日曜日, 12月 20, 2015

フランス音楽 知的な求心力

ラヴェル:バレエ「ダフニスとクロエ」全曲 他
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デュトワの「ダフニスとクロエ」(全曲版)である。ラヴェルは本曲を交響曲に比定しており、全曲版は50分を超す大曲である。特定の柔和なモティーフがいくども繰り返されることから、心地よき一種の睡眠効果があり、緊張感を持続して最後まで惹きつけるには、並々ならぬ求心力を要する。

ミュンシュ ラヴェル:ダフニスとクロエ(全曲) の歴史的な名演が良く知られるが、ここでは各楽器の特性を前面に、名手の饗宴といったアラカルトな魅力を出していた。対して、デュトワはむしろ純音楽的に、全体の<物語を紡ぐ>といった表題性をいかしたアプローチで、バレエというビジュアルな要素がなくとも、十全に聴き手の想念の世界を喚起するような<真正面>からの取り組みである。

ラヴェルの最高傑作を信任し、自身の解釈に絶対の自信をもっていたからだろう。緻密な音楽構成のもと、微妙なニュアンスの変化に聴き手の神経の波動がセットされれば、その照準のまま最後まで音楽的な満潮・引潮に乗ってドライヴしていく。それによって陶然としたラヴェルの世界に引き込むことは十分に可能と考えていたのではないか。その取り組みは見事に成功していると思う。

ラヴェル:マ・メール・ロア、クープランの墓、他
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デュトワの「マ・メール・ロワ」を聴いて、フランスものでは当代随一という気がした。鋭敏すぎる感覚をそのまま出すことなく、あたかも最上のシルクのヴェールで包み込んだような風情があり、その実、知的なエスプリと卓抜なユーモアをその背後にしかと感じさせる、こういった演奏スタイルはラヴェルにまさに向いている。

前奏曲から第5場まで、マザーグースの寓話が情景とともに浮かび上がる。紡ぎ車の踊り、パヴァーヌでは、眼前に眠れる森の美女が玲瓏として現れるような錯覚すらある。美女と野獣の対話、一寸法師、妖精の園へと聴きすすむにつれ、物語の進行におもわず引き込まれる。所収外だが「ダフニスとクロエ」でも同様な感想をもった。デュトワの妙技といえよう。

Symphonies Fantastique Op 14 / Harold in Italy
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魅力的な演目の組み合わせである。ベルリオーズの『幻想交響曲』、『イタリアのハロルド』(ヴィオラ:ピンカス・ズーカーマン)の代表的2曲に加えて、『ロメオとジュリエット』から「ロメオひとり - キャピュレット家の饗宴」と「愛の情景」が収録されている。
録音は、モントリオールのサントゥスタシュ教会でなされ、残響が豊かで奥行のある音が心地よい。
『幻想』は、デュトワが十八番としていた演目で、構成美を崩さぬ品のある解釈。クリュイタンス盤を彷彿とさせるものがある。一方、『ハロルド』も同様な解釈ながら、こちらは、マルケヴィッチのシャープさには及ばないながら、本曲の特質を見事に浮かびあがらせている。「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」では、ズーカーマンの妙技を際立たせ、「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」は朗々とした讃歌を歌い上げ、「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」ではフォークロア的な親しみやすさを強調し、「山賊の饗宴、前後の追想」のフィナーレも見事な締めくくりである。

ラヴェル:作品集(SACD)
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ブーレーズの名盤(1974年の録音)。ただし、ベルリン・フィル盤ラヴェル:ボレロ、スペイン狂詩曲、他ありこれは旧録音である。
ラヴェルの音楽は、誇り高き本場フランスのオケで・・・といった先入主も(一部には)あるが、早くから米国などで受容された事実が示すように、本来、現代性、コスモポリタン性に富む。しかし、管弦楽曲に関する限り、超一流のオケであることは必須要件だろう。本盤のニューヨーク・フィルはその点では申し分のない技量である。

また、ラヴェルの魅力は、管と弦の<完全融合>のえもいわれぬ<愉悦感>にあると思うが、ブーレーズは実にブレンダー能力の高いシェフである。音量よりも特有の柔らかなリズムと研ぎ澄まされた絶妙な音質に耳を傾ける1枚だろう。

→以上はClassique-La Discotheque Idealeでの聴取による。表記はSACD盤である。

Ravel: Pierre Boulez Conducts
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ボレロ~ラヴェル&ドビュッシー..
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1960〜70年代、日本でのオーマンディの評価は不当に低かったと思う。それはさらに一時代前、かのカラヤン/フィルハーモニー管弦楽団の清新溌剌たる演奏についてすら、音が「軽い」と一刀両断に評論家からいわれたくらい、「重厚なドイツ的な響き」、「艶やかなウイーンの響き」こそ最上といったステロタイプ化された価値観が、当時の日本では根強かったからかもしれない。

それゆえ1967年のオーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団の初来日ライヴをはじめて聴いた人は、その響きの明耀さと技量の確かさに舌をまいたという。それは1970年のセル/クリーヴランド管弦楽団の来日公演でも音色、アンサンブルこそフィラデルフィアとは異なれ同様の驚きがあったことだろう。今日からは隔世の感があるけれど、これは海外来日クラシック音楽界揺籃期の出来事である。

さて本盤。いま虚心坦懐に耳をかたむけると、この曲集の完成度が実に高いことがわかる。特に「ダフニスとクロエ」の色彩感あふれる表現ぶりー水に反射する陽光に似たりーにはぞくぞくするような感動がある。それはオーマンディが巷間いわれるように技術的に「巧い」からだけではなく、曲の本質をしかと掴み、フィラデルフィア管弦楽団と完全共有していたからこそではないかと思わせる。ドビュッシー、ラヴェルといえばミュンシュLa Merやブーレーズラヴェル:作品集(SACD)の演奏も好きだが、この曲集には真似のできないオーマンディ流の自然体の構えと独立の美意識があろう。
 
→いまならEugene Ormandy Conducts 20th Century Classicsでの購入がお奨めです。

La Mer
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 ミュンシュのドビュッシーは最晩年のミュンシュ&パリ管/ドビュッシー:交響詩「海」 他 (Berlioz:Symphonie fantastique&Debussy:La Mer / Munch & Orchestre de Paris (14/11/1967)) があまりにも有名だが、慣れ親しんだボストン響を振った本盤の秀演も甲乙はつけがたいだろう。なによりも豊かな表情と高音部の伸びやかさに特色のあるボストン・サウンドはミュンシュが磨いたものであり、このフランスものの1枚はその到達点を示している。

 全般にテンポがはやく、曖昧さのない歯切れの良いサウンドで、しかもその質量は軽からず重からずの程よさ、ドビュッシーのきらきらと揺らめくような色彩感が幽玄郷にあるごとく示される。こうした至芸はミュンシュの独壇場ともいえるだろう。

→以上はClassique-La Discotheque Idealeでの聴取による。【収録情報】は下記のとおり。

・ドビュッシー:交響詩『海』La Mer(1956年)
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲Pr'lude ' l'Apr's-midi d'un faune(1962年)
・ドビュッシー:交響組曲『春』Suite symphonique 'Printemps'(1962年)
・ドビュッシー:夜想曲Nocturnesより(雲Nuages、祭りF'tes)(1962年)
・イベール:交響組曲『寄港地』Ports of Call(1956年)

Andre Cluytens - Noble Maitre de Musique
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アンドレ・クリュイタンスは、1949年ミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任し、67年逝去するまで君臨する。本集は、フランス国立放送管弦楽団との50年代の録音が中心。よって、パリ管を主とすれば兼任したフランス国立は従、またその後60年代の新録もあるので旧録扱いということもあって、この廉価となっている。
また、同じMEMBRANレーベルからは、すでに10枚組の "Andr' Cluytens / A Collection of His Best Recordings もでており、本集とは下記モーツァルトなど一部演目でダブりもある点も留意。
クリュイタンスの演奏を聴いていると、柔よく剛を制すという言葉を連想する。どの演奏でも角がとれたまろやかな響きは、よく伸びかつ奥行きが深い。
たとえば、いまだ決定的名演といわれる1962年2月新録の フォーレ:レクイエム。下記は遡ること12年前のものだが、その一貫した解釈にまったくブレがないことがわかる。ラヴェル、ダンディなども上品、しなやか、エスプリの効いた佳演。録音の古さは承知で、壮年期のその芸風を知るには良いセットである。 

【収録情報】(記載のないオケはフランス国立放送管弦楽団、カッコ内録音年)

・モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番(1955年)クララ・ハスキル(ピアノ)
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番(1952年)ソロモン(ピアノ)、フィルハーモニア管弦楽団
・フランク:交響曲ニ短調(1953年)
・フォーレ:レクィエム(1950年)マルタ・アンジェリシ(ソプラノ)、ルイ・ノグェラ(バリトン)、モーリス・デュリュフレ(オルガン)サン・ユスターシュ管弦楽団&合唱団
・ビゼー:交響曲ハ長調(1953,1954年)
・ドビュッシー/カプレ編:バレエ音楽『おもちゃ箱』(1953,1954年)
・ラヴェル:『ダフニスとクロエ』第1、2組曲(1953年)
・ラヴェル:組曲『クープランの墓』(1953年)
・ダンディ:フランスの山人の歌による交響曲(1953年)アルド・チッコリーニ(ピアノ)、パリ音楽院管弦楽団

Bolero, Daphnis Et Chloe.2 / La Mer: Sinopoli / Po
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シノーポリ/フィルハーモニア管による「ラヴェル, ドビュッシー」集。「ボレロ」、「ダフニスとクロエ第2組曲」から無言劇、全員の踊り、「海 3つの交響的スケッチ」海の夜明けから真昼まで、波の戯れ、風と海との対話を収録。1988年8月ロンドンでのデジタル録音。
シノーポリがこの曲集が苦手の訳がない。ラテンの血はイタリアもフランスも共通するものも多い。イタリアオペラで鍛えた感性表現は当然、フランスものでもしっくりとくるものもあろう。さて、それに加えて、である。フランス的理詰め、エスプリ、哲学的直観―これらは、いずれもシノーポリの得意とするところ。フランス人はイタリアオペラを好みつつも、安普請なところはちょっと低くみるような「意地悪」もあるが、その優越感のなせるところは、自分たちの文化の背後に、理詰め、エスプリ、哲学的直観があるという自負によるからかも知れない。しかし、シノーポリは最高度にそれらを持っている。


まず「ボレロ」を聴いて参る。わずかに音に混濁があるようにも感じるが、理知的な名演。対して、「ダフニスとクロエ」と「海」は鷹揚としたスタイルであくまでもメローディアスな音楽空間にたゆたうような錯覚がある。しかし、それは単に「上手い」のではなく、音楽(作曲家)のツボを1点、迷うことなく瞬時にぴたりと押さえたような演奏をイメージさせる。
 
(参考)アンセルメ
 
 

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