【第3番】1979年、オルトルン・ヴェンケル(コントラルト)
マーラーの1,2番、そして後年の交響曲は、長大ではあってもメッセージ性がクリアで、その音楽に比較的入りやすい。しかし、この3番は別である。
本曲はときおり、「夏の交響曲」と呼ばれることもあるが、当初、マーラーが「幸福な生活-夏の夜の夢」という標題を与えたことによる。しかし、この曲には、一般にわれわれが抱く、灼熱の夏、あるいは避暑地の夏、どちらのイメージもそぐわない。本曲を聴きながら「夏」とはなにかをあえて問えば、人生の「朱夏」のときかな、と思う。すなわち、青春、朱夏、白秋、玄冬のもっとも輝くとき、といった想像である。
さらに、全7楽章には以下の標題があると言われる。
第1楽章 「森が私に語ること-岩山が私に語ること-牧神(パン)が目覚める、夏が行進してくる(ディオニュソスの行進)」
第2楽章 「草原の花々が私に語ること」
第3楽章 「夕暮れが私に語ること-森の獣が私に語ること」
第4楽章 「夜が私に語ること-人間が私に語ること」
第5楽章 「カッコウが私に語ること-朝の鐘が私に語ること-天使が私に語ること」
第6楽章 「愛が私に語ること・父様はぼくの傷口を見てくださる」
第7楽章 「子供が私に語ること・天上の生活」
ここには自然を連想させる多くの言葉が盛り込まれている。しかし、嵐や小川といった自然を具象的に表現するような感じはあまり受けない。同様に、さまざまな主体が主人公に語りかけることになっているが、それが何を意味しているのかも不可解な部分もある。
さらに、ニーチェなどの思想の影響を指摘する向きもあり、「悦ばしき知識」、「悦ばしき知識(楽しい学問)-夏の朝の夢」などの標題も作曲家本人が語っている。しかし、引用句をふくめ、その主張はそう判然としていないように思う。
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