17枚CDの全集。演奏の質は高くアシュケナージ、ポリーニ、ツィマーマンらいずれも推薦盤に名を連ねたもの。普段はなかなか聴けない曲も収録されており、系統的にショパンを聴きたい向きには好適。ただしショパンはディープな好事家も多いので、各曲演奏に拘りもあろう。極力、同一の演奏者で揃えたいという方には別のチョイスもあろう。その意味で以下に一応のラインナップを掲げてみた。ご参照を!
【収録概要 西暦は録音年月】
【CD1】ピアノ協奏曲第1番、第2番 ツィマーマン(ピアノ、指揮)ポーランド祝祭管弦楽団 1999年8月 【CD2】 モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》の「お手をどうぞ」による変奏曲 ポーランド民謡の主題による幻想曲 ロンド《クラコヴィアク》 Cアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ アラウ(p) ロンドン・フィル 指揮:インバル 1970年6月、1972年6月
【CD3】 バラード全集(4曲) 幻想曲ヘ短調 ツィマーマン(p)1987年7月 3つの新しい練習曲 葬送行進曲 3つのエコセーズ アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)1999年3月
【CD4】 練習曲集作品10(12曲) 練習曲集作品25(12曲) 舟歌嬰ヘ長調作品60 子守歌変ニ長調作品57 ポリーニ(p)1972年1月&5月、1990年9月
【CD5、CD6】マズルカ全集 アシュケナージ(p)1976~85年
【CD7、CD8】夜想曲全集マリア・ジョアン・ピリス(p)1995年1月~96年6月
【CD9】ポロネーズ全集Vol.1(第1~7番)ポリーニ(p)1975年11月
【CD10】 アンダンテ・スピアナート ト長調と華麗なる大ポロネーズ アルゲリッチ(ピアノ)1974年1月、7月 ポロネーズ全集Vol.2(第8~16番) 2つのブーレ ギャロップ・マルキ変イ長調遺作 アルバムの一葉ホ長調遺作 カンタービレ変ロ長調遺作 フーガ イ短調遺作 ラルゴ 変ホ長調遺作 ウゴルスキ(p)1999年3月
【CD11】 前奏曲全集(26曲)ラファウ・ブレハッチ(p)2007年7月 即興曲全集(4曲)ユンディ・リ(p)2004年6月、2001年9月
【CD12】 スケルツォ全集(4曲)ポリーニ(ピアノ)1990年9月 ロンドハ短調作品1 ロンド ヘ長調作品5《マズルカ風》 リーリャ・ジルベルシュテイン(p)1999年3月 ロンド変ホ長調作品16ミハイル・プレトニョフ(p)1996年11月 2台のピアノのためのロンド ハ長調作品73 クルト・バウアー、ハイディ・ブング(p)1958年4~5月
【CD13】ピアノ・ソナタ全集 第1番ハ短調作品4 ジルベルシュテイン(p)1999年3月 第2番変ロ短調作品35《葬送》 第3番ロ短調作品58 ポリーニ(p)1984年9月
【CD14】 ドイツ民謡《スイスの少年》による序奏と変奏曲ホ長調遺作 《パガニーニの想い出》変奏曲イ長調遺作 華麗なる変奏曲変ロ長調作品12 4手のための変奏曲ニ長調遺作 ヘクサメロン変奏曲ホ長調 演奏会用アレグロ イ長調作品46 ボレロ ハ長調作品19 タランテラ変イ長調作品43 アシュケナージ(p)ヴォフカ・アシュケナージ(p)1978~83年
【CD15】ワルツ全集(19曲)アシュケナージ(p)1975~84年
【CD16】室内楽作品集 ピアノ三重奏曲ト短調作品8 ボサール・トリオ 1970年8月 序奏と華麗なるポロネーズ作品3 ロストロポーヴィチ(チェロ)アルゲリッチ(p)1980年3月 マイアベーアの歌劇《悪魔のロベール》の主題による大二重奏曲ホ長調 アンナー・ビルスマ(チェロ)ランバート・オーキス(p)1993年1月 チェロ・ソナタ作品65 ロストロポーヴィチ(チェロ)アルゲリッチ(p)1980年3月
【CD17】歌曲集 《ポーランドの歌》作品74遺作(17曲) 魅惑 ドゥムカ エルジビェータ・シュミトカ(ソプラノ)マルコム・マルティノー(p)1999年1月
金曜日, 6月 11, 2010
火曜日, 6月 01, 2010
クラシック音楽 聴きはじめ 2 ミュンシュ
上記は、パリ管との有名なライヴだが、ぼくは正規録音盤を聴いている。ボストン響盤も聴く。<十八番>とは、こういう演奏をいうのだろう。「幻想」ではマルケヴィッチやベイヌムも良い演奏だが、ミュンシュのちょっと真似のできないスケール感はやはり大書しておくべきだろう。
大きく、早く、熱っぼく・・・と書くといかにもお手軽な印象を与えかねないが、でも、やはり、構えが立派で、軽快なテンポを保ち、かつ汗が迸るような熱演であることがミュンシュの特色である。
クラシック音楽を聴きはじめた頃、1968年11月6日にミュンシュは逝去した。直後の11日に民放で追悼記念コンサートの放映があり、演目は「幻想」であった。当時は、こうした映像自身がめったに紹介されることがなかったから、この貴重な記録を食い入るように魅入ったと思う。
ところで、ミュンシュについては、意外なくらい『ウィキペディア』での記載が少ない。以下は全文の引用。
(参考)
【生涯】
1891年9月26日に生まれ、ドイツ語名カール・ミュンヒ(Karl Münch)。家はドイツ系のアルザス人であり、第1次世界大戦後アルザスがフランス領に戻った際いったんはドイツ国籍を選択するが、のちナチスの台頭を嫌ってフランスに帰化。その際にフランス風の名前に改めた。ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の奏者となった。ゲヴァントハウス管弦楽団で1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務める。
1929年にパリで指揮者としてデビュー、1937年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者となって、1946年まで在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその座にあって、数々の名演を行った。1960年にボストン交響楽団、1966年にフランス国立放送管弦楽団と来日、単身では1962年に日本フィルハーモニー交響楽団を指揮するために来日している。1967年にパリ管弦楽団が組織された際には初代の音楽監督に就任したが、翌年同団とともに演奏旅行中、アメリカのリッチモンドで急逝した。
【人物】
ミュンシュは、長い指揮棒を風車のように振り回す情熱的な指揮ぶり、爆発的な熱気あふれる音楽表現で高い人気を誇った。また、即興の名手であり、大の練習嫌いとしても知られている。仮に綿密なプローベをしたとしても、本番中悪魔のような笑みを浮かべつつ練習とは全く違う指示を出すことも多かったとも言われている。生涯のほぼ半分ずつを、それぞれドイツ人とフランス人として送った彼は、両国の音楽を共に得意とした(この両国間で帰化した音楽家は意外と少ない)。ことにベルリオーズの演奏は高く評価された。その一方で、ベートーヴェンやブラームスなどでも定評がある。長いコンビだったボストン交響楽団との演奏がRCAレーベルに、晩年のパリ管弦楽団との録音がEMIレーベルに主として残されている。特に後者における、ベルリオーズの『幻想交響曲』とブラームスの第1交響曲のレコード・CDは評価が高い。また、小澤征爾やシャルル・デュトワを教えたことでも知られている。
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