『ツァラトゥストラはこう語った Also sprach Zarathustra』をはじめて読んだ時、西欧思想のコンテクストのなかで、これは革新的な思想の転換の書だと思い強い衝撃をうけた。しかし、その後に仏教関係のインドの本に親しむようになって、この転換の思想、すなわち「神は死んだ」「超人Übermenschの定立」「永劫回帰」の思想は、「原始仏教およびその源流の否定」「小乗仏教から大乗仏教への転回」「無の発見」と符合すると思うようになった。
インド仏教における「定番」は、山に籠って一人沈思黙考する、既存の価値観・宗教を否定し、より本源的・超越的思想へと止揚していくプロセスを語ることにあり、これは、『ツァラトゥストラ』と共通する。
『ツァラトゥストラ』が、ゾロアスター教の開祖の名前であるザラスシュトラ(ゾロアスター)をドイツ語読みしたものであるとすれば、その根本において、はるか以前の東洋思想と同じ源流に行きつくことに不思議はない。ニーチェはニヒリズムの元祖でもあるが、その「虚無主義」と仏教における「無」は、実は、「虚」の一字を冠するか否かの差であり、ながき仏教の系譜と体系のなかでは、「虚無」は「無」によって克服されるべき考え方であるとも言える。
さらに、ギリシア哲学とキリスト教を二元的な価値体系と捉える「西洋哲学」以前から、認識論の発達とその歴史を誇る「インド哲学」はあり、両者の関係性の理解なくして、『ツァラトゥストラ』の真の解読はできないかも知れない、とも思う次第である。
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