土曜日, 1月 02, 2021

シノーポリ シェーンベルク ぺレアスとメリザンド/浄夜

 


シェーンベルク:ぺレアスとメリザンド/浄夜
フィルハーモニア管弦楽団 1991年、1992年録音盤

      •    .
        1.  ペレアスとメリザンド 作品5 モーリス・メーテルリンクのドラマによるオーケストラのための交響詩
      •        Die Viertel ein wenig bewegt-zoegernd
      • 2.
         Heftig
        00:03:45
      • 3.
         Lebhaft
        00:04:26
      • 4.
         Sehr rasch
        00:07:58
      • 5.
         Ein wenig bewegt
        00:01:31
      • 6.
         Langsam
        00:03:39
      • 7.
         Ein wenig bewegter
        00:03:59
      • 8.
         Sehr langsam
        00:04:48
      • 9.
         Etwas bewegt
        00:02:26
      • 10.
         In gehender Bewegung
        00:02:49
      • 11.
         Breit
        00:06:26
      • 12.
        浄夜 作品4 リヒャルト・デーメルの詩による 弦楽オーケストラ版 Grave
        00:07:33
      • 13.
        Molto rallentando
        00:07:11
      • 14.
        Pesante
        00:02:34
      • 15.
        Adagio
        00:11:11
      • 16.
        Adagio
        00:04:26

【以下は引用】

『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande )は、ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲フランス語で書かれ、1892年にブリュッセルで出版された後、翌1893年パリで初演された。


全曲は648小節からなり、約45分を要する。全体はソナタ形式によるが、展開部にスケルツォと緩徐楽章に当たる部分が挿入された形となっている。この形式は『室内交響曲第1番』でも踏襲される。この曲で初めて👍ドミナントの「sus4」の解決しない形の「4度和声」が用いられた。


(参考)
【交響詩「ペレアスとメリザンド」】メーテルリンクのテキストに題材を得て、1902年から1903年にかけて書き進められた「ペレアスとメリザンド」は、ドビュッシー同様にオペラ化を構想していた当初のプランから変更され、交響詩として完成をみた作品。シェーンベルクが無調や十二音技法に到達する以前、後期ロマン派に連なる内容はワーグナーやR.シュトラウスの影響も色濃く、「淨夜」にも通じる、幻想的でむせかえるような官能音楽で、前作「グレの歌」を凌ぐとさえ云われるあざやかな対位法や、ホルン8、トランペット4、アルト・トロンボーン4、テナー・バス・トロンボーン4といった金管セクションをはじめ、ティンパニ4、ハープ2台という具合に、「グレの歌」に次ぐ4管編成の大管弦楽による音響効果も聴きどころとなっています。

★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆ ★☆

まず、この戯曲について、フォーレ、ドビュッシー、シベリウスなど同時代の多くの作曲家が魅了された事実が面白い、ストーリーを読む限りにおいて、お定まりの三角関係だけでなく、水を主題として物語の隠喩部分には惹かれるところはあるが、当時の”沸点”のような異様な盛り上がりは、時代精神としかいいようはないのかも知れない。
シェーンベルクもその一人だが、この時代の彼は、後の新ウィーン学派形成にいたる斬新さ以前、後期ロマン派最後の音楽といった要素が強いようだ。

シノーポリの演奏は、濃厚な音楽空間を提示するだけでなく、音がいきいきと息づくライヴのような迫真感にあふれている。これを聴くとポスト・マーラーの最後期ロマン派ともいえる熟れたような感覚とともに作曲家の若き明晰な音楽づくりへの意欲を感じる。それは、シノーポリ自身の現代音楽の作曲家としての共感とともにあるのかも知れない。大規模でめくるめく管弦楽の魅力を聴くという立場でも十分に楽しめる2作品である。

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金曜日, 1月 01, 2021

シノーポリ ル・サロメ を聴く

 


シノーポリ 『ルー・サロメ』
[1]組曲第1番〔1/導入,2/あなたを愛してあげることができたのに〕
[2]組曲第2番1/導入,2/サン ピエトロ大寺院,3/ワルツ,4/速く不安げに,5/レントラー,6/歌〕
(演奏)シノーポリ/ シュトゥットガルト放送so [1]-2,[2]-6/ルチア・ポップ(S) [1]-2/ホセ・カレーラス(T)
録音:[1]1983, [2]87年/収録時間:47分

WEDNESDAY, MAY 06, 2015


書いたのはもう5年前になる。主人公の個性が上記のとおり、あまりに強烈なので、どうも関心はそちらの方に向かいがちで、シノーポリの作品そのものに集中しにくい。今回、聴き直す。

まず第1に、音楽の構成としては、オペラからの組曲ということなので、かなり具象的であり、シノーポリの作曲上の師といわれるマデルナやシュトックハウゼンよりもはるかに聴きやすいだろう。

第2に、華麗なオーケストレーションや不協和音の部分など、折々に両師譲りの現代音楽的な手法はおそらく駆使されているが、音楽の基調は19世紀的、ウィーン学派的、かつその折衷様式といった感じをうける。R.シュトラウスの表題音楽的な部分(『ツァラトウストラ・・・』)もあれば、マーラー的な長く詠嘆的な美調もあり、良い意味で乾いたウィーン学派的な無調も混在している。才能あふれたシノーポリの流儀なのだろうが、こうした音楽的な素材が次々に繰り出されるので飽きないで聴くことができるだろう。

第3に、ポップ、カレーラスの声楽起用は作曲家シノーポリの好みなのだろうが、女声には主人公の来歴との関係では、蠱惑的な部分はあまりなく、男声はむしろ生真面目ですらある。掛け合いの場は一種の「心理戦」を切り取ったような感じをうける。

オペラの全曲を聴いて(観て)みないと魅力の本質はわからないが、組曲を聴く限りにおいては、作品としての完成度が高いとは思えない。才気煥発なオーケストレーションの断片集といった感じをもった。

木曜日, 12月 31, 2020

月曜日, 8月 31, 2020

ブルックナー ドイツでの注目盤

 Sinfonie 9

Sinfonie 4

Sinfonie 4

von Pittsburgh Symphony OrchestraHoneck,Manfred und Bruckner,Anton | 2015


Staatskapelle Dresden Vol.39; Bruckner: Symphonie Nr.3

Staatskapelle Dresden Vol.39; Bruckner: Symphonie Nr.3

von Nezet-Seguin,YannickStaatskapelle Dresden und Bruckner,Anton | 2017

Staatskapelle Dresden Vol.42;  Bruckner: Symphonie Nr.4


Symphonie Nr. 9


Bruckner: Sinfonie Nr. 7


Bruckner: Symphony No.8

Bruckner: Symphony No.8

von Saraste,Jukka-PekkaWdr Sinfonieorchester Köln und Bruckner,Anton | 2016


Sinfonie 9 (4 Sätze)


Sinfonie 7

Sinfonie 7

von Rattle,SimonCbso und Bruckner,Anton | 1997


Sinfonie 5


Bruckner: Sinfonie Nr. 7

Bruckner: Sinfonie Nr. 7

von NDR Elbphilharmonie OrchesterAlan Gilbert und Anton Bruckner | 2019

Sinfonie 9

Sinfonie 9

von Luisi,FabioSd und Bruckner,Anton | 2008

Sinfonie 3 d-Moll


Bruckner: Symphony No. 4 / Wagner: Lohengrin Prelude (Live)

Bruckner Sinfonien 6 & 9


Symphonie Nr. 3

Symphonie Nr. 3

von Marthe,Peter JanEurop.Phil.Or und Bruckner,Anton | 2012

Symphonie Nr. 3


Sinfonie 5


Sinfonie 5


Sinfonie 7

Sinfonie 7

von Ph.Or.d'Avalos und Bruckner,Anton | 1995

Sym 5

Sinfonie 4


Bruckner Symphony No.4


Sinfonie 8

Sinfonie 5


Sinfonie 9

Sinfonie 7

Sinfonie 7

von Kreizberg,YakovWsy und Bruckner,Anton | 2005

水曜日, 8月 26, 2020

マゼールとバレンボイム ブルックナー 第8番

 ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ノーヴァク版)

ブルックナー:交響曲第8番

マゼール(Lorin Maazel, 19302014年)とバレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年~)のブルックナーについて。 

まず、マゼールですが、彼は、ウィーン・フィルとは早くも1974年には第5番を、ベルリン・フィルとは1988年に第7番、1989年には第8番を録音しています。この時期は、カラヤンがウィーン・フィルとブルックナーの最後の録音をしている時期に重なります。さらに、その後、1999年の1月から3月にかけて、バイエルン放送響と第0番を含む全曲録音も行っています(フィルハーモニー・ガスタイクでのライヴ)。1993 2002年にかけてマゼールは、幾多の名演を紡いだこのオーケストラの首席指揮者の地位にありました。さらに、晩年の20129月には、チェリビダッケが手塩にかけたミュンヘン・フィルと第3番をライヴ録音しています。3つのメジャーオケを制覇して、バイエルン放送響とは全集まで録音をしているのですから、その成果は歴々たるものがあります。 

バレンボイムについては、なんと3組のブルックナー交響曲全集を世に送りました。197281年にかけてのシカゴ響(テ・デウム、詩篇 第150番、ヘルゴラントを含む)、199097年にかけてのベルリン・フィル(ヘルゴラントを含む)、そして2012年に完結したシュターツカペレ・ベルリンとの全集です。前人未踏の3度も全集を録音し、かつ、カラヤン亡きあとベルリン・フィルを従えてのブルックナー交響曲全集ですから、バレンボイムに衆目のまなざしが寄せられるのも当然でしょう。 

さて、ここでの比較は最大のメルクマールたる第8番についてです。マゼール/ベルリン・フィル盤では、さすが大家らしい堂々たる演奏で前半2楽章の落ち着いた解釈には好感をもてますし、終楽章は一転、思い切り盛り上げます。しかしながら、第3楽章に耳をそばだてていて、ブルックナー特有の霊感(天から音楽が降臨するような一瞬の感動)が乏しく、ここでは緊張が途切れます。音の磨き方はなんとも精妙なのですが、それがゆえにかえって、「音」に神経が向かい「音楽」の深部への心の共鳴をさまたげているようにも思います。

 バレンボイムについてはベルリン・フィルとの第6番はその美しい和声がとても気に入りました。しかし、その後、期待とともに第8番を聴いて評価がかわりました。敢えて良さをいえば豪華な音、ピアニッシモの美しさでしょうか。第6番ではそれが魅力でしたが、精神の格闘技を演じるような第8番においては別です。ベルリン・フィルの場合、誰が振っても一定以上のレヴェルは示すでしょう。よって、第8番では「何を」リスナーに示すかが問われます。遅めの進行のなか、時にいささか不自然なテンポの緩急のつけ方に納得できるものがありません。第3楽章に顕著ですが、テンポの改変によって、ふと求心力に空隙ができるような気すらします。その間、豪華で美しいメロディが流れていくので余計にそう感じます。バレンボイム盤には指揮者のかすかな唸り声とともにブルックナーへの並々ならぬ熱意は感じます。しかし、曲想の大きな掴み方ひとつとっても、小生には最盛期のカラヤン/ベルリン・フィルとの差は歴然としているように思われます。

月曜日, 8月 24, 2020

チェリビダッケ ブルックナー 第8番

 Sym 8

交響曲第8番ハ短調(1890 編 ノーヴァク)
録音:1993年9月12&13日、ガスタイク・フィルハーモニー、ミュンヘン

一音、一音が、フレーズが、パッセージが固有の意味をもっているのだ、と繰り返し練り込むような演奏です。ミュンヘン・フィルの弦楽器群は、文字通り一糸乱れぬ臨場(ライヴ盤とはとても思えません)、対して管楽器群の威力は凄く、これが合わさったときの濃度の高さを形容する言葉がなかなか見つかりません。適切な比喩ではありませんが、水の流れではなく“液状化”といった感じでしょうか。

1楽章が遅く重いので、つづくスケルツォは通常より遅いにもかかわらず、荷もたれ感がなくハープの響きが清涼剤のように感じます。第3楽章では低弦のあえて混濁した響きではじまり、それが曲の進行とともに音が徐々に純化、浄化されていくような展開を取ります。各楽器パートの意味ありげな表情の豊かさは、ブルックナー自身の想定をあるいは超えているかも知れません。しかし、不思議なことにその背後には、なにか霊的で静謐なものがあるようにも感じさせます。この一種の「濾過過程」の表現が有効に機能しているからでしょう。演奏に一瞬の弛緩がなく、ゆえにこの楽章だけで35分の遅さがさほど苦になりません。終楽章もテンポは動かさず遅さも不変です。緊張感の持続の一方、強奏部の迫力がここでの魅力です。全体のバランスはけっして崩しませんが、ここぞというところでは、思い切り弾き、鳴らしています。ケンペ時代の録音も同様ですが、こうした場面でのミュンヘン・フィルの質量には圧倒されます。

日曜日, 8月 23, 2020

シューリヒト ブルックナー 第3番

 ブルックナー:交響曲第3番

◆ブルックナー 交響曲第3番

カール・シューリヒト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1965年12月2~4日(セッション録音)

 

シューリヒト/ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲録音は、第9番(稿:原典版、録音:1961年、演奏時間:56:17)、第8番(1890年版、1963年、1:11:14)の順に行われ、本第3番は、1889年版による1965年12月2~4日の収録です(55:17)。なお他に、第5番については1963224日(ウィーン楽友協会大ホール)ライヴ盤もあります。

 

このコンビによって第8番、第9番で歴史的名盤を生み出したわけですから、本盤への期待は否応なく高まりますが、その割に意外にも注目されないのは、同じウィーン・フィルで、先行してクナッパーツブッシュ(1890年版、19544月)、本盤の5年後のベーム(1890年ノヴァーク版、19709月)という非常な名演があり、ちょうどその谷間に位置していることも一因かも知れません。

クナッパーツブッシュの“快演”からは、第3番の分裂症的な心理のボラティリティが見事に浮かび上がってきますし、ベームの堅牢な演奏スタイルは、その心象をある意味、克服していくようなエネルギーに満ちています。

そうした点では、シューリヒトはいつもどおりの彼であり、第3番に限って特に対応をかえているわけではありませんが、両者に比べて温和な印象があります。

中間2楽章が実に美しく、その一方でシューリヒトらしい明るい力感にも富んでおり聴き所かと思います。管楽器をあまり突出させない録音スタイルからは、メロディラインがくっきりと浮かびあがってきます。終楽章も沈着冷静な音づくりに最大限、集中している様子が感じとれフィナーレは感動的です。こうしたアク抜けした演奏もけっして悪くはありません。

 

さて、何度も聴いているとこの曲が当初、ウィーンの「目利き」の連中に受け入れられなかったことも理解できるような気になります。古典的な作曲ルールをけっして踏み外さないブラームスを堪能していたウィーン子が、はじめてライヴで聴く恐ろしく長くとても「異質の音楽」がこの第3番ではなかったか。

 アーノンクールやシノーポリは「やり手」でこの曲のポレミークさ(論争性)を結構うまく使って、当時においてはおそらく感じたであろうブルックナーの「不思議な変調」(現代人のブルックナー・ファンにとっては実は堪らぬ魅力の源泉)を強調しているような気がしますが、シューリヒトは平常どおり奇を衒わず淡々とこなしているように感じます。第3番は良くも悪しくもブルックナーの「地金」が強烈にでている曲であり、そこをどう表現するかどうかのアクセントの違いかも知れませんが、ここはアクの強い演奏に惹かれるか、それともシューリヒトのように“アク抜け”を好ましく思うかの選択肢でしょう。