日曜日, 10月 25, 2009

ブルックナー 徒然

 ブルックナーの音楽には、碩学が指摘するように、ちょっとユニークな特色がある。以下、 ウィキペディア(Wikipedia)を下敷きにメモしておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

◆ブルックナー開始
 第1楽章冒頭、原始霧と言われる最弱音の弦楽器のトレモロで始まる手法。交響曲第2,4,7,8,9番に採用されている。これはベートーヴェンの交響曲第9番と共通するが、なぜ、各曲の冒頭に、ここまで拘って同種のイントロを置いたかは謎である。「早朝、徐々に薄れていく霧の向こうから音楽がはじまる」といったイメージである。

◆ブルックナー休止
 交響曲第2番に象徴的だが、楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法。よって4楽章の交響曲でも、慣れないリスナーはいったい、いつ楽章がかわるのかに戸惑う。これはパイプオルガン奏者だったブルックナーがオルガンの技法を交響曲に取り入れたとも言われる。

◆ブルックナー・ユニゾン
 オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられるが、凡庸な演奏ではリスナーにとって苦痛になる単純さとその繰り返しの要因でもある。朝比奈隆は、オーケストラ(特に弦楽器、朝比奈自身が、優れたヴァイオリン奏者であった) にとって、集中力の維持が難しい要素と言っているが、それも頷けるものであろう。


◆ブルックナー・リズム
 「(2+3) によるリズム 。第4,6番で特徴的である。(3+2) になることもある。金子建志は、初期の稿では5連符として書かれているが、改訂稿ではブルックナー・リズムに替えられていることを指摘して、演奏を容易にするための改変だったのではないかとしている。複付点音符と旗の多い短い音符の組み合わせで鋭いリズムを構成する方法(9番)などがある」と記載されるが、実は、その刻み方のほうが特徴的。ザクザクと刻む部分に包丁の切れ味を連想して、ここが好きになる向きもいるだろう。


◆ブルックナー・ゼクエンツ
 ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られる。 ゼクエンツの執拗なまでの多用は、彼が神経症を患っていたこととの関連性があるようにも思う。砂粒まで数えないといけないと思いこむブルックナーは、本当に音型を粘着質に繰り返す。ブルックナー嫌いが生まれる要因でもあり、弟子がなんとか短縮させようと苦労した部分でもある。

◆コーダと終止
 「コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げる」と記載されるが、コーダこそブルックナーにとってとても重要な要素であった。単調に見えながら、実は音楽の「起承転結」にこだわるブルックナーにとって、コーダはその重要な転換点、間仕切りであったと思う。

◆和声
 「ブルックナーの和声法で、従来響きが濁るので多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、属9の和音以上に現れる9の音のAbが半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとEbが半音違いで鳴ること。もう一つは
対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なる。
またブルックナーにおいては、
ワーグナートリスタン和音がそのまま使れていることがある。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多い。和音の機能をはっきりさせるために密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因である」と記載される。
 ゼヒターの禁則処理を破った技法ともいわれるが、確固たるメロディ構築とその揺らぎが交互にあらわれるといったらどうだろうか。この禁則処理こそ、ブルックナー音楽の新鮮さを印象づけ、マーラーなど次世代へ大きな影響を与えた彼の独創でもあった。

 さて、以上のブルックナー音楽の特色は、当時のウイーン・フィル(上記写真は今日のウイーン・フィル)にとっては、とても奇異に感じたであろう。初演の演奏拒否や演奏しても身が入らなかったエピソードは、当時としては致し方なかったかも知れない。
 しかし、プロを評価するのもプロであり、その斬新さと保守性の両立、エネルギッシュな部分と繰り返しの単調さの部分の併存にいちはやく気がついていたのもウイーンの彼らである。時代は移って、いまブルックナーはウイーン・フィルにとってメインの演目であり、幾多の名演を紡ぎ出しているのも、上記の特質を彼らが熟知しているからであり、それを補完する術を知っているからではないかと思う。そして、気難しい彼らに、それを完全に植え付けたのは、フルトヴェングラーであり、クナッパーツブッシュであり、ワルターであり、ベームであり、そしてカラヤンであった。しかも、かかる指揮者はいずれも同じ音楽で、ここまで違うかというくらいテクストを自分なりに解釈し、上記要素を創意工夫をして際だたせている。そこがテンポ設定とともに、ブルックナー演奏比較の妙味である。

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