Symphony B Minor D / Symphony 1 in D Major
なんと言っても、マーラーその人の直伝をうけた人であり、愛弟子であったワルター、元気な頃の過熱な演奏。
ワルターがバイエルン国立歌劇場管弦楽団を振った1950年10月のミュンヘンンでのライヴ盤。音が籠っており、かつ会場の雑音を多く拾っていて録音は良くない。一般には後年のコロンビア響(1961年)の音源を手にとるべきであろう。
しかし、ワルターが心臓発作で倒れる前の元気な頃の演奏であり、ワルターファン、マーラー好きであれば演奏は面白く聴くことができるだろう。なによりも、ワルターの構えず、気負わず、得意のマーラーを存分に聴いてもらおうという意欲が強く伝わってくる。
第1楽章はオケがついていけず、やや空振り気味ながら、第2楽章に入ると歯車の回転が噛み合ってきて明るく夢見心地の曲想に徐々に乗っていく。第3楽章は一転音を絞り込み、テンポを一定に静かなる行進にかわる。ここは、はっきりとアクセントをつけた道行きであり「さすらう若人の歌」引用部ではいっそう減速して妙なる響きを奏でる。終楽章、溜めたエネルギーを一気に放出する苛烈な演奏に変貌する。歯切れ良く、ライヴならではの迫力で、思うさまオケを鳴らしていく一方、甘美な部分はこれでもかといわんばかりに訴え、感情の抑制を解除する。管楽器などは息切れしそうな場面もあるが、ワルターに従うオーケストラの全力対応エンディングこそ胸を熱くする要素だろう。
→ The Great Conductors にて聴取
マーラー:交響曲第2番「復活」(期間生産限定盤)
2015ワルターの『復活』も熱演ながら、これは同じ弟子筋のクレンペラーの1950年アムステルダム盤 Mahler/ Symphony No.2 が取り上げも早く裂帛の気迫では勝っているように思う。もっとも、あくまでも「ぶっきら棒」の苛烈なるクレンペラーに対して、ワルター・ファンなら、特有の抒情的な表現ぶりにはぐっとくるものがあるだろう。
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Symphony 4 / Lieder & Gesange
第1楽章、ワルターの演奏には、生きとし生けるものへの讃歌を感じさせる。もちろんそれのみに一辺倒ではなく、マーラー特有の複雑な表情が背後に隠されており、それが折節、頭をもたげるが、全体の基調は明るさを失わない。
第2楽章,鋭い観察者なら躁鬱の明らかな兆候をみるだろうが、それをあえて嚙み殺した笑いでごまかそうとするかのような音楽。ワルターは虚飾なく、あるがままにこれを表現している。第3楽章、マーラーの書いたもっとも美しいアダージョの一つを端正に精魂をこめてワルターが演奏している様が想像できる。この約17分半は至福の時間。
終楽章、ソプラノの デシ・ハルバンの声は録音のせいかも知れないがあまり前に出ず、個性的でもない。それが本盤では惜しくもあり、またワルターのあるいはマーラーの求めていた歌は実はこれだったのかな、ともふと思う。
➡ New York Philharmonic 175th Anniversary Edition も参照
マーラー:交響曲第5番
1947年のモノラル、ライヴ音源がいまにいたるまで現役盤として聴きつがれていること自体が、この演奏のもつ強烈なインパクトを端的に示している。マーラーの愛弟子、ワルター渾身の第5番である。全体にわたって快速、思い切りメリハリのきいたリズムと、限度を超えるような強奏が炸裂する演奏。
特に、第2楽章や終楽章の戦闘的な展開など、心臓を鷲掴みにするような迫力がある。テンポはときに大胆に可変し、第4楽章の静寂のメロディのパートには共感に裏打ちされた深い詠嘆がある。同じ弟子筋のクレンペラーも第2番で苛烈なライヴ盤
Mahler/ Symphony No.2 を刻んだが、マーラーの心情に寄り添い、その遺訓を残そうとした2人がこうした記録を残していること自体、よく考えてみる意味があるかも知れない。
緻密なテクスチャー解釈重視で、ワルター、クレンペラーの後継とでも言うべきバーンスタインやテンシュテットを含め、「直情的解釈」の時代は終わったといった向きも、この演奏を聴けば驚倒ものだろう。
➡ New York Philharmonic 175th Anniversary Edition も参照
マーラー:交響曲第9番
マーラー逝去の翌年1912年6月にワルター/ウィ−ン・フィルによって初演された本曲。本盤は約四半世紀後、同じ組み合わせでの歴史的なライヴ演奏(SP録音の復刻)。その後、ワルターは初演から約半世紀後、晩年の1961年にもコロンビア響 Bruno Walter Conducts Mahler で再録を行っている。
初演者ならではの「絶対価値」的な呪縛からか、本38年盤以降、9番の録音はながく封印されていた。その呪縛を解いたのもワルター自身であり、氏没後、バーンスタイン(1965年)Complete Symphonies、クレンペラー(1967年)Mahler: Symphony No 9 らの非常な名盤の登場によって一気に本曲の普及がすすむ。
38年盤、61年盤とも、それぞれの個性と価値をもつが、第3楽章までの解釈には基本的に大きな相違は感じない。その一方、38年盤第4楽章の速いテンポと感情表出には強い驚きがある。いまと違って、長大なマーラーの9番に聴衆の集中力を途切らせないために、「きわめて反抗的に」盛り上がる第3楽章ロンド・ブルレスケ(戯れの曲)のあと、ワルターはあえてこうした斬新なアプローチをとったのかも知れない。対して61年盤では「さらば、わが糸のすさびよ」(マーラー草稿最終ページ)の如き、滔滔たるマーラー最後のアダージョである。
一般には録音状況がよく、かつ細部まで目届きされマーラー解釈が濃縮されている61年盤を選択すべきだろうが、本盤の独特な緊張感にも比類ない感動がある。
Mahler: Das Lied von der Erde / Bruno Walter
キャスリーン・フェリアーのマーラー演奏はいまに聴き継がれている。第2番(クレンペラー)Mahler/ Symphony No.2 、第3番(ボールト)Symphony No.3 Kindertotenlieder のほか、第4番Mahler: Symphony No.4 とこの「大地の歌」( Gustav Mahler: The Symphonies, Das Lied von Der Erde(The Song of The Earth) 所収)はワルターとの共演である。
フェリアーは翌年、41才の若さで病没するので、結果的に彼女の晩年の貴重な音源となり、しかも本曲第6楽章は「告別」なので、そのアナロジーからも伝説になった録音である。
けっして美声とは言えないだろうが、芯の通った独特の声であり、かつ低音部の迫力がオーケストラに負けていないことがフェリアーの特質であり、偶数楽章はバリトンでも演奏可の本曲において、フェリアーに最もふさわしい演目であったかも知れないと思う。
ワルター/ウィーン・フィルの響きは(ワルター/ニューヨーク・フィル1960年盤に比べても)思いのほか重いのだが、その重みに耐えているような悲痛な詠唱である。その迫力と説得力は余人を寄せつけない。
なお、ワルターのマーラー演奏のラインナップについては、The Original Jacket Collection:Bruno Walter Conducts Famous Mahler & Bruckner も参照。また、ワルターの「大地の歌」については、前述の マーラー:交響曲「大地の歌」 も重要で、録音の良さも加味して一般的に選ぶのならこちらに軍配を上げるべきかも知れない。
BRUNO WALTER CONDUCTS MAH
ワルターの歴史的な成果であり畏敬をもって聴くべき遺産。以下では録音は良くないものもあるが、他の音源との若干の比較を。
本集のニ種類の『巨人』はワルターの代表盤だが、1950年ミュンヘン盤 Symphony B Minor D / Symphony 1 in D Major にはライヴならではの迫力がある。本集『復活』も熱演ながら、これは同じ弟子筋のクレンペラーの1950年アムステルダム盤 Mahler/ Symphony No.2 が取り上げも早く裂帛の気迫では勝っている。
第4番では Mahler/Mozart: Symphony No 4/S もあるが、本盤 Symphony 4 / Lieder & Gesange が本命。第5番 マーラー:交響曲第5番 も唯一の貴重な成果。
なお、第9番 マーラー:交響曲第9番 および『大地の歌』Mahler: Das Lied von der Erde / Bruno Walter は極めて古い録音ながらもワルターファンなら比較のうえでも聴いておきたい。
【収録情報】
・交響曲第1番ニ長調『巨人』ニューヨーク・フィル(1954年M)
・交響曲第1番ニ長調『巨人』コロンビア響(1961年S)
・交響曲第2番ハ短調『復活』エミリア・クンダリ(S)、モーリーン・フォーレスター(A)、ウェストミンスター合唱団、ニューヨーク・フィル(1957&58年S)
・交響曲第4番ト長調:デジ・ハルバン(S)、ニューヨーク・フィル(1945年M)
・交響曲第5番嬰ハ短調:ニューヨーク・フィル(1947年M)
・交響曲第9番ニ長調:コロンビア響(1961年S)
・『大地の歌』ミルドレッド・ミラー(Ms)、エルンスト・ヘフリガー(T)、ニューヨーク・フィル(1960年S)
・『若き日の歌』から 思い出、別離と忌避、再び相まみえずに、私は緑の森を楽しく歩いた、夏に小鳥はかわり、ハンスとグレーテ、春の朝(たくましい想像力) デジ・ハルバン(S)、ニューヨーク・フィル(1947年M)
・歌曲集『さすらう若人の歌』ミルドレッド・ミラー(Ms) コロンビア響(1960年S)
Sはステレオ、Mはモノラル
➡ The Original Jacket Collection:Bruno Walter Conducts Famous Mahler & Bruckner も参照
織工Ⅲ: ワルター も参照