https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2AC44TQJX0V5E/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B017TA9464
初期カラヤンの魅力。一般に、圧倒的なスピード感、メリハリの利いた解釈、気力溢れる演奏。しかし、力押しばかりでなく、ときに柔らかく溌剌としたフレーズが心に滲みてくる。天才的といっていい「切れ味」である。
トスカニーニなどの演奏スタイルを(SP音源で)良く研究しつつ、そのディテールを真似するのではなく、各章を均等にみる全体構成力や大胆なリズム感、加速度的なスピード感の重視といった点を意識しているように思う。特に、モーツァルトでは、あまり音が重くならないよう、弦楽器を巧みにコントロールする配慮もなされており、冴え渡った解釈、しかし上質のデリカシーも内在した演奏。
但し録音時点には十分に留意。SP復刻で演奏の内容が十分わかる程度の音源であることは覚悟すべき。もしも、上記特質を残しつつ一定の水準の録音で、後期2曲について聴きたいリスナーには、Legendary Decca Recordings を推奨。
→ なお、初期カラヤンのラインナップについては、First Recordings も参照
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1947年11月〜12月、ウイーン・ムジークフェライン・ザールでのカラヤン30代の初録音の第9である。当時の新進気鋭、最高のメンバーを集めての意欲作で、SPで発売されたもの。録音は数回に分けて行われ慎重な処理もなされているが、聴いているとライヴ盤のような熱気に包まれている。
古いモノラルながら、驚くほど各パートの音がクリアに拾われており、高音部は音が割れるのは仕方ないとしても、聴いていてそう痛痒は感じない。ウォルター・レッグという秀でた音楽ディレクターの才能ゆえか、また、カラヤンはその録音技法において、レッグから大きな影響を受けたことも 想像にかたくない。この時期のカラヤンは、戦後、連合軍からパージされていた時期であり、レッグに声をかけられて、第一線への復帰途上にあった。
演奏は立派である。カラヤンのスタイリッシュさは、この時期でもその傾向はあるものの、後年の「完成」の域にはいまだ遠く、ウイーン・フィルも戦後の混乱期から脱しきってはいない。少し荒削りのところもあり、部分的には、指揮者とオケで折り合いをつけているようなところもある。
しかし、その一方、モダンな疾走感は聴き手にとって心地よく、自然に次の展開に期待感をふくらませ、そして結果はそれをはるかに上回って進む。そこにこそ感動の規則的な連鎖がはじまる。しかもその背後には若きひたむきな「純粋さ」がある。
絶妙に細かいリズムを刻みながら途切れさせない集中力、メローディアスな部分の濃厚な美しさ、低音部の深みある表現ーー既に後年のカラヤンらしさを感じさせるし、白熱の燃焼度も高い。生硬な感じもなくはないが、それ以上にその音楽の構成力には迸る才能が横溢している。
→Maestro Vol. 1: Herbert von Karajanでも廉価にて購入可能
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1943年9月6〜11日、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との演奏(ブラームスの交響曲ではカラヤン、現存する最初の録音記録)。「レオノーレ」序曲第3番は同時期9月15日の収録。
第1楽章冒頭の重くパセティックな出だしから、基本的にカラヤンの解釈は後年のあまたの録音と変わっていないことに驚く。テンポは遅くじっくりと音を積み上げていく。一方、フレーズは短く艶やかに処理していく。第2楽章のアンダンテ・ソステヌートは、明暗交錯する複雑な心理の綾を表情豊かに描いてみせる。やや濃厚な味わいという気もするが、この時代のコンセルトヘボウの音色ゆえかも知れない。第3楽章に入ると速度を上げ陰から陽への移行提示がこめられる。終楽章の劇的な展開も後年の録音と共通し、すっきりと機敏な進行は思い切りがいい。全般に、なお荒削りながらもブラームス解釈を概成していた早熟なカラヤン像がそこにあり、後年はこれに老練の技が加わっていったという感想をもつ。
→Maestro Vol. 1: Herbert von Karajanでも廉価にて購入可能
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クレンペラーの名盤 ブラームス:ドイツ・レクイエムなどがあり、かつカラヤンも数種の録音を行なっており、果たしてわざわざ初期のカラヤンを聴く意味があるかどうか。
しかし、終戦後まもなく、いまだアメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連の分割支配化のドイツ、オーストリーにあって、ドイツ・レクイエムには演奏者、聴衆ともに言い知れぬ特別の思い入れがあったであろう。シュヴァルツコップはクレンペラー盤でも歌っているが、こちらの方が若き迫真力に富む。ホッターの深い声もじわりと胸に染み渡る。いささかドライブ気味の感もあるが、ウィーン・フィルの全力での臨場もあり鮮烈な印象。カラヤンの非常な集中力に圧倒される歴史的な記録である。
◆ブラームス:ドイツ・レクイエム
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ハンス・ホッター(バリトン)
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音:1947年10月20〜22日、10月27〜29日(モノラル)
➡ ベルリン・フィルとの ブラームス:ドイツ・レクイエム も参照
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1951年、カラヤンのバイロイト音楽祭「デビュー戦」の旧盤。カラヤンの凄まじいまでのプライドと気概が伝わってくる演奏。これはカラヤン・ライブラリイのなかでも、その異質性において、インパクトの強い代物である。カラヤンは自己主張がはっきりしている性格。天下のバイロイトも翌年はでたがその後、演出の考え方の相違で袂をわかって足を運ばず。後にウィーン国立歌劇場とも同様に決裂。既存の権威に対して、いつでも闘うがゆえの「帝王」の呼称か。録音は悪いが、音楽の豊かさ、しなやかさ、抒情性などは聴きもの。素晴らしく純化され、しかし颯爽としたマイスタージンガーの演奏である。
◆キャスト
ハンス・ザックス : オットー・エーデルマン
ヴァルター・フォン・シュトルツィング : ハンス・ホップ
エヴァ : エリザベート・シュヴァルツコップ
ファイト・ポーグナー : フリードリヒ・ダールベルク
クンツ・フォーゲルゲザング : エーリヒ・マイクート
コンラート・ナハティガル : ハンス・ベルク
ジクストゥス・ベックメッサー : エーリヒ・クンツ
フリッツ・コートナー : ハインリヒ・プランツル
バルタザール・ツォルン : ヨゼフ・ヤンコ
ウルリッヒ・アイスリンガー : カール・ミコライ
アウグスティン・モーザー : ゲアハルト・シュトルツェ
ヘルマン・オルテル : ハインツ・タンドラー
ハンス・シュワルツ : ハインツ・ポルスト
ハンス・フォルツ : アルノルド・ヴァン・ミル
ダーフィト : ゲルハルト・ウンガー
マグダレーネ : イラ・マラニウク
夜警 : ヴェルナー・ファウルハーバ
◆合唱 : バイロイト祝祭合唱団
◆合唱指揮 : ヴィルヘルム・ピッツ
◆管弦楽 : バイロイト祝祭管弦楽団
◆指揮 : ヘルベルト・フォン・カラヤン
◆収録 1951年8月、バイロイト祝祭劇場
◆プロデューサー : ウォルター・レッグ
◆レコーディング・エンジニア : ロバート・ベケット
◆演奏時間:第1幕:83.37 第2幕:59.52 第3幕:124.09 トータル:267.38
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1957年盤、実に遅い演奏です(ハース版、[86:57])。その遅さとともに、ベルリン・フィルの音色は、重く、かつ暗い点が特徴です。運行はまことに慎重で、与えられた時間にどれだけ充実した内容を盛り込むことができるかに腐心しているようです。よって、リスナーにとっては、集中力を要し疲れる演奏です。しかし、この1枚が日本におけるブルックナー受容の先駆けになったことは事実で、ながらく8番といえばこのカラヤン盤ありとの盛名を馳せました。
本盤は、かのウォルター・レッグのプロデュースによる初期ステレオ録音でこの時代のものとしては素晴らしい音色です。フルトヴェングラーと比較して、いわゆるアゴーギクやアッチェレランドは目立たせずテンポは滔々と遅くほぼ一定を保っています。
音の「意味づけ」はスコアを厳格に読み尽くして、神経質なくらい慎重になされているような印象ですが、その背後には「冷静な処理」が滲み、フルトヴェングラー的感情の「没入」とは異質です。しかし、そこから湧出する音色は、重く、暗く、音の透明度は増していますが、なおフルトヴェングラー時代のブルックナー・サウンドの残滓を強くとどめているように感じます。
象徴的に言えば、カラヤンはここでフルトヴェングラーの「亡霊」との格闘を行っているような感じすらあります。しかし、過去を払拭せんとするその強烈なモティベーションゆえか、この演奏の緊張感はすこぶる強く、ねじ伏せてでもカラヤン的な濃密な音楽空間を形成しようと全力を傾けており、よってリスナーは興奮とともに聴いていて疲労を感じるのではないかと思います。
後年のベルリン・フィルとの正規盤(1890年ノーヴァク版、[82:06]録音年月日:1975年1月20〜23日、4月22日、録音場所:フィルハーモニーザール、ベルリン)を聴くと、ここでは自信に満ち一点の曇りもないといった堂々たる風情ですが、1957年盤の歴史的な価値は、フルトヴェングラーからカラヤン時代への過渡期における<緊張感あふれる一枚>という観点からも十分にあるのではないでしょうか。
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1939年4月15日、ベルリン・フィルとの録音(チャイコフスキーの交響曲ではカラヤン、現存する最初の録音記録)。1930年代の音源ながら、意外と「音」が生きており、当時のドイツの録音技術の高さを偲ばせる。
演奏は、カラヤンの「悲愴」はすでにこの段階から、しっかりとした考え方に基づくものであったという感想をもつ。むしろ後年の演奏よりも各楽章でメリハリをはっきりとつけたクリア・カットな演奏である。第1楽章のアダージョの序奏部は暗渠を歩くような不気味な感じを見事にだし、展開部の激烈な爆発力は、第3楽章の行進曲風のパートでも発揮される。第2楽章のエレジーや終楽章の哀切の旋律は、情感豊かに歌われ終結部の感動を誘引する。
ベルリン・フィルをカラヤンがはじめて指揮したのは1938年4月8日であり、カラヤン30才の誕生日の3日後であった。本曲は1年後の収録ながら、これだけ鮮烈にカラヤンの個性を出せるのだから、当時のベルリン・フィルから強い信頼を勝ち得ていたことの証左だろう。
(廉価入手可能 Herbert von Karajan (Early Recordings Volume 1 1938 - 1939))
なお、モルダウは1940年6月の録音→ Herbert von Karajan : The Early Recordings (1938-1946)
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3LWY4L5RGK6AK/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0073Y11PY
カラヤンの厖大なライブラリーのなかでもR・シュトラウスは重要であり、はやくも1960年前後にウィーン・フィルを振って集中的にR.シュトラウスの作品を録音した。
特に、ザルツブルグ祝祭大劇場の柿落とし公演『ばらの騎士』全曲を頂点として、その前後に、DECCAに貴重な足跡( Legendary Decca Recordings を参照)を残している。
歴史的名演『ツァラトゥストラ…』(1959年3~4月)が特に有名だが、その直前にベルリン・フィルと収録したのが本曲(1959年3月2~4日)である。この破竹のR.シュトラウス<集中録音>シリーズの幕開けが本曲であるとともに、晩年にいたるまでライヴを含め多くの再録を行ったカラヤンにあって、本盤はその「初出」音源としての位置にある。
覇気があり、やや荒くれた表現には凄みがあり(晩年はこれが影をひそめる)、機知にあふれたフレーズ処理も他の追随を許さない。録音もこの時代とは思えないほどクリアである。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2ID0MR6YZVW7Q/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00N76KDEW
1960年代後半、レコードを聴きはじめた頃、カラヤン/ベルリン・フィルの新盤は高かったが、エンジェル・レーベルからのフィルハーモニア管弦楽団の旧盤は、録音が古くなったとの理由からダンピングされ安く買えた。しかも、旧盤は過去のもの、更改されて克服されるものとの受け止め方が一般で、その評価も一部を除き新盤に比べて「求心力にかける」「表面的」といった一刀両断の言い方で片付けられていた。
1960年フィルハーモニア管弦楽団との録音のシベリウスの2番。その響きの<外延的>なひろがりと<内在的>なものを感じさせる音の奥行き、そこから独特の≪立体感≫がうまれてくる。そうした音楽がある種の威圧感をもって迫ってくる。けっして、よくいわれる表面的で軽いサウンドではない。そう簡単には解析できないし、解析できない以上、たやすく真似もできない。カラヤンの音づくりの典型がこの2番には満ちている。なお、フィルハーモニア管は音質が良くあうシベリウス作品を得意としており、本盤はその典型と思う。
→ Sibelius: Symphonies Nos. 2, 4, 5, Tapiola, Finlandia も参照
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RBGS9QSM58MYE/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B000FBHSQ8
非常に古い録音なので留意が必要です。以下は収録リストと小生の推薦盤(商品リンクを参照)です。
【CD1】
・ベートーヴェン:交響曲第7番 シュターツカペレ・ベルリン(1941年6月)
→ Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 3 (1941-1942)
『レオノーレ』序曲第3番 アムステルダム・コンセルトヘボウ(1943年9月)
・ワーグナー:『マイスタージンガー』第1幕、第3幕への前奏曲第3幕への前奏曲
シュターツカペレ・ベルリン(1939年2月)
【CD2】
・ブラームス:交響曲第1番
→ Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 6 (Amsterdam 1943)
・R.シュトラウス:『ドン・ファン』、『サロメ』〜7枚のヴェールの踊り
アムステルダム・コンセルトヘボウ(1943年9月)
【CD3】
・ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』(1940年3月)
・J.シュトラウス'U世:喜歌劇『こうもり』序曲、芸術家の生涯、皇帝円舞曲 ベルリン・フィル(1940-42年)
【CD4】
・モーツァルト:交響曲第35番、第40番、第41番『ジュピター』 トリノRAI管弦楽団(1942年10月)
→ ジュピター~カラヤン/モーツァルト初期録音集
【CD5】
・チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』 ベルリン・フィル(1939年6月)
→ Herbert von Karajan (Early Recordings Volume 1 1938 - 1939)
・スメタナ:交響詩『モルダウ』 ベルリン・フィル(1940年6月)
【CD6】
・モーツァルト:『魔笛』序曲 シュターツカペレ・ベルリン(1938年12月)
・ロッシーニ:『セミラーミデ』序曲 トリノRAI管弦楽団(1942年10月)
・ウェーバー:『魔弾の射手』序曲 アムステルダム・コンセルトヘボウ(1943年9月)
・ケルビーニ:『アナクレオン』序曲 シュターツカペレ・ベルリン(1939年4月)
・J.シュトラウス'U世:喜歌劇『ジプシー男爵』序曲 ベルリン・フィル(1942年10月)
・ヴェルディ:『椿姫』第1幕、第3幕への前奏曲 トリノRAI管弦楽団(1942年10月)
・ヴェルディ:『運命の力』序曲 シュターツカペレ・ベルリン(1939年2月)
→ Herbert von Karajan : The Early Recordings (1938-1946)
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1DHWVHMLJS64C/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B005460316
カラヤンの主として50年代のフィルハーモニア管弦楽団との演奏。モノラルながら聴きやすい録音。今日聴いても、その明確な解釈、快速な運行、品位ある抒情性に感心する。特にウイーン・フィルとのベートーヴェン「第九」、ヴェルディ「レクイエム}は迫力にあふれた出色のもの。
40年代のコンセルトヘボウとの共演も興味深く、ブラームス交響曲第1番や「サロメ」でのカラヤンは溌剌とし実に巧い。
協奏曲では相性のよいギーゼキングとベートーヴェンの4,5番、グリーグなどを収録。録音こそ古いが、いずれもこの価格では文句なし、粒ぞろいの名曲・名演集となっている。
【収録情報】
<モーツァルト>
・交響曲第35番、第40番(RAIトリノ管弦楽団/1942年10月),
・『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』(ウィーン・フィル/1946年10月)
<ベートーヴェン>
・交響曲:第3番(1952年11月)、第7番(1952年11月)、第8番(ウィーン・フィル/1946年11月)、第9番(シュヴァルツコップ(S)、エリーザベト・ヘンゲン(Ms)、ユリウス・パツァーク(T)、 ハンス・ホッター(Bs)、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン・フィル/1947年11,12月)
・ピアノ協奏曲:第4番、第5番(ギーゼキング(p)/1951年6月)
・『レオノーレ』序曲第3番(コンセルトヘボウ/1943年)
<ブラームス>
・交響曲第1番(コンセルトヘボウ/1943年9月)
<ヴェルディ>
・レクイエム(ヒルデ・ザデク(S)、マルガレーテ・クローゼ(C)、ヘルゲ・ロスヴァンゲ(T)、ボリス・クリストフ(B)、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン・フィル/1949年8月14日、ザルツブルク[ライヴ])
<R.シュトラウス>
・『ばらの騎士』〜“Herr Gott im Himmel”(シュヴァルツコップ(S)、イルムガルト・ゼーフリート(Ms)、ウィーン・フィル/1947年12月)
・『サロメ』〜7枚のヴェールの踊り(コンセルトヘボウ/1943年9月)
<シベリウス>
・交響曲第5番、『フィンランディア』(1952年7月)
<その他>
・フランク:交響的変奏曲(ギーゼキング(p)/1951年6月)
・グリーグ:ピアノ協奏曲(同上)
・ストラヴィンスキー:『かるた遊び』(1952年5月)
・バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1953年6月)
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【カラヤン】
・ウィンナ・ワルツ集:美しく青きドナウ、皇帝円舞曲、芸術家の生涯、ウィーンの森の物語、ウィーン気質、酒・女・歌、『ジプシー男爵』序曲(1946-49年)
・リヒャルト・シュトラウス:メタモルフォーゼン(1947年)
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CD10:ヘルベルト・フォン・カラヤン/フィルハーモニア管
● ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、『エグモント』序曲、『レオノーレ』序曲第3番 Op.72b
→ Symphonies No.S 1-4 7 8
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◆ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」, 第7番(カラヤン/ウィーン・フィル、シュターツカペレ・ベルリン)(1948,1941)
参考→Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 3 (1941-1942)
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第二次大戦後、フルトヴェングラーが苦労のすえ古巣のベルリン・フィルの指揮台に再び立ち、その復興に尽力したことが、どれほど大きくベルリン市民のみならずドイツ国民全体に勇気を与えたか。同様に、冷戦下の大変厳しい政治環境にあって、カラヤンが、世界最高のスキル・フルな楽団としてのベルリン・フィルをいかに手塩にかけて育て上げ世に問うたか。それによって、当時「孤島ベルリン」の安全保障になんと有形・無形の貢献をしたことか。
いまから過去を振り返れば、至極あたりまえに見えることが、両人の血の滲むような努力なくしては決して成し得なかったことを考えると、フルトヴェングラーからカラヤンにいたる連続した時代の重みをズシリと感じる。
そのカラヤンのデビューから1960年までの昇竜期の117枚の記録。以下は小生の聴いてきた初期の録音を中心に若干のコメントを。
まず、1938〜43年にかけてのSP録音の≪序曲/前奏曲集≫。戦前、戦中の若き日のカラヤンの英姿がここにある。ドイツ・イタリア枢軸国の代表的な名曲集といった「きな臭い部分」はあろうが、耳を傾けると、そこには類い希な才能にめぐまれた若手指揮者の立ち姿が浮かび上がってくる。特に、イタリアものの響きが、切なく可憐で、しかも初々しくも凛々しい。よくこんな音楽を奏でることができるものかと思う。30代前半のカラヤンの充ち満ちた才能に驚く1枚。
◆序曲集 Herbert von Karajan : The Early Recordings (1938-1946)
(1938年2月〜)
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同様に30歳台を中心とするカラヤンの青壮年期の記録。圧倒的なスピード感、メリハリの利いた解釈、気力溢れる演奏。しかし、力押しばかりでなく、ときに柔らかく溌剌としたフレーズが心に滲みてくる。天才的な「冴え」である。後日、ベルリン・フィルがフルトヴェングラーの後任にカラヤンを指名した理由がよくわかるような気がする。カラヤンのベートーヴェンの斬新さはいま聴いても凄いと思う。40年代のコンセルトヘボウとの共演も興味深く、ブラームス交響曲第1番でのカラヤンは溌剌とし実に巧い。
◆ベートーヴェン 交響曲第3番 Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 7 (German Radio Recordings 1944)
(1944年5月)
◆ベートーヴェン 交響曲第5番 Symphony 5/Adagio
(1948年11月)
◆ベートーヴェン 交響曲第7番 Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 3 (1941-1942)
(1941年6月)
◆ベートーヴェン 交響曲第9番 Herbert von Karajan - Beethoven: Symphony No. 9
(1947年11月〜12月)
◆ブラームス 交響曲第1番 Herbert von Karajan : Early Recordings, Vol. 6 (Amsterdam 1943)
(1943年9月6〜11日)
◆チャイコフスキー 交響曲第6番 Herbert von Karajan (Early Recordings Volume 1 1938 - 1939)
(1939年4月15日)
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カラヤン、50年代のフィルハーモニア管弦楽団との演奏。モノラルながら聴きやすい録音。明確な解釈、快速な運行、品位ある抒情性に特色。特に、ヴェルディ「レクイエム」は迫力にあふれた出色のもの。
協奏曲では相性のよいギーゼキングとベートーヴェンの4,5番、グリーグなども名匠ギーゼキングと相性よく粒ぞろいの名曲・名演集となっている。
◆1950年代ボックス・セット(各10枚) Karajan
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1951年、カラヤンのバイロイト音楽祭「デビュー戦」の旧盤。カラヤンの凄まじいまでのプライドと気概が伝わってくる演奏。これはカラヤン・ライブラリイのなかでも、その異質性において、インパクトの強い代物である。カラヤンは自己主張がはっきりしている性格。天下のバイロイトも翌年はでたがその後、演出の考え方の相違で袂をわかって足を運ばず。後にウィーン国立歌劇場とも同様に決裂。「既存」の「権威」に対して、いつでも闘うがゆえの「帝王」の呼称か。しかし、音楽の豊かさ、しなやかさ、抒情性などは別物。素晴らしく純化され、しかし颯爽としたマイスタージンガーの演奏である。
◆ワーグナー マイスタージンガー Wagner: Die Meistersinger
(1951年8月)
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1950年代の古い音源で、その後の新録もあるのでスーパー廉価盤。しかし、いずれも歴史的名演の名を欲しい儘にしてきたもの。この時代ならではの名歌手の熱唱がぎっしりと詰まっている。
「レクィエム」は、リザネク、クリスタ・ルートヴィヒらによるザルツブルグ音楽祭のライヴ録音。「アイーダ」は、テバルディ、ベルゴンツィ、シミオナートが競演したもので、テバルディにとっても代表盤。同じく、「トロヴァトーレ」はカラス、ステーファノ、パネライが、「ファルスタッフ」では、ゴッビ、シュヴァルツコップにくわえて美貌でならした若きアンナ・モッフォを起用。
ベルリン・フィルに活動を集中する以前、ウィーン、ザルツブルク、ミラノ、ロンドンを股にかけ、欧州オペラ界を制覇したかの観のある帝王カラヤンの最盛期の記録である。
◆カラヤン ヴェルディ集 Verdi/ Aida - Il Trovatore - Falstaff - Requiem
➡ Herbert von Karajan: Recordings 1938-60 Collection も参照
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