『偉大な指揮者たち―指揮の歴史と系譜』(ハロルド・C.ショーンバーグ著/中村 洪介訳、音楽の友社、1980年) では、ホーレンシュタインについてたった一カ所の記載がある。
「現在でも重要なロシア生まれの指揮者たちーエウゲニー・ムラヴィンスキー、キリル・コンドラシン、イーゴリ・マルケヴィッチ、ヤッシャ・ホーレンスタインらーは尊敬されてはいるけれども、国際的な影響をまずほとんど及ぼしていない」(p.378)
ムラヴィンスキー、コンドラシン、マルケヴィッチはその後、国際的にも著名となり現在も再評価の機運も高い。しかも、チャイコフスキー、ショスタコーヴィッチ、ベルリオーズなどではいまも決定的名盤と呼ばれる記録も残している。そのなかにあって、ホーレンシュタイン(ホーレンスタイン)は地味な存在ながら、マーラーなどでは同様に記憶の彼方から呼び戻されようとしている。
ホーレンシュタインの歩んできた道はマーラーと似ている。ロシアのキエフ生まれ。ユダヤ系である。若き日はウィーン、ベルリンなど主力都市で、順調な指揮者キャリアを積む。しかし、ナチスの台頭でその地位を奪われ、遍歴ののちアメリカに渡る。だが、ロシア出身というのは当時の米ソ冷戦下、大きなハンデキャップであったろう。結局、アメリカで不遇をかこち欧州に戻るが、客演を主体とした活動が中心で最後はロンドンで没する。マーラー同様、ユダヤ系でハイマートを持たない境遇であった。
マーラーの演奏は、似た境遇からの共感にささえられていたかも知れないが、演奏スタイルはいわゆる「マーラー憑き」とは全く異なっていかにもクールである。ホーレンシュタインのデビューは25才のとき、ウィーンでのマーラー交響曲第1番であった。
Mahler: Symphony No. 1 "Titan"
Vienna Symphonic Orchestra, Gustag Mahler & Jascha Horenstein
● マーラー:交響曲第1番ニ長調
マーラーの第1番。ホーレンシュタインの演奏を「巨大なスケールと濃厚な情感表現」(HMV)と捉えると、この“タイタン”は少し違う気がする。第3楽章までは、これほど沈着冷静にして抑えた演奏はないのではないかと思えるほど「静かなるマーラー」である。終楽章はたしかに盛り上げるべきところは、外さないが、それとて、そこを通過すれば「静かなるマーラー」にふたたび回帰していく。しかし、「静かなるマーラー」のなかに名状しがたい凄みがあるのである。マーラーに臨場するホーレンシュタインの心には、たしかに一定の熱量を維持する冷熱発電のような青白く透明な炎が揺れているように感じる。
ロンドン交響楽団
Recording: 29th
and 30th September 1969, Barking Assembly Hall, LondonSymphony No. 3
Mahler: Symphony No.4
Symphony 8/Horenstein
マーラー:交響曲第9番、亡き児をしのぶ歌
【以下はHMVからの引用】
ホーレンシュタインの芸術(7CD)
マーラー第1・3・6番、ブラ2、死と変容、画家マティス
ユニコーン・レーベルの代表的名盤が復活! 巨大なスケールと濃厚な情感表現で知られるホーレンシュタインは、マーラーやブルックナーに早くから取り組み、その普及に尽力した功績でも有名。その個性的な芸風を味わうのに最も条件が良いとされるのが、イギリスのユニコーン・レーベルでおこなった一連のステレオ・レコーディングでした。だいぶ以前に活動を停止してしまっているユニコーンですが、今回、イギリスのスクリベンダム・レーベルでは、ユニコーン音源のライセンス保有者と契約してホーレンシュタインの貴重な録音のボックス化に漕ぎつけました。
それぞれのディスクは、LP時代のオリジナル・デザインを復活させた仕様の紙ジャケットに封入され、アートワークまで含めたトータルな魅力を誇っていたユニコーン・レーベルの雰囲気をコンパクトに再現してくれているのも嬉しいところです。
なお、外箱はスクリベンダムならではの色彩感をさらに強化した(?)かなりインパクトのある色使いとなっていますが、ヒストリカルものでよく見受けられる原色趣味の究極ともいえるデザインは面白いと言えるかもしれません。
【ホーレンシュタイン・プロフィール】
オーストリア人を母にロシア帝国のキエフに生まれたヤッシャ・ホーレンシュタイン[1898-1973]は、6歳からヴァイオリンを弾き始め、1911年にウィーンに移ってからはインド哲学と音楽を勉強、ヴァイオリンをアドルフ・ブッシュに、作曲をヨーゼフ・マルクスとフランツ・シュレーカーに学びます。
学生たちとアマチュア・オーケストラをつくって指揮したりしていたホーレンシュタインですが、やがて、ベルリン高等音楽院でアロイス・ハーバやエルンスト・クシェネックに作曲を学び、その後、聖歌隊指揮者やフルトヴェングラーの助手も経験。そして1922年にウィーン交響楽団を指揮してマーラーの交響曲第1番でそのキャリアをスタートします。1924年にはベルリンでも指揮を始め、1925年にはベルリン・フィルを指揮して成功して同楽団指揮者に名を連ね、1928年にはベルリン・フィルとブルックナーの交響曲第7番を独ポリドールに録音、同年にはフルトヴェングラーの推薦により、若くしてデュッセルドルフ・オペラの第1指揮者となり、翌年にはデュッセルドルフ・オペラの音楽総監督に就任するなど仕事は順調でしたが、1933年、ナチスの台頭により同職を辞任、ヨーロッパ各地を転々とし、やがて、トスカニーニらと共に設立間もないパレスチナ交響楽団の常任指揮者のひとりとなり、1940年にはアメリカに亡命します。
その後、1949年にヨーロッパに帰還。1950年にはベルク『ヴォツェック』のパリ初演を指揮するなどして話題となり、各地のオーケストラに客演する生活を続けていました。晩年の住居はスイスのローザンヌでしたが、活動拠点はロンドンで、パリやウィーン、ストックホルムなどヨーロッパ中心の指揮活動をおこない、それほど数は多くは無いもののレコーディングにも熱心に取り組み、素晴らしい録音を遺しています。(HMV)
【収録情報】
Disc1
● ブラームス:交響曲第2番ニ長調,op.73
デンマーク放送交響楽団
Recording: 16th March 1972, live performance at the Denmark Radio Concert Hall in Copenhagen
Disc2
● マーラー:交響曲第1番ニ長調
ロンドン交響楽団
Recording: 29th and 30th September 1969, Barking Assembly Hall, London
● R.シュトラウス:交響詩『死と変容』
ロンドン交響楽団
Recording: 29th July 1970, Fairfield Halls, Croydon
Disc3
● マーラー:交響曲第3番ニ短調(第1-5楽章)
Disc4
● マーラー:交響曲第3番ニ短調(最終楽章)
ロンドン交響楽団
ワンズワース・スクール少年合唱団
アンブロジアン・シンガーズ
Recording: 27th-29th July 1970, Fairfield Halls, Croydon
● マーラー:交響曲第6番イ短調(第1-3楽章)
Disc5
● マーラー:交響曲第6番イ短調(最終楽章)
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: 15th & 17th April 1966, live performances at the Stockholm Concert Hall
● ヒンデミット:交響詩『画家マティス』
ロンドン交響楽団
Recording: ) 19th May 1972, Walthamstow Town Hall, London
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