(原盤)
Vladimir Horowitz, Franz Liszt : Homage To Liszt
Label:RCA Victor Red Seal LM-2584
Format:Vinyl, LP
Country:US
Released:1961
Tracklist
- A1.Funerailles10:20
A2.Au bord d'une source3:27
A3.Valse oubliee2:50
A4.Rakoczy March5:12
B1.Hungarian Rhapsody No. 66:55
B2.Sonetto del Petrarca No. 1046:15
B3.Hungarian Rhapsody No. 2(Arranged By Horowitz) 8:46
- https://www.discogs.com/ja/Vladimir-Horowitz-Franz-Liszt-Homage-To-Liszt/release/6198024
ホロヴィッツのリスト、その古い音源を聴いている。ホロヴィッツの風貌は、どこかメフィストフェレス を連想させる。痩せていて腺病質そうで、沈鬱そうで、ときたまの笑い顔も表情は薄い。
そのメフィストフェレス連想に、もっとも実在感をあたえるのがこのアルバムだろう。
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【第1集の古い音源について】
詩的で宗教的な調べより「葬送」における捌け口なきような激しい怒りの表現、一方、『巡礼の年』第1年『スイス』より「泉のほとりで」や忘れられたワルツ第1番はタッチを極力軽くして繊毛のような特異な音をだしてみせる。同第2年『イタリア』 より「ペトラルカのソネット」では前半は強い甘美性が薫りたつが後半は怒涛のような進撃。そして伝説のハンガリー狂詩曲第15番「ラコッツィ行進曲」と同第2番、音は割れてひどい響きだが、ピアノを叩き壊すような大音響とこれでもかといわんばかりの高速のパッセージ処理、そしてリズムの躍動と技巧の極致。これはホロヴィッツ編曲ということで世界中の若手ピアニストをアルピニストに模して「登攀」実験曲となったもの。音の悪さを覚悟して聴けば、そこにあたかも“リストの亡霊”が浮かび上がるような狂気をふくんだ演奏。
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1968年頃からクラシック音楽を聴きはじめた小生にとって、この1965年盤はまだ「はしり」の頃に接したのだが、当時、ホロヴィッツの演奏会への「復帰」は音楽界への一大衝撃だった。なぜなら、12年目ぶりのライヴ演奏、これは一期一会ではないかと思わせるほどの緊張感があったからである(LP盤のFM放送をエア・チェックしていまも持っている)。
しかし、結果的に本盤は「再開のはじめ」にすぎず、翌年 1966年 カーネギー・ホール・コンサート 以降、膨大なディスコグラフィを残すという見通しは当時の日本ではなかったと思う。ホロヴィッツにおけるピアノの超人伝説は、この時から神話ではなくなった。もう一つ、選曲を巡っても、技巧派から思索的演奏への転換といったよくありがちな巷説もあったが、これはより後年の話に修正されることとなる。小生の記憶上の名演という意味で★4だが、いまの冷静なリスナーにはほかの感想もあろう。
➡ Vladimir Horowitz-Complete Recordings on Deutsche Grammophon も参照
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ピアノ協奏曲第3番は、ラフマニノフ自身がオーマンディ/フィラデルフィア響をバックに録音している記念碑的音源ラフマニノフ:自作自演‾ピアノ協奏曲第2番&第3番 がある。一方、同時代人としてオーマンディとともに作曲家から篤い信頼をかちえていたホロヴィッツはライナー盤(1951年)とともに四半世紀をへて、このオーマンディ/ニューヨーク・フィル盤(1978年)を残している。これだけの事実で歴史的名盤の資格は十分すぎるものがある。
その演奏には背筋にひびくような凄みがある。縦横に拡散し、さんざめくラフマニノフの華麗な音響とふと兆すやるせない哀調をこれほどまでに大きく、深く表現した演奏は稀有だろう。特に第3楽章、ライヴならではの異常なファナティックさは「鬼神、ここに降れり」といった風情。
一方、ピアノソナタ第2番はホロヴィッツが伝道師的な役割を果たして、スタンダードにした伝説の曲。はてしなきパッションと強靭な迫力に文字通り圧倒される。
→Classique-La Discotheque Idealeでの購入も一案
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【展覧会の絵について】
ホロヴィッツ編曲版と呼ばれる有名な録音。これがあまりに高度な技巧を要する演奏であったので、以降、ピアニストでこれに挑戦するのはリヒテルの登場まで待たねばならなかったともいわれる一種のレジェンド盤である。
聴いていてまず思うのは、ホロヴィッツが1台のピアノで、あたかもラヴェルのオーケストラ版に匹敵するような芸当をやっているような、あくなき挑戦感である。非常に濃やかな、緻密な表情づけに惹きつけられる一方、オーケストラ版を知っているリスナーは、ピアノでここまで類似表現ができるのかとの驚きをもつ。さて、ここでホロヴィッツは終わらない。ピアノならではの、ある種の即興性を意識して、ライヴ演奏のノリの良さをみせる。おどけてみせてちょっとした笑いを誘ったり、すさまじい加速感で引っ張ったり、強烈な音響でおそらくはホールを震撼させたり、と一瞬たりともリスナーの関心をほかに向かせない。
ホロヴィッツ編曲版には最上のエンターテインメントの提供とでもいうべき側面がある一方、リヒテル盤は、ロシアの土の香りがたちあがるような民族性と一貫した重厚さが支配する。どちらも甲乙つけがたい至芸だが小生は後者が好み。
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