Heifetz その至芸 を聴く
このロシア(ウクライナ)出身で、早くからアメリカに亡命した希代の大家は、圧倒的な力量を誇った第一人者であり、古典のみならず同時代音楽(すなわち現代音楽)にも造詣が深かった。以下は協奏曲における代表的な演奏についての寸評である。
◇ベートーヴェン
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲については、トスカニーニ/NBC響(1940年3月11日 ニューヨーク、NBCスタジオ)との旧盤もよく知られている。本盤は、ミュンシュ/ボストン響との協演(1955年11月27&28日 ボストン・シンフォニーホール)だが、15年の年月をへて演奏スタイルは大きく異なっている。
旧盤の激しく強いベートーヴェン像はここにはなく、静かで深い響きが全体を支配している。オーケストラの抑制的で包み込むようなバックと融合して、諦観的ともいえる表情の繊細な変化にこそ特色がある。緩やかに奏でられる第2楽章に耳を傾けて、こんなに優しく美しい曲だったのかと改めて驚く。終楽章は明るい色調で、さらに美しさに磨きがかかり、とくに微音の囁きに息をのむ。強奏の魅力を味わいたいリスナーには向かないが、本曲の美々しさを表現した典型的な1枚である。
◇ブラームス
ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調は、クーセヴィツキー/ボストン響盤2種(1937年12月21日、1939年4月11日 ボストン・シンフォニー・ホール)の古い音源もあるが、本盤はライナー/シカゴ響(1955年2月21&22日 シカゴ・シンフォニーホール)である。
あたかもヴァイオリン独奏付交響曲と見まごうばかりのライナーらしい劇的でシンフォニックなバックを背にして、ハイフェッツもメリハリの利いた緊張感あふれる演奏で臨戦している。第2楽章もオーボエの蠱惑の旋律に一歩も負けない存在感。終楽章もオケとの気迫に満ちた掛け合いが連続する。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲については、トスカニーニ/NBC響(1940年3月11日 ニューヨーク、NBCスタジオ)との旧盤もよく知られている。本盤は、ミュンシュ/ボストン響との協演(1955年11月27&28日 ボストン・シンフォニーホール)だが、15年の年月をへて演奏スタイルは大きく異なっている。
旧盤の激しく強いベートーヴェン像はここにはなく、静かで深い響きが全体を支配している。オーケストラの抑制的で包み込むようなバックと融合して、諦観的ともいえる表情の繊細な変化にこそ特色がある。緩やかに奏でられる第2楽章に耳を傾けて、こんなに優しく美しい曲だったのかと改めて驚く。終楽章は明るい色調で、さらに美しさに磨きがかかり、とくに微音の囁きに息をのむ。強奏の魅力を味わいたいリスナーには向かないが、本曲の美々しさを表現した典型的な1枚である。
◇ブラームス
ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調は、クーセヴィツキー/ボストン響盤2種(1937年12月21日、1939年4月11日 ボストン・シンフォニー・ホール)の古い音源もあるが、本盤はライナー/シカゴ響(1955年2月21&22日 シカゴ・シンフォニーホール)である。
あたかもヴァイオリン独奏付交響曲と見まごうばかりのライナーらしい劇的でシンフォニックなバックを背にして、ハイフェッツもメリハリの利いた緊張感あふれる演奏で臨戦している。第2楽章もオーボエの蠱惑の旋律に一歩も負けない存在感。終楽章もオケとの気迫に満ちた掛け合いが連続する。
◇メンデルスゾーン
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調ではビーチャム(指揮)ロンドン・フィル(1949年6月10日 ロンドン、アビー・ロード・スタジオ)のほか、ミュンシュ(指揮)ボストン響(1959年2月23~25日 ボストン・シンフォニーホール)が、あまねく知られている。
ミュンシュはヴァイオリニストの特質を熟知しており、ハイフェッツの自由度を尊重して最良なものを引き出そうとしているように見受けられる。自然体の構えであり、伸び伸びとした展開。とくに終楽章の掛け合いの楽しさー強奏、強音をあえて抑制し、軽妙洒脱さとちょっぴりのウイッティさをも加味して(おそらくは笑顔まじりに)大円団を迎えるあたりのドライブ感がたまらない。
◇チャイコフスキー
作曲時、超絶技巧ゆえに演奏不可能といわしめた難曲ながら、ハイフェッツは苦もなく楽々と弾ききっているように感じる。どこにも淀みも軋みもなく音楽が滔々と流れていく。ライナーの解釈もあってか全体に劇的で張り詰めた緊張感がつづくが、ハイフェッツは己が流儀をかえず強音よりも表現力の充実に神経を集中している。この時代の録音の特色でオーケストラ・パートがデフォルメされて被さってくるので、今日の録音になれた耳ではやや気に障るかも知れないが、ハイフェッツの至芸を知るうえでは問題はないだろう。
◇シベリウス
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、ビーチャム(指揮)ロンドン・フィル(1935年11月26日 ロンドン、アビー・ロード・スタジオ)もあるが、約四半世紀後、ワルター・ヘンドル(指揮) シカゴ響(1959年1月10&12日 シカゴ・シンフォニーホール)との収録が本盤。
玲瓏としたシベリウスの響きとハイフェッツの使用楽器「ドルフィン」の相性は抜群で、伸びやかで清潔感のあるサウンドは聴いていて至福感がある。求心力の強い第1楽章がとりわけインパクトがあり、瞑目して聴けば北欧の澄んだイメージが広がる。あらゆる音が明確、明瞭、明燦に出力される技術的な巧者ぶりにくわえて、高揚著しい終楽章の迫力も申し分がない。
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以上の5演奏のほか、まだまだ「名演群」があるが次も参考まで。
◇プロコフィエフ
プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番は、ハイフェッツが取り上げたことで、その普及がすすんだと言われる。古くは、作品発表2年後のクーセヴィツキー(指揮)ボストン響(1937年12月20日 ボストン・シンフォニー・ホール)の音源もあるが、本盤は、ミュンシュ(指揮)ボストン響(1959年2月23~25日 ボストン・シンフォニーホール)である。
素朴で親しみやすいメロディが満載された第2楽章アンダンテ・アッサイは、ハイフェッツの独壇場でありさまざまな色調をイメージさせる。終楽章は諧謔的な雰囲気とカスタネットなどの効果的な活用で飽きさせないが、ここでのハイフェッツの妙技は、ヴァイオリンという楽器の表現能力を極限まで追求せんとするかのような凄みも感じさせる。
◇ブルッフ
ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、マルコム・サージェント(指揮)ロンドン響(1951年5月18日 ロンドン、アビー・ロード・スタジオ)のちょうど10年後、同メンバーによる本盤(1961年5月14&16日 ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール。ロンドン響は「新」がつく改変)が収録された。
ブルッフの切れ味のよい、リズミックな旋律が躍動する第3楽章のスケール感が実に豊かで外延的。九十九折のように、螺旋的に高みに登攀していく道のりが明確に示され、ハイフェッツの見事な仕事ぶりが際立つ。
また、同じくブルッフの「スコットランド幻想曲」も同時期、同メンバーで録音されている(1961年5月15&22日 ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール)。なお、旧盤として、スタインバーグ(指揮)RCAビクター響(1947年9月12日 ハリウッド、RCAスタジオ)もある。
◇ヴォータン
ヴュータンのヴァイオリン協奏曲第5番は、マルコム・サージェント(指揮)ロンドン響(1947年11月8日 ロンドン)ののち、同メンバーによる本盤(1961年5月15&22日 ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール。ロンドン響は「新」がつく改変)が収録された。ブルッフもこの時期、同メンバーで再録されている。曲毎に、演奏家の相性を慎重に考えるハイフェッツらしい。
第1楽章(といってもその後の楽章も続いて演奏される)アレグロ・ノン・トロッポの終結部のカデンツァが技巧的にも聴かせどころだが、愛惜の情感をこめてハイフェッツはここで深い沈潜をみせている。静かな中間楽章をへて、胸にせまる主題から一気呵成に短い終楽章への展開の巧さは秀抜。
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