【番組情報】
放送日時: 2014年5月3日 (原作 2003年3月4日 / 110分)
午前2:55~午前4:52 [金曜深夜](117分)
2002年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督となった小澤征爾のオペラのリハーサルと、日本での活動を描き「世界のオザワ」が胸に秘めた音楽へのこだわりに迫る。ウィーン、日本そして2002年春に去ったボストンの勉強部屋に小澤を追い、「小澤が行くところ、常に音楽を介し感情のつながりが生まれる」さまを描く。
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なにげなく見始めて、とても面白くて最後まで見終わった。この番組、そういえば昔見た気がする。ボストン私邸の勉強部屋のシーン。一面びっしりの壁の棚に膨大な量のスコアがきちんと整理されている。そこは良く覚えている。
いまから12年前の頃の姿が映るが、元気で若々しく、好奇心旺盛で、向上心高く、気さくで人の懐にすぐに飛び込み、威張ったところが微塵もなく、こよなく音楽を愛するマエストロの日常が語られる。
個人的な、そして忘れえない思い出だが、1986年4月、小生がドイツに赴任するときに、当時アンカレッジ経由での空港の待ち時間、マエストロ小澤とご一緒した。同時赴任の先輩A氏が奥様の成城合唱団の関係でマエストロと旧知であったことから、A氏の紹介であった。今思うととても貴重な機会であり、もっとマシな会話ができたら・・・と悔やまれるが、「時差を克服してどのようにコンサートに臨まれるのですか?」といったありきたりの質問に、眠そうな目ながら実に丁寧に答えていただいたことだけは覚えている。お疲れのご様子で、あまり迷惑をかけてはいけないな、と思い早々に退去した。
類まれなる芸術家なのだが、照れ隠しか、あえて職人さんっぽく振る舞う。それでも時に、目線をキッとして、ズキッと鋭いことを言う。番組でも「技術は未熟でも音楽を真摯にする、演奏家も聴き手も真摯に向き合う、そこに感動がある」といった趣旨の発言。
一方で、高度な技能のプロ、厳しいスケジュールのなかで一定の品質の演奏を提供していく。しかし、「真摯に向き合う、そこに感動がある」ということが日々の忙しさで、あるいはビジネスライクで揺るがせになると、「音楽の本質を見失う危険がある」。それを小澤は真面目に言い切っていた。
若手の育成は、小澤に限らず、先日逝去したアバドも注力したことであるが、小澤の徹底ぶりにも驚かされる。これも、番組のなかでのインタビューで小澤自身が語ったことだが、「プロのオーケストラの面々は、出身国、受けてきた音楽教育などから導かれる個々のプレイヤーごとに音楽への考え方が違う。それが一つのオケで共同作業をしていく。そこが指揮者にとっては、難しいし面白い」と言う。
これはいわば何十にも色を重ねたキャンバスのようなものだろう。対して、初々しい若手は、何にも染まっていない白地のキャンバスである。そこに小澤流の自由な音楽的な感性を注ぎ込んでいく。どう染まるか、とても楽しそうであった。
(参考)
1935年、中国の瀋陽(旧奉天)生まれ。幼い頃からピアノを学び、桐朋学園で故・齋藤秀雄に指揮を学ぶ。1959年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ベルリンで、ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。レナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任。数々の音楽祭、オーケストラの音楽監督を経て、1973年、ボストン交響楽団第13代音楽監督に就任。ボストン交響楽団の評価を国際的にも高める。アメリカ国内を行き来しながら、ヨーロッパのオーケストラに客演。日本では、新日本フィルを指揮、文化使節として訪中するなど、世界中で活躍する。
ヨーロッパでの評価と人気は高く、名門ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、パリ管弦楽団などを定期的に指揮、また、オペラの殿堂パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場にしばしば出演、絶賛を博す。
1984年、恩師・齋藤秀雄没後10周年に際し、日本でメモリアルコンサートを開催。このとき結成された「メモリアル・オーケストラ」が、後の「サイトウ・キネン・オーケストラ」の母体となる。海外も含め、ツアー中心の活動で絶賛され、1992年、念願であった国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」へと発展させ、大きな注目を集める。
2000年、若手演奏家の育成を目的とした「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」をスタート。2002年、世界60数ヶ国で放送され、数億人が視聴すると言われる、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮。秋には、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。2010年に病気療養するも、同年末、ニューヨークでサイトウ・キネン・オーケストラを率いて復帰。2011年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。ますますの活躍が期待される。
(参考)
1935年、中国の瀋陽(旧奉天)生まれ。幼い頃からピアノを学び、桐朋学園で故・齋藤秀雄に指揮を学ぶ。1959年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ベルリンで、ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。レナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任。数々の音楽祭、オーケストラの音楽監督を経て、1973年、ボストン交響楽団第13代音楽監督に就任。ボストン交響楽団の評価を国際的にも高める。アメリカ国内を行き来しながら、ヨーロッパのオーケストラに客演。日本では、新日本フィルを指揮、文化使節として訪中するなど、世界中で活躍する。
ヨーロッパでの評価と人気は高く、名門ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、パリ管弦楽団などを定期的に指揮、また、オペラの殿堂パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場にしばしば出演、絶賛を博す。
1984年、恩師・齋藤秀雄没後10周年に際し、日本でメモリアルコンサートを開催。このとき結成された「メモリアル・オーケストラ」が、後の「サイトウ・キネン・オーケストラ」の母体となる。海外も含め、ツアー中心の活動で絶賛され、1992年、念願であった国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」へと発展させ、大きな注目を集める。
2000年、若手演奏家の育成を目的とした「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」をスタート。2002年、世界60数ヶ国で放送され、数億人が視聴すると言われる、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮。秋には、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。2010年に病気療養するも、同年末、ニューヨークでサイトウ・キネン・オーケストラを率いて復帰。2011年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。ますますの活躍が期待される。
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