日曜日, 6月 01, 2008

ヴァント ブルックナー2番

 1番、2番のカップリング。1番はウイーン稿による佳演。2番については下記の指摘がある。1番ではリンツ版の秀演ノイマンについて記したところ。この2番のヴァントはいいなあと思う。力みなく、ケルン響とブルックナーの最良の部分を引き出していこうじゃないか・・とはじめた全集づくりという気がする。
   何度も聴いての感想。ジュリーニ、ヨッフムとともに至高の演奏。カンタービレの強調も、少しく劇的な解釈の適用もなく、全くの自然体の構えの演奏ながら、作曲家の思いを目一杯盛り込もうとするような作曲家との<距離の近さ>が身上か。だからこそ1番は練りに練ったウイーン改訂版を用い、この2番でもベートーヴェン的な援用は思い切ってベートーヴェン的に、ワーグナーから影響のあるメロディは、これまた、それらしく時に雄々しく、時にリリックにと奏でているように聞こえる。もしも客席にブルックナーがいたら、リヒターに対してよろしく、感謝して握手を求めてくるような・・心情の名演である。

 「ヴァントは、北ドイツ放送交響楽団とはブルックナーの交響曲第1、2番を録音していない(ケルン放送交響楽団とは交響曲全集を完成している)。交響曲第1番を振らない理由としてヴァントは、同曲が病的な作品であるからだ、と述べている(なお、交響曲第2番の第1、2楽章については肯定的な評価を下しており、同曲を晩年に振らなかった理由は詳らかでない)。この、交響曲第1、2番の演奏を避けるという選択は、やはりブルックナー指揮者として有名なチェリビダッケと共通する。
※交響曲第2番に関して:ヴァントはこの曲について、「これはもう録音したでしょう」と発言している。これは、あるインタヴューにおいて「『もうその作品は何度も指揮されたではないですか』と言われると、私は悲しくなりますよ」と述べ、特に最晩年においては同じ作品を繰り返し演奏したヴァントとしては異例のことである。理由としては、ケルン放送交響楽団との録音に相当満足していたのではないかということが考えられる。同様の例としては、シューベルトの交響曲第2番が挙げられよう。彼は、ケルン放送交響楽団との録音に満足し、これ以上の演奏は出来ないと考えて、その後この曲を録音することはなかった」。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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