美しい旋律は徹底的に歌いこまれているため、ここでもやはり強いコントラストが感じられます。スケルツォ主部での豪快かつパワフルな演奏も見事。トリオも実に愉快です。 第4楽章は、スタジオ盤に較べて、より柔軟なアゴーギクが印象的。しかもウィーン・フィルの豊麗なサウンドが非常に効果的に作用しており、第4楽章第2主題でのとろけるような美しさや、コーダの圧倒的なスケールなどこのコンビでなければ不可能な深い味わいがたまりません」。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1918899
なお、3番についてはこのほかにミュンヘン・フィルを振ったライヴ盤(1964年1月16日)もある。本収録盤はバイエルン国立との協演であるところが聴き所だろう。4番はベルリン・フィル(1944年)だが、これはウイーン・フィル盤(1955年3月)のほうが一般的には有名。5番はウイーン・フィル(シャルク改訂版、1956年ステレオ録音)で比較的新しい。その後、ミュンヘン・フィルとのライブ盤(収録:1959年3月19日 ミュンヘン)がリリースされ大きな話題となった。これもミュンヘン盤について、HMV レビュー を一部引用しておこう。
「・・演奏は全体に、ライヴのクナッパーツブッシュならではのアクティヴな音楽の表情、強烈なコントラストと味のあるアゴーギクがたいへんに効果的なもので、第1楽章冒頭のピツィカートから、ドスの効いた低音と動的な表情がたまりません。第3主題も素朴な逞しさと無垢な美しさが並存する見事な演奏であり、絶妙すぎるテンポ・ルバートと共に忘れがたい感銘を与えてくれます。
クナッパーツブッシュが愛好した『シャルク改訂版』による演奏のため、原典版に慣れた耳には驚く個所もいくつかありますが、第4楽章フーガおよび二重フーガにおけるティンパニ追加や、コーダでの賑やかな打楽器追加など、演奏が良いためむしろ効果的と思える部分も少なくないのが面白いところです」。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1259358
7番もウイーン・フィル(収録:1949年8月30日、ザルツブルク[ライヴ])。7番では新しいケルン放送交響楽団盤(収録:1963年5月10日)もあり。 さて8番だが、有名なのはなんと言ってもミュンヘン・フィル盤(1963年)。スタジオ録音とライヴ盤の2種がある。本収録盤はベルリン・フィル(1951年)とだが、ほかにバイエルン国立(1955年12月)とのコンビ盤もあり8番はいろいろな演奏が楽しめる。本8番と次の9番のカップリング盤についてのHMV レビュー を以下、引用しておきたい。
「クナッパーツブッシュ/ブルックナー第8&9番 1951&1950年録音。 正規の音源によるため、モノラルながら年代の割に音質が良いのが朗報(特に8番)。演奏の最大の特徴は、両曲ともに、改訂版を用いているという点。周知のように、ブルックナーの取り巻きたちによって、後期ロマン派風に変質させられたこのヴァージョンは、劇的な効果を追求した結果としての“改変”が随所に見受けられ、原典版に慣れた耳には楽しい驚きの連続ですが、骨の髄からワグネリアンであったクナッパーツブッシュには、あるいは自然なことだったのかも知れません。何しろ、残された数多くの録音のすべて(第3・4・5・7・8・9番)が、改訂版使用による演奏なのですから。
そのクナ自身も、後年、ミュンヘン・フィルとの第8番(ライヴ、スタジオ共に)では、ここまで過激なことは行っておらず、終楽章第3主題部など、実に大きな差があります。ちなみに、曲尾のティンパニは、ミュンヘン盤が、クナ独自仕様の三和音叩き分け型、ベルリン盤は、楽譜通りのトレモロ型です」。 http://www.hmv.co.jp/product/detail/503940
最後は上記でもコメントされているベルリン・フィルとの9番(1950年)。これもミュンヘン・フィル盤(収録:1958年2月10日)やバイエルン国立盤(1958年2月録音)もある。
2008年1月にはこう書いた。
■ブルックナー/メモランダムⅩ③ークナッパーツブッシュ
クナッパーツブッシュという指揮者は、エピソードを読む限り、人間的な魅力に富んでいたようです。ナチスに対してはぎりぎりまで節を曲げずに一定の距離をおきますが、それがゆえに戦時中は「干されて」苦労します。が、戦後は逆に比較的早くから音楽活動を再開することができました。
練習嫌いでは「名うて」ながら、それがゆえに一回の演奏に燃え上がる「ライブ派」からは、絶対の評価があります。オケも練習に血道をあげて成果がいまいちのうだつの上がらない指揮者に比べ、事前に「楽して」、本番勝負で名演なのですから人気があったこともわかります。
お顔はどちらかと言えば、魁偉な風貌で取っつきにくい印象ですが、茶目っ気があり気さくな人柄が愛されたとの多くの証言があります。 フルトヴェングラーと同時代を生きながら、暗い苦闘の時代のマエストロといったパセティックな雰囲気とはほど遠く、結構、人生の楽しみ方を心得ていた達人といったイメージを醸し出してもいます。
しかし、その音楽の構成力の「桁違い」の大きさや、ズービン・メータをして「ここまで遅くしてもダレない演奏ができるのは、音楽の本質を深く捉えていたからだ」と賛嘆させた、時に超スローな演奏スタイルといい、また、突然の急降下・急上昇ができる戦闘機の高度なパイロットのような(オケの)操縦術といい将に「天衣無縫」な偉丈夫ぶりです。
トスカニーニが抜群の記憶力を誇り、暗譜で指揮することを旨としていたことー実は強度な近眼だった!ーを皮肉って「俺は眼が見えるからね(暗譜はしない)」と言ったとか言わなかったとか・・。しかし、実際は譜面台の総譜を全くめくらなかったとも。面白い人です。
その明るさがブルックナーの健全な魂ともしかすると共鳴する部分があるのではないでしょうか。これこそが聴き終わったあとのスカッとした爽快感の源泉かも知れません。破顔大笑したチャーミングな表情がジャケットになったり、多くのファンから「クナ」と愛称されたことなども、思わず手元のCDに手を伸ばしてしまう吸引力のなせる技か。私は、周期的に聴きたくなる常連のリスナーです。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!945.entry?&_c02_owner=1
2008年3月にはこう書いた。
■ブルックナー3番 (クナッパーツブッシュ、セル、ベーム、ヴァント)
①クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィル(1954年:スタジオ録音)ノヴァーク版第3稿
②セル/シュターツカペレ・ドレスデン(1965年:ザルツブルク音楽祭ライヴ)1888~89年版
③ベーム/ウイーン・フィル(1970年:スタジオ録音)ノヴァーク(1958年ブルックナー協会)版
④ヴァント/ケルン放送交響楽団(1981年:スタジオ録音)ノヴァーク版第3稿
以上の4枚を聴き比べる、というと正確ではない。①をずっとCDプレイヤーに入れて持ち歩いて聴いている。ほかのクナッパーツブッシュの演奏でも記したとおり、いわゆる「大見得を切り、大向こうを唸らせるような」演奏であり、(自分もその一人だが)クナッパーツブッシュ好きなら、<堪らない>節回しである。もっとも、クナッパーツブッシュは同番についてステレオ録音をふくめ多くの記録を残しているが、1954年盤は珍しくスタジオ録音盤である。
①を聴いていて、別のアプローチを味わいたくて②を取り出す。その感想については下記のとおりだが、セルについては同じザルツブルクでの7番もあり、両方ともに再度、よく聴き直してみたいとは思う。
③は②にいささかの不満を抱いて比較したくて聴く。その感想はすでにいろいろと書いてきたので省略するが、やはり実に良いと思う。これは、自分にとっての<規準盤>である。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1
④は久しぶりに聴く。ヴァントの演奏もベームと似たところがあるが、こちらの方が肌合いが柔らかく、抒情的なメロディの表現の部分ではグッとくる向きもあろう(逆に、人によってそこに好悪もあろうが)。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&page=5
録音時点も、使用版もちがうので一概に比較はできないが、こうして4枚を聴いてくると、いまの自分の感性では、やはりクナッパーツブッシュが頭一つ抜けているように思う。ベームの緊張感溢れる演奏は平均的にみてベストと思いつつ、肩の力を抜いて、「ひらり」と演奏してしまうような軽ろみの美学がクナッパーツブッシュにはあり、これが他の指揮者とは大いに違う点だと思う。クナッパーツブッシュ自身、ブルックナーが好きで、各曲の解釈に絶対の自信をもち、かつ、ある意味、ご本人はこよなく楽しんで演奏しているような大家の風情がある。
しかも、それはけっして単調、単純な演奏ではなく、ときにパッショネイト丸出しのように振る舞うかと思うと、一転、沈着冷静に構えたりと一筋縄ではいかない。その<意外性>こそ、この晦渋なる3番でのクナッパーツブッシュの面目躍如と言えそうだ。http://shokkou3.blogspot.com/2007_12_01_archive.html
今日はクナッパーツブッシュを聴いている。ミュンヘン・フィルを振った1959年3月19日の5番のライヴ盤を聴きながら、このブログと別ブログで書いたものの一部を整理してみた。
2006年9月にこう書いた。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー第4番
1955年録音。レーヴェとシャルクの監修版という<オリジナル重視派>にとっては、おそらくは批判すべきバージョンによる演奏でしょう。また、最近の優れた録音に慣れたリスナーにとっては、壁1枚隔てて聞いているような、言われぬもどかしさが部分的にあるかも知れません。
しかし、以上の要素を考慮したとしても、この4番は「名演」です。どの版を採用するか以前に、作曲者への共感がどれくらいあるかが根本的に重要でしょうし、レーヴェもシャルクもブルックナーの忠実な使徒でした。「師匠」の音楽をなんとか多くの聴衆にわかってもらいたいと念じて奔走しました。そうした改訂者の思いを全て「込み」で受けて、クナッパーツブッシュが指揮台に立ったとしたら・・。
そうしたことを想起して本盤を聴かれたら、まずは素朴な演奏だなと思われるのではないでしょうか。テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウイーンフィルならではです)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられます。想像の世界ですが、古き良きウイーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があります。
多少の音の荒さは無視して、少しだけ音量を上げて楽しんで下さい。指揮者もオケもブルックナーに深く没入しているのが伝わってきます(一部割愛) 。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&page=4
2007年2月にこう書いた。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー第8番
今日聴いているのは1951年1月7~8日にかけて録音されたベルリン・フィルとの演奏(1892年改訂版)です。ジャケットはひび割れCD自体もかなり痛んできてそろそろ買い換え時期にある1枚です。
1963年のミュンヘン・フィルとのライヴ演奏があまりにも有名で、かつ録音時点も本盤は古いことから一般にはあまり注目されませんが、これも素晴らしい演奏です。
クナッパーツブッシュの魅力は、うまく表現できませんが、独特の「節まわし」とでもいうべきところにあるのではないかと感じます。特に変調するときのリズムの刻み方などに彼特有のアクセントがあるような気がします。それがいまはあまり演奏されない「改訂版」の採択と相まって、通常の演奏とかなり異なった印象を醸す要因となっていると思います。
ベルリン・フィルの演奏は今日の精密機械にも例えられる機能主義的ではなく、もっとプロ・ドイツ的な古式の響きを感じさせますが、しっかりと8番の「重さ」を受け止めて質感あるブルックナー像を浮かび上がらせています。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー第5番
これもジャケットが傷だらけの古い友人のようなCDです。1956年6月。ウイーン・フィルとの演奏(改訂版)。先に記した51年のベルリン・フィルとの8番との比較では、レーベルの違いももちろんありますが、この5年間で録音もオーケストラの質量もはるかに豊かに聴こえることに気づきます。
ブルックナーの演奏では抑揚感というか、ダンスのステップを踏むような軽快さが心地よく気持ちを盛り上げてくれるスケルツオも楽しみの一つです。5番の第3楽章のモルト・ヴィヴァーチェは早いテンポのなか、畳み込むようなリズム感にあふれ、かつ特有の明るい和声が身上ですが、ここでクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルはなんとも見事な名人芸を披露してくれます。
第4楽章はシャルクの手が大幅に入り、原典版に比して100小節以上のカットがあるといわれますが、峨々とした峡谷をいく流量の多い大河の流れにも似たクナッパーツブッシュの運行では、そうした割愛の不自然さをあまり意識させません。あるいは、自分がこの演奏に慣れすぎているせいかも知れませんが、これはこれで納得し良いと思ってしまいます。
そこも大家の腕かも知れません。聴き終わって実に充足感が味わえる1枚です。
2007年12月にこう書いた。
■クナッパーツブッシュ ブルックナー選集
・交響曲第3番(録音:1954年10月11日)バイエルン国立歌劇場管弦楽団
・交響曲第4番(1944年9月8日)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第5番(1956年6月)ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第7番(1949年8月30日)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第8番(1951年1月8日)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第9番(1950年1月28日)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
この選集が良いのは3番から9番までのラインナップに加えて、録音時点ではもっとも早い4番(1944年)から5番(1956年)までの12年間の軌跡を追えること、そして3つの楽団での演奏が聴けることだろう。
3番についてはウイーン・フィル盤(1954年4月スタジオ録音)と同年の演奏、その後ウイーン・フィルとは有名なライヴ盤(1960年2月14日、ムジークフェライン大ホール)がある。このライヴ盤についてのHMV レビュー が両者を比較しているので以下、参考までに引用しておこう。
「有名なDECCAのスタジオ盤の6年後におこなわれた演奏。一連のクナッパーツブッシュのブルックナー録音と同じく、ここでも改訂版が用いられていますが、この作品の場合、小節数が最も一般的なノヴァーク第3稿と同じこともあり、さほどの違和感はありません。第8番と同様に原典版との差が比較的少ないため、安心してクナの音楽に浸ることが可能です。
拍手嫌いのクナらしく、ここでも聴衆の拍手が鳴り止まないうちに演奏が開始されます。冒頭からリズムの良い実にクナらしい進行で、ウィーン・フィルの弾力ある弦と味のあるウィンナ・ホルンの絡みが絶妙。音質が生々しいため、荒々しく巨大な第1主題部と、気持ちのこもった美しい第2主題部のコントラストも強烈で、クナッパーツブッシュの第3が特別な存在であることをすでに十分過ぎるくらいに印象付けてくれます。
第2楽章と第3楽章は、スタジオ盤に較べて少々テンポの速くなっている部分で、演奏に独特の勢いの良さがありますが、第2楽章第2主題部などの美しい旋律は徹底的に歌いこまれているため、ここでもやはり強いコントラストが感じられます。スケルツォ主部での豪快かつパワフルな演奏も見事。トリオも実に愉快です。 第4楽章は、スタジオ盤に較べて、より柔軟なアゴーギクが印象的。しかもウィーン・フィルの豊麗なサウンドが非常に効果的に作用しており、第4楽章第2主題でのとろけるような美しさや、コーダの圧倒的なスケールなどこのコンビでなければ不可能な深い味わいがたまりません」。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1918899
なお、3番についてはこのほかにミュンヘン・フィルを振ったライヴ盤(1964年1月16日)もある。本収録盤はバイエルン国立との協演であるところが聴き所だろう。4番はベルリン・フィル(1944年)だが、これはウイーン・フィル盤(1955年3月)のほうが一般的には有名。5番はウイーン・フィル(シャルク改訂版、1956年ステレオ録音)で比較的新しい。その後、ミュンヘン・フィルとのライブ盤(収録:1959年3月19日 ミュンヘン)がリリースされ大きな話題となった。これもミュンヘン盤について、HMV レビュー を一部引用しておこう。
「・・演奏は全体に、ライヴのクナッパーツブッシュならではのアクティヴな音楽の表情、強烈なコントラストと味のあるアゴーギクがたいへんに効果的なもので、第1楽章冒頭のピツィカートから、ドスの効いた低音と動的な表情がたまりません。第3主題も素朴な逞しさと無垢な美しさが並存する見事な演奏であり、絶妙すぎるテンポ・ルバートと共に忘れがたい感銘を与えてくれます。
クナッパーツブッシュが愛好した『シャルク改訂版』による演奏のため、原典版に慣れた耳には驚く個所もいくつかありますが、第4楽章フーガおよび二重フーガにおけるティンパニ追加や、コーダでの賑やかな打楽器追加など、演奏が良いためむしろ効果的と思える部分も少なくないのが面白いところです」。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1259358
7番もウイーン・フィル(収録:1949年8月30日、ザルツブルク[ライヴ])。7番では新しいケルン放送交響楽団盤(収録:1963年5月10日)もあり。 さて8番だが、有名なのはなんと言ってもミュンヘン・フィル盤(1963年)。スタジオ録音とライヴ盤の2種がある。本収録盤はベルリン・フィル(1951年)とだが、ほかにバイエルン国立(1955年12月)とのコンビ盤もあり8番はいろいろな演奏が楽しめる。本8番と次の9番のカップリング盤についてのHMV レビュー を以下、引用しておきたい。
「クナッパーツブッシュ/ブルックナー第8&9番 1951&1950年録音。 正規の音源によるため、モノラルながら年代の割に音質が良いのが朗報(特に8番)。演奏の最大の特徴は、両曲ともに、改訂版を用いているという点。周知のように、ブルックナーの取り巻きたちによって、後期ロマン派風に変質させられたこのヴァージョンは、劇的な効果を追求した結果としての“改変”が随所に見受けられ、原典版に慣れた耳には楽しい驚きの連続ですが、骨の髄からワグネリアンであったクナッパーツブッシュには、あるいは自然なことだったのかも知れません。何しろ、残された数多くの録音のすべて(第3・4・5・7・8・9番)が、改訂版使用による演奏なのですから。
そのクナ自身も、後年、ミュンヘン・フィルとの第8番(ライヴ、スタジオ共に)では、ここまで過激なことは行っておらず、終楽章第3主題部など、実に大きな差があります。ちなみに、曲尾のティンパニは、ミュンヘン盤が、クナ独自仕様の三和音叩き分け型、ベルリン盤は、楽譜通りのトレモロ型です」。 http://www.hmv.co.jp/product/detail/503940
最後は上記でもコメントされているベルリン・フィルとの9番(1950年)。これもミュンヘン・フィル盤(収録:1958年2月10日)やバイエルン国立盤(1958年2月録音)もある。
2008年1月にはこう書いた。
■ブルックナー/メモランダムⅩ③ークナッパーツブッシュ
クナッパーツブッシュという指揮者は、エピソードを読む限り、人間的な魅力に富んでいたようです。ナチスに対してはぎりぎりまで節を曲げずに一定の距離をおきますが、それがゆえに戦時中は「干されて」苦労します。が、戦後は逆に比較的早くから音楽活動を再開することができました。
練習嫌いでは「名うて」ながら、それがゆえに一回の演奏に燃え上がる「ライブ派」からは、絶対の評価があります。オケも練習に血道をあげて成果がいまいちのうだつの上がらない指揮者に比べ、事前に「楽して」、本番勝負で名演なのですから人気があったこともわかります。
お顔はどちらかと言えば、魁偉な風貌で取っつきにくい印象ですが、茶目っ気があり気さくな人柄が愛されたとの多くの証言があります。 フルトヴェングラーと同時代を生きながら、暗い苦闘の時代のマエストロといったパセティックな雰囲気とはほど遠く、結構、人生の楽しみ方を心得ていた達人といったイメージを醸し出してもいます。
しかし、その音楽の構成力の「桁違い」の大きさや、ズービン・メータをして「ここまで遅くしてもダレない演奏ができるのは、音楽の本質を深く捉えていたからだ」と賛嘆させた、時に超スローな演奏スタイルといい、また、突然の急降下・急上昇ができる戦闘機の高度なパイロットのような(オケの)操縦術といい将に「天衣無縫」な偉丈夫ぶりです。
トスカニーニが抜群の記憶力を誇り、暗譜で指揮することを旨としていたことー実は強度な近眼だった!ーを皮肉って「俺は眼が見えるからね(暗譜はしない)」と言ったとか言わなかったとか・・。しかし、実際は譜面台の総譜を全くめくらなかったとも。面白い人です。
その明るさがブルックナーの健全な魂ともしかすると共鳴する部分があるのではないでしょうか。これこそが聴き終わったあとのスカッとした爽快感の源泉かも知れません。破顔大笑したチャーミングな表情がジャケットになったり、多くのファンから「クナ」と愛称されたことなども、思わず手元のCDに手を伸ばしてしまう吸引力のなせる技か。私は、周期的に聴きたくなる常連のリスナーです。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!945.entry?&_c02_owner=1
2008年3月にはこう書いた。
■ブルックナー3番 (クナッパーツブッシュ、セル、ベーム、ヴァント)
①クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィル(1954年:スタジオ録音)ノヴァーク版第3稿
②セル/シュターツカペレ・ドレスデン(1965年:ザルツブルク音楽祭ライヴ)1888~89年版
③ベーム/ウイーン・フィル(1970年:スタジオ録音)ノヴァーク(1958年ブルックナー協会)版
④ヴァント/ケルン放送交響楽団(1981年:スタジオ録音)ノヴァーク版第3稿
以上の4枚を聴き比べる、というと正確ではない。①をずっとCDプレイヤーに入れて持ち歩いて聴いている。ほかのクナッパーツブッシュの演奏でも記したとおり、いわゆる「大見得を切り、大向こうを唸らせるような」演奏であり、(自分もその一人だが)クナッパーツブッシュ好きなら、<堪らない>節回しである。もっとも、クナッパーツブッシュは同番についてステレオ録音をふくめ多くの記録を残しているが、1954年盤は珍しくスタジオ録音盤である。
①を聴いていて、別のアプローチを味わいたくて②を取り出す。その感想については下記のとおりだが、セルについては同じザルツブルクでの7番もあり、両方ともに再度、よく聴き直してみたいとは思う。
③は②にいささかの不満を抱いて比較したくて聴く。その感想はすでにいろいろと書いてきたので省略するが、やはり実に良いと思う。これは、自分にとっての<規準盤>である。
http://shokkou.spaces.live.com/blog/cns!9E9FE7463122BF4E!941.entry?&_c02_owner=1
④は久しぶりに聴く。ヴァントの演奏もベームと似たところがあるが、こちらの方が肌合いが柔らかく、抒情的なメロディの表現の部分ではグッとくる向きもあろう(逆に、人によってそこに好悪もあろうが)。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A185EQOC8GHUCG?ie=UTF8&display=public&page=5
録音時点も、使用版もちがうので一概に比較はできないが、こうして4枚を聴いてくると、いまの自分の感性では、やはりクナッパーツブッシュが頭一つ抜けているように思う。ベームの緊張感溢れる演奏は平均的にみてベストと思いつつ、肩の力を抜いて、「ひらり」と演奏してしまうような軽ろみの美学がクナッパーツブッシュにはあり、これが他の指揮者とは大いに違う点だと思う。クナッパーツブッシュ自身、ブルックナーが好きで、各曲の解釈に絶対の自信をもち、かつ、ある意味、ご本人はこよなく楽しんで演奏しているような大家の風情がある。
しかも、それはけっして単調、単純な演奏ではなく、ときにパッショネイト丸出しのように振る舞うかと思うと、一転、沈着冷静に構えたりと一筋縄ではいかない。その<意外性>こそ、この晦渋なる3番でのクナッパーツブッシュの面目躍如と言えそうだ。http://shokkou3.blogspot.com/2007_12_01_archive.html
日曜日, 6月 01, 2008
ヴァント ブルックナー2番
1番、2番のカップリング。1番はウイーン稿による佳演。2番については下記の指摘がある。1番ではリンツ版の秀演ノイマンについて記したところ。この2番のヴァントはいいなあと思う。力みなく、ケルン響とブルックナーの最良の部分を引き出していこうじゃないか・・とはじめた全集づくりという気がする。
何度も聴いての感想。ジュリーニ、ヨッフムとともに至高の演奏。カンタービレの強調も、少しく劇的な解釈の適用もなく、全くの自然体の構えの演奏ながら、作曲家の思いを目一杯盛り込もうとするような作曲家との<距離の近さ>が身上か。だからこそ1番は練りに練ったウイーン改訂版を用い、この2番でもベートーヴェン的な援用は思い切ってベートーヴェン的に、ワーグナーから影響のあるメロディは、これまた、それらしく時に雄々しく、時にリリックにと奏でているように聞こえる。もしも客席にブルックナーがいたら、リヒターに対してよろしく、感謝して握手を求めてくるような・・心情の名演である。
「ヴァントは、北ドイツ放送交響楽団とはブルックナーの交響曲第1、2番を録音していない(ケルン放送交響楽団とは交響曲全集を完成している)。交響曲第1番を振らない理由としてヴァントは、同曲が病的な作品であるからだ、と述べている(なお、交響曲第2番の第1、2楽章については肯定的な評価を下しており、同曲を晩年に振らなかった理由は詳らかでない)。この、交響曲第1、2番の演奏を避けるという選択は、やはりブルックナー指揮者として有名なチェリビダッケと共通する。
※交響曲第2番に関して:ヴァントはこの曲について、「これはもう録音したでしょう」と発言している。これは、あるインタヴューにおいて「『もうその作品は何度も指揮されたではないですか』と言われると、私は悲しくなりますよ」と述べ、特に最晩年においては同じ作品を繰り返し演奏したヴァントとしては異例のことである。理由としては、ケルン放送交響楽団との録音に相当満足していたのではないかということが考えられる。同様の例としては、シューベルトの交響曲第2番が挙げられよう。彼は、ケルン放送交響楽団との録音に満足し、これ以上の演奏は出来ないと考えて、その後この曲を録音することはなかった」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
何度も聴いての感想。ジュリーニ、ヨッフムとともに至高の演奏。カンタービレの強調も、少しく劇的な解釈の適用もなく、全くの自然体の構えの演奏ながら、作曲家の思いを目一杯盛り込もうとするような作曲家との<距離の近さ>が身上か。だからこそ1番は練りに練ったウイーン改訂版を用い、この2番でもベートーヴェン的な援用は思い切ってベートーヴェン的に、ワーグナーから影響のあるメロディは、これまた、それらしく時に雄々しく、時にリリックにと奏でているように聞こえる。もしも客席にブルックナーがいたら、リヒターに対してよろしく、感謝して握手を求めてくるような・・心情の名演である。
「ヴァントは、北ドイツ放送交響楽団とはブルックナーの交響曲第1、2番を録音していない(ケルン放送交響楽団とは交響曲全集を完成している)。交響曲第1番を振らない理由としてヴァントは、同曲が病的な作品であるからだ、と述べている(なお、交響曲第2番の第1、2楽章については肯定的な評価を下しており、同曲を晩年に振らなかった理由は詳らかでない)。この、交響曲第1、2番の演奏を避けるという選択は、やはりブルックナー指揮者として有名なチェリビダッケと共通する。
※交響曲第2番に関して:ヴァントはこの曲について、「これはもう録音したでしょう」と発言している。これは、あるインタヴューにおいて「『もうその作品は何度も指揮されたではないですか』と言われると、私は悲しくなりますよ」と述べ、特に最晩年においては同じ作品を繰り返し演奏したヴァントとしては異例のことである。理由としては、ケルン放送交響楽団との録音に相当満足していたのではないかということが考えられる。同様の例としては、シューベルトの交響曲第2番が挙げられよう。彼は、ケルン放送交響楽団との録音に満足し、これ以上の演奏は出来ないと考えて、その後この曲を録音することはなかった」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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