日曜日, 5月 04, 2014

チェリビダッケ&ベルリン・フィル『ブルックナー:交響曲第7番』  Celibidache conducts-Bruckner: Symphony .

ブルックナー: 交響曲第7番ホ長調WAB.107 (Bruckner : Symphony No.7 / Berliner Philharmoniker, Sergiu Celibidache) [DVD] [輸入盤・日本語解説書付]
http://mituhirousui.wordpress.com/2014/05/04/%e3%83%81%e3%82%a7%e3%83%aa%e3%83%93%e3%83%80%e3%83%83%e3%82%b1%e3%80%80%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc/


20145月4日(日)深夜から明け方にかけて、チェリビダッケがベルリンに38年ぶりに帰還する番組を観る。途中で震度4(千代田区は震度5弱)の地震があった。

以下は、ブルックナー・ブログ(http://mituhirousui.wordpress.com/

)に書いたものを中心に、それ以外の過去の拙文などを接木したものである。

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S.チェリビダッケ(Sergiu Celibidache)の名前は、1960年代からクラシック音楽の一ファンになった者にとっては、戦後のベルリンでフルトヴェングラーやカラヤンと活動の時代が重なり、その後、杳として表舞台から消えた「幻の名指揮者」として鮮烈に記憶に刻まれました。「フルトヴェングラーと巨匠たち」という映画があり、チェリビダッケは「エグモント」序曲を振りましたが、正面を見据えた厳しい表情で、これは恐そうな人だな、というのが映像からの第一印象でした。 

 時をおいて、NHK-FMで彼の名前が登場します。1969年ヘルシンキ芸術週間でのベートーヴェン第5番ピアノ協奏曲は、ミケランジェリのピアノ、チェリビダッケ指揮スウェーデン放送響の演奏。ミケランジェリもレコードが極端に少なく、当時、これはライブによる両完璧主義者の「皇帝」として好事家の間では話題になりました。 

 「内攻する演奏」ー内に向かって集中力が凝縮していく演奏という点で、チェリビダッケはその師であり、のちに袂をわかつフルトヴェングラーと共通するところがあると思います。また、他では決して聴くことができない彼独自の演奏スタイルをどのオケとの共演においても堅持するという点でチェリビダッケは異彩を放っています。 

 ブルックナーは、フルトヴェングラー、チェリビダッケともに自家薬籠中の演目です。チェリビダッケは、ベルリン・フィルの戦後復興期の立役者であり、フルトヴェングラー復帰までの間、首席指揮者の地位にありながら1954年に突然身を引くことになります。その後、フルトヴェングラーが復権し歴史的な名演を次々に残し、没後はカラヤンがその跡目を継いで世界最高の機能主義的なオケへとベルリン・フィルを導きます。カラヤンの機能主義は、極論すれば、どんな指揮者が振っても、ボトムラインなく高水準を維持するドイツブランドの「自動精密機械」とでもいうべきイメージをベルリン・フィルに付与しました。 

 一方でチェリビダッケの流儀はこれと対極とも言えます。ベルリンを去ってのちチェリビダッケはさまざまなオケと共演しながら、徹底した練習によって、楽団の演奏スタイルを強烈に自分流に変えていくと言われました。また、どの作曲家を取り上げても「チェリビダッケの・・」と冠したいような独創性がその身上です。 

 ブルックナーの交響曲は、指揮者によって解釈の余地の大きい、演奏の自由度の高い作品であり、チェリビダッケにとっては自分の個性をぶつけやすい演目と言えるのかも知れません。19901010日渋谷のオーチャードホールで8番(ノヴァーク版1890年)を聴きましたが、テンポは厳格にコントロールしながら音のダイナミズムを変幻自在に操り、先に記したとおり「内攻し続ける」演奏でした。確信に満ちた演奏であり「天上天下唯我独尊」といった言葉を連想しました。 

 チェリビダッケは、ヴァイツゼッカー大統領の要請をうけ、1992年にベルリンフィルとの決裂後の最初で最後の演奏会を38年ぶりに果たします。その演目はブルックナーの7番でした。彼がいかにブルックナーに自信をもっていたかの証左ではないでしょうか。
 

【正統と異端】

 
<正統と異端>こうした対立項で、<カラヤンとチェリビダッケ>の関係をあえて見ていくと・・・

チェリビダッケが第二次大戦後のベルリン・フィル復興へいかに貢献したかは有名ですし、フルトヴェングラーはチェリビダッケには「恩ある身」で大変親しく、一方カラヤンは大嫌いでしたから、後任にチェリビダッケを推挙したかったかも知れません。しかし、チェリビダッケは自らベルリン・フィルと対立しここを去りカラヤンがその跡目を継ぐことになります。その後、カラヤンは「帝王」の名をほしいままにし、チェリビダッケは欧州を転戦する道を選ぶことになります。 

好悪は別として、商業的にもカラヤンは世界を制覇し<正統>性を誇示しますが、チェリビダッケは反対に、ますます(録音芸術の世界では)幻の指揮者として<異端>性が際だつことになります。

しかし、両巨頭とも鬼籍にはいったいま、今日のリスナーにとってはそうした過去のドラマとは別に純粋に両者の演奏に親しむことができます。カラヤンがベルリンで背負ってきた歴史的、政治的重みは大きかったと思いますし、チェリビダッケはこの間、カラヤンの名声とともにある桎梏からは自由に、自分の音楽に没入できたとも言えるかも知れません。禍福は、<正統と異端>といった単純化だけでは表わしがたいということでしょうか。 

【 禅 】

 
セルジュ・チェリビダッケは禅に傾倒していました。映画『チェリビダッケの庭』について安芸光男氏は次のように書いています。 

ー 『チェリビダッケの庭』は、音楽と世界についての含蓄の深いアフォリズムに満ちている。そこから彼の思想を要約することばを一つだけ取り出すなら、「始まりのなかに終わりがある」つまり「始まりと終わりの同時性」ということである。これは音楽の開始について、指揮科の学生に語ることばなのだが、それは彼の宇宙観を集約することばでもあるのだ。ー 


 
 ブルックナー指揮者としてのチェリビダッケが、どれほどその音楽と禅との関係を明確に自覚していたかはわかりませんが、上記の言葉はブルックナーの音楽の魅力を見事に表現しているとは言えるでしょう。 

「宇宙的」とか「大自然」とかの比喩もブルックナーの音楽ではよく用いられますが、日本人(あるいは日本通)ならではかも知れませんが、枯山水、石庭のイメージも良く似合う気がします。

 同じ宗教的な感興に根差すとして、ブルックナーが信仰していたカソリックとチェリビダッケが好んだ禅宗を無理して結びつけるような愚は避けたいと思います。そうしたセンティメントは実はあるのかも知れませんが、どちらにも半可通以下の自分が、聴いていて唯一直観する言葉は「無窮性」です。 

「無窮性」と「非標題性」については従来から考えていることですが、最近、これは同じことを違う言葉でいっているだけかも知れない、ともよく思います。

標題性とは「具象的」だが、非標題性とはその反語という意味で「抽象的」と言えると思います。ブルックナーの激烈な大音響やとても優しく美しい旋律(といった「具象」さ)に親しみつつ、なんどもなんども同じ曲を聴いているのは、その背後にある解析不能の何か(言葉で表現できない「抽象的」な何か)に惹かれているからでしょう。チェリビダッケは、上記でそのことをうまく言い得てくれた気がします。

枯山水や石庭も、京都の某寺のようにその前ではうるさい解説は聞きたくありません。ぼんやりと無念の気持ちで時のたつのを忘れるのがいいように思います。ブルックナー然りです。





【レニングラード】

   チェリビダッケのショスタコーヴィッチ交響曲第7番「レニングラード」を聴きました。19461222日、ベルリン・フィルを振ってのライヴ盤。翌年、フルトヴェングラーがベルリンに復帰するので、チェリビダッケが単独でベルリン・フィルに君臨していた最後の頃の録音です。


録音はあまり良くないですが、リスニングの集中を妨げるものではありません。さて、その感想は複雑です。ベルリンは1945年当時のロシア軍に蹂躙され一般市民(特に女性)にはレイプをはじめ多くの犠牲者がでました。その翌年にこの演目です。普通、音楽は(時代状況などとは独立して)そのものとして楽しめばよいというスタンスでしょうが、取り上げている演目にも政治的な纏(まとい)がある以上、そう単純ではないと思います。
 
演奏には熱気が感じられ、チェリビダッケらしい粘着力ある分厚い音づくりも看取できますが、ベルリン・フィルの演奏には珍しくやや求心力が低下するような場面もあって、全体から受ける印象がうまく表現できません。

チェリビダッケ時代に、ベルリン・フィルはフランスもの、ロシアものなど文字通り東西にそのレパートリーのウイングを拡げました。チェリビダッケの功労を多とする意見も多いながら、ベルリン・フィルの古参団員との軋轢は修復不可能なところまで行きました。そんなことも考えながら耳を傾ける1曲です。

§ いま聴いているもの(以下は引用)

 1992331日と41日、ベルリンのシャウシュピールハウスで、ルーマニア出身の指揮者セルジウ・チェリビダッケが、1954年の決裂以来、38年ぶりにベルリン・フィルの指揮台に復帰した最初で最後のコンサート。演目はブルックナー『交響曲第7番』。この歴史的公演は、当時のヴァイツゼッカー大統領直々の計らいで実現したもの。会場のただならぬ緊張感の中、マエストロのタクトからはベルリン・フィル極上のサウンドが紡ぎだされる。数あるブルックナー7番の演奏の中でも破格に重厚長大で、アダージョに至っては30分を越える大熱演だ。録音を嫌ったチェリビダッケがベルリン・フィルを指揮した唯一の映像としても知られる番組。 

[演目]アントン・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調WAB.107
[指揮]セルジウ・チェリビダッケ
[演奏]ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
[収録]1992331&41日シャウシュピールハウス(ベルリン)
[映像監督]ロドニー・グリーンバーグ
(約1時間37分)

【参考】
チェリビダッケ
 
Sergiu Celibidache Conducts Various Composers
 

ユリア・フィッシャー『フランクフルト・コンサート』

Julia Fischer: Saint-SaensViolin Concerto No 3 / Greig: Piano [DVD] [Import]
http://www.amazon.co.jp/Julia-Fischer-Saint-SaensViolin-Concerto-Import/dp/B003L0VJF6/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1399190320&sr=8-1&keywords=Julia+Fischer+piano

ユリア・フィッシャーは、W.A. Mozart: The Violin Concertosを聴いて以来、気にいっている。このアルバムを収録した直後、この200811日フランクフルトのニューイヤー・コンサートで、驚くべきことに一夜でヴァイオリン&ピアノの協奏曲を、楽々と演じきった。

フランクフルトのアルテ・オーパーは、ドイツに住んでいた頃にいくどもお世話になったが、ユリア・フィッシャーは、20067月には23歳の若さでフランクフルト音楽・舞台芸術大学の教授に就任した(ドイツ史上最年少記録)とのことで、いわばホームグラウンドでの演奏。サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とグリーグのピアノ協奏曲イ短調を、ときに笑顔を浮かべながら弾きこなす姿をみて、やはりこの人は只ならぬと感じた。

【以下は引用】 
 世界的人気を誇る若き美人ヴァイオリニストが、ヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲のソロを一晩で弾いた200811日フランクフルトのニューイヤー・コンサート。ヴァイオリンもピアノも一流の腕を持つ彼女のマルチな魅力が満載。指揮のマティアス・ピンチャーは1971年生まれのドイツの若手作曲家。オーケストラはドイツの国家的プロジェクトとして18歳から28歳までのドイツの音大生を選抜し結成されたユンゲ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団。

[演目]リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』Op.20、カミーユ・サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調Op.61、エドヴァルド・グリ-:ピアノ協奏曲イ短調Op.16、リヒャルト・シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』演奏会用組曲、ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル『憂いもなく』Op.271

[指揮]マティアス・ピンチャー
[演奏]ユンゲ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団、
ユリア・フィッシャー(ヴァイオリン&ピアノ)

[収録]200811日アルテ・オーパー(フランクフルト)
[映像監督]アンドレアス・モレル

■約1時間58
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=U0826
(参考)インタビュー録
 

http://www.toppanhall.com/notes/voice/bn_14.html

W.A. Mozart: The Violin Concertos
http://www.amazon.co.jp/W-A-Mozart-The-Violin-Concertos/dp/B004DIPKZ0/ref=cm_rdp_product

土曜日, 5月 03, 2014

ネルソンス&コンセルトヘボウ「ルツェルン音楽祭2011」


















   アンドリス・ネルソンスには数年前から注目している。特に、2011年春、「東京・春・音楽祭 - 東京のオペラの森」において、NHK交響楽団を指揮してワーグナーの「ローエングリン」を演奏会形式にて上演する予定であったが、東日本大震災の影響で中止となった。楽しみにしていたので残念だった。このルツェルンでの映像は同年の半年後のものである。

CDのジャケットでもそうだが、ちょっと猫背ぎみで、目がくりくりとよく動き、口を半開きにして、いつも笑っているような面立ちである。若きマエストロ登場といった大仰さがなくて、さっと指揮台にあがって、いかにも楽しそうに「音楽」しているといった風情である。でも、演奏は高感度。一流の歌手の腹式発声法よろしく、タクトの先から音楽が紡がれるというよりも、ネルソンスの心から音楽が涌きでているような印象をもつ。勉強家でスコアを読み尽くしながら、細かな表現を忽せにせず、オーケストラ操舵もよく心得ている秀才なのだが、エリート臭さがなく、前述のような親しみやすい風貌、いささかの茫洋ぶりがそれをうまくマッチ(緩衝)しているかな。伸び伸びとした(ある意味で、「妖艶さ」よりもさまざまな楽器が目一杯活動する「健康優良児」のような)「シェエラザード」がとても楽しめた。

【以下は引用】
ラトビア出身、小澤征爾の代役としてウィーン・フィル、ベルリン・フィルを指揮するなど若手指揮者の中でも注目著しいアンドリス・ネルソンス。29歳という異例の若さでバーミンガム市交響楽団の音楽監督となって以来、ウィーン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場、バイロイト音楽祭など活躍の場を着実に広げている“未来の巨匠”が、スイスで毎夏行われる「ルツェルン音楽祭」で名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮し話題となったコンサート。
  最強のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト、イェフィム・ブロンフマンを迎えたベートーヴェン「皇帝」や得意のロシアン・プログラム「シェエラザード」など、ベテラン演奏家たちと共に丁寧に音楽を作り上げていくネルソンスの姿は必見。
                                                             
 

   [演目]ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:劇音楽『アテネの廃墟』序曲Op.113/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73『皇帝』、フレデリック・ショパン:エチュード ヘ長調Op.10-8、ニコライ・リムスキー=コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』Op.35、アントニーン・ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第3番変イ長調Op.46,B.83-3
[指揮]アンドリス・ネルソンス

[演奏]ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、イエフィム・ブロンフマン(ピアノ)

[収録]201195日ルツェルン・カルチャー&コンヴェンション・センター内コンサート・ホール(ルツェルン)

[映像監督]ウテ・フォイデル

■約1時間51














29歳でバーミンガム市交響楽団音楽監督就任以来、若手指揮者の中でも進境著しいアンドリス・ネルソンスが、2011年ルツェルン音楽祭でロイヤル・コンセルトヘボウ管を指揮しベストパフォーマンスと絶賛されたコンサート。得意とするワーグナー『リエンツィ』序曲の勇壮さ、R・シュトラウスの官能的な『7つのヴェールの踊り』、そしてベルリン・フィル・デビューを飾った演目でもあるショスタコーヴィチの交響曲第8番の圧倒的なスケール。ネルソンスの若々しいエネルギーと柔軟な音楽性、名門コンセルトヘボウ管の迫力のオーケストラ・サウンドは大画面で見たい。

[演目]リヒャルト・ワーグナー:歌劇『リエンツィ』序曲、リヒャルト・シュトラウス:歌劇『サロメ』Op. 547つのヴェールの踊り、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調Op. 65

[指揮]アンドリス・ネルソンス

[演奏]ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

[収録] 201194日ルツェルン・カルチャー&コンヴェンション・センター内コンサート・ホール(ルツェルン)

[映像監督]ウテ・フォイデル

■約1時間41
http://www.classica-jp.com/program/detail.php?classica_id=CU1206&date=20140504

金曜日, 5月 02, 2014

名作選 HVスペシャル「小澤征爾・終わりなき道~無垢なる共感を求めて~」

小澤征爾の世界 CD全10巻+特典盤CD1枚

【番組情報】
 
チャンネル:BSプレミアム
放送日時: 201453日 (原作 200334 / 110分)  
午前2:55~午前4:52 [金曜深夜]117分)

 2002年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督となった小澤征爾のオペラのリハーサルと、日本での活動を描き「世界のオザワ」が胸に秘めた音楽へのこだわりに迫る。ウィーン、日本そして2002年春に去ったボストンの勉強部屋に小澤を追い、「小澤が行くところ、常に音楽を介し感情のつながりが生まれる」さまを描く。

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なにげなく見始めて、とても面白くて最後まで見終わった。この番組、そういえば昔見た気がする。ボストン私邸の勉強部屋のシーン。一面びっしりの壁の棚に膨大な量のスコアがきちんと整理されている。そこは良く覚えている。

いまから12年前の頃の姿が映るが、元気で若々しく、好奇心旺盛で、向上心高く、気さくで人の懐にすぐに飛び込み、威張ったところが微塵もなく、こよなく音楽を愛するマエストロの日常が語られる。

個人的な、そして忘れえない思い出だが、1986年4月、小生がドイツに赴任するときに、当時アンカレッジ経由での空港の待ち時間、マエストロ小澤とご一緒した。同時赴任の先輩A氏が奥様の成城合唱団の関係でマエストロと旧知であったことから、A氏の紹介であった。今思うととても貴重な機会であり、もっとマシな会話ができたら・・・と悔やまれるが、「時差を克服してどのようにコンサートに臨まれるのですか?」といったありきたりの質問に、眠そうな目ながら実に丁寧に答えていただいたことだけは覚えている。お疲れのご様子で、あまり迷惑をかけてはいけないな、と思い早々に退去した。

類まれなる芸術家なのだが、照れ隠しか、あえて職人さんっぽく振る舞う。それでも時に、目線をキッとして、ズキッと鋭いことを言う。番組でも「技術は未熟でも音楽を真摯にする、演奏家も聴き手も真摯に向き合う、そこに感動がある」といった趣旨の発言。

一方で、高度な技能のプロ、厳しいスケジュールのなかで一定の品質の演奏を提供していく。しかし、「真摯に向き合う、そこに感動がある」ということが日々の忙しさで、あるいはビジネスライクで揺るがせになると、「音楽の本質を見失う危険がある」。それを小澤は真面目に言い切っていた。

若手の育成は、小澤に限らず、先日逝去したアバドも注力したことであるが、小澤の徹底ぶりにも驚かされる。これも、番組のなかでのインタビューで小澤自身が語ったことだが、「プロのオーケストラの面々は、出身国、受けてきた音楽教育などから導かれる個々のプレイヤーごとに音楽への考え方が違う。それが一つのオケで共同作業をしていく。そこが指揮者にとっては、難しいし面白い」と言う。

これはいわば何十にも色を重ねたキャンバスのようなものだろう。対して、初々しい若手は、何にも染まっていない白地のキャンバスである。そこに小澤流の自由な音楽的な感性を注ぎ込んでいく。どう染まるか、とても楽しそうであった。

(参考)

小澤征爾(おざわ・せいじ)プロフィール

1935年、中国の瀋陽(旧奉天)生まれ。幼い頃からピアノを学び、桐朋学園で故・齋藤秀雄に指揮を学ぶ。1959年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ベルリンで、ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。レナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任。数々の音楽祭、オーケストラの音楽監督を経て、1973年、ボストン交響楽団第13代音楽監督に就任。ボストン交響楽団の評価を国際的にも高める。アメリカ国内を行き来しながら、ヨーロッパのオーケストラに客演。日本では、新日本フィルを指揮、文化使節として訪中するなど、世界中で活躍する。
ヨーロッパでの評価と人気は高く、名門ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、パリ管弦楽団などを定期的に指揮、また、オペラの殿堂パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場にしばしば出演、絶賛を博す。
1984年、恩師・齋藤秀雄没後10周年に際し、日本でメモリアルコンサートを開催。このとき結成された「メモリアル・オーケストラ」が、後の「サイトウ・キネン・オーケストラ」の母体となる。海外も含め、ツアー中心の活動で絶賛され、1992年、念願であった国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」へと発展させ、大きな注目を集める。
2000年、若手演奏家の育成を目的とした「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」をスタート。2002年、世界60数ヶ国で放送され、数億人が視聴すると言われる、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮。秋には、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。2010年に病気療養するも、同年末、ニューヨークでサイトウ・キネン・オーケストラを率いて復帰。2011年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。ますますの活躍が期待される。