https://www.amazon.co.jp/Bruckner-Symphony-No-4-Masur/dp/B000025GBN/ref=sr_1_10?s=music&ie=UTF8&qid=1549776318&sr=1-10&keywords=masur+bruckner
いま、これを書きながら聴いているのは、マズアの第4番。なんども親しんできて、でも、この素朴な感覚は実に良いなあと思う。それは、マズアの音づくりに加えて、ゲヴァントハウスの響きにあるように思う。まずは、旧東独のオケを中心に”ドイツの響き”の特集について
☛ ブルックナー~ドイツ的な重厚な響きを求めて
https://shokkou3.blogspot.com/2011/03/blog-post.html
◆ゲヴァントハウス管弦楽団のシェフ系譜
このオケの首席指揮者の系譜は凄い。しかし、東西冷戦下にあってベルリンの壁崩壊までの間(あるいはそれ以降も)、経済的には結構、厳しい時期があったかも知れない。
ブルックナーを聴くならその響きの深さからドイツ(オーストリー)の楽団で、
とよく言われますが、それ歴史と伝統をシュターツカペレ・ドレスデンとともに
今日継承しているのが、名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団です。
そのカペルマイスター(一部はEhrendirigent)の系譜は以下のとおりです。
1895~1922年 アルトゥール・ニキシュ(Arthur Nikisch)
1922~1928年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler)
1929~1933年 ブルーノ・ワルター(Bruno Walter)
1934~1945年 ヘルマン・アーベントロート(Hermann Abendroth)
1946~1948年 ヘルベルト・アルベルト(Herbert Albert)
1949~1962年 フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny)
1964~1968年 ヴァーツラフ・ノイマン(Václav Neumann)
1970~1996年 クルト・マズア(Kurt Masur)
1998~2005年 ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)
2005~2016年 リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly)
2017年~ アンドリス・ネルソンス(Andris Nelsons)
まるでブルックナー名指揮者一覧とでも言うべきリストです。下記の音源で
みても、ノイマンの交響曲第1番、コンヴィチュニーの第5番や8番、ブロム
シュテットの第4番や7番、マズアやシャイーの交響曲集(演奏は他楽団のもの
もありますが)などは優れた成果です。
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次にマズアについて。本ブログですでにいくどか取り上げてきた。
◆マズアについて(ブラームス第2番を聴いて)
地元ライプツィヒで学び、若き日の1970年代から名門ゲヴァントハウス管弦楽団で首席指揮者を務めたマズアは、ブラームスに限らず、ベートーヴェンやブルックナーでも、重量感ある素晴らしい独自のサウンドの快感をリスナーに教えてくれました。特に、ニキシュやフルトヴェングラーの伝統を継承するこの管弦楽団のもつ特有の泥臭さと幾分くすんだ音色でブラームスを奏でる時、ブラームスの憂愁とはこうした響きによってこそ本来表現されるべきでは、と思わせるものがあります。
70年代のいまだ冷戦下にあって、当時の西ドイツのオケがカラヤン/ベルリン・フィルを筆頭に機能主義的優秀さを誇るなか、マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団の古式ゆかしいドイツ的な響きのもつ魅力はまたひとしおです。
https://shokkou3.blogspot.com/2016/06/blog-post_52.html
◆マズアのブルックナー
ベルリン・フィルやウィーン・フィルと並んで、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は老舗中の老舗である。ゲヴァントハウスのブルックナー(ステレオ録音)が一般的に評価されたのはマズアの時代以降だが、忘れてはいけないのは、それ以前に名匠アーベントロートやコンヴィチュニーが先駆的な取り組みを行ったことであろう。
小生はブルックナーの版の問題に必ずしも敏感ではないが、マズアの録音が1974〜78年で、すでにノヴァーク版が主力になりつつある時期になぜハース版が多いのかの理由は、この伝統ある管弦楽団が永らく使ってきた楽譜がハース版であり、かつ更新する十分な資金にも当時乏しかったからではないかと想像する。
第1番のノイマン(1965年録音)はリンツ稿ハース版、第2番のコンヴィチュニー(1960年)は1877年稿ハース版、第3番ザンデルリング(1963年)は1889年版、第4番はその後のブロムシュテットもハース版、第5番は、アーベントロートもコンヴィチュニー(1961年)もハース版、第7番コンヴィチュニー(1961年)はハース版、第8番のアーベントロート(1949年9月28日)もハース版、そして、第9番のみはコンヴィチュニー(1962年)に続きその後のマズアも原典版となっている。
旧東独時代、外貨稼ぎの事情もあってか、マズアのブルックナーを世界に売り出す試みは成功し、深い響きと良き意味での古色蒼然たるハイマート感は日本でも話題となった。しかし、今日から振り返ると、その素朴ともいえる(しかし、たっぷりの)情感とぶっきらぼうとも思える非技巧性は、アーベントロート、コンヴィチュニーの伝統を引き継ぐものであると思う。ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナーは、その後も実に良い演奏が続く。歴史的には第7番の「初演オケ」には、連綿とし胸を張る伝統と各プレイヤーが引き継いできた楽器と音色に秘めた自信があるのだろう。それを最大限引き出したマズアの功績もまた大きい。
小生はブルックナーの版の問題に必ずしも敏感ではないが、マズアの録音が1974〜78年で、すでにノヴァーク版が主力になりつつある時期になぜハース版が多いのかの理由は、この伝統ある管弦楽団が永らく使ってきた楽譜がハース版であり、かつ更新する十分な資金にも当時乏しかったからではないかと想像する。
第1番のノイマン(1965年録音)はリンツ稿ハース版、第2番のコンヴィチュニー(1960年)は1877年稿ハース版、第3番ザンデルリング(1963年)は1889年版、第4番はその後のブロムシュテットもハース版、第5番は、アーベントロートもコンヴィチュニー(1961年)もハース版、第7番コンヴィチュニー(1961年)はハース版、第8番のアーベントロート(1949年9月28日)もハース版、そして、第9番のみはコンヴィチュニー(1962年)に続きその後のマズアも原典版となっている。
旧東独時代、外貨稼ぎの事情もあってか、マズアのブルックナーを世界に売り出す試みは成功し、深い響きと良き意味での古色蒼然たるハイマート感は日本でも話題となった。しかし、今日から振り返ると、その素朴ともいえる(しかし、たっぷりの)情感とぶっきらぼうとも思える非技巧性は、アーベントロート、コンヴィチュニーの伝統を引き継ぐものであると思う。ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナーは、その後も実に良い演奏が続く。歴史的には第7番の「初演オケ」には、連綿とし胸を張る伝統と各プレイヤーが引き継いできた楽器と音色に秘めた自信があるのだろう。それを最大限引き出したマズアの功績もまた大きい。
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次に各番別について。第1番についてはノイマンを挙げないわけにはいかない。本当に出色の演奏である。
ノイマン/ゲヴァントハウス管による1965年12月13-14日、ライプツィヒ救世主教会(ハイランツキルヒェ)での録音。
第1番はワーグナーの影響が強いとも言われるが、第4楽章でベートーヴェンの第9のメロディの一部が垣間見えたり、また、第1楽章では第7と少しく共通するリズムの乱舞があるように聞こえる部分もある。
ノイマンの演奏は、そうした面白さも反映しつつ、とにかく音が縦横に広がる。打者の手前でよく伸びる変化球のように、聴き手の予想を超えて音がきれいに伸張し、それが次に心地よく拡散していく瞬間の悦楽がたまらない。また、丁寧に丁寧に音を処理していく。第4楽章などに顕著だが繰り返しも忠実に行うなど、ノイマンらしい総じてとても真面目で端整な演奏である。
それでいて飽きさせないのは例えば第2楽章Adagio( 変イ長調)において、そのメロディの歌わせ方が絶妙でこよなく美しいこと、全般に程良いダイナミズムが持続することにある。陰影の付け方などはかなり工夫もあり、ここは「ベートーヴェン的」に演奏しているのでは・・と思わせるところもある。文句なしの「名演」であり、現状、第1番のベスト5に入るといっても過言ではないと思う。
第1番はワーグナーの影響が強いとも言われるが、第4楽章でベートーヴェンの第9のメロディの一部が垣間見えたり、また、第1楽章では第7と少しく共通するリズムの乱舞があるように聞こえる部分もある。
ノイマンの演奏は、そうした面白さも反映しつつ、とにかく音が縦横に広がる。打者の手前でよく伸びる変化球のように、聴き手の予想を超えて音がきれいに伸張し、それが次に心地よく拡散していく瞬間の悦楽がたまらない。また、丁寧に丁寧に音を処理していく。第4楽章などに顕著だが繰り返しも忠実に行うなど、ノイマンらしい総じてとても真面目で端整な演奏である。
それでいて飽きさせないのは例えば第2楽章Adagio( 変イ長調)において、そのメロディの歌わせ方が絶妙でこよなく美しいこと、全般に程良いダイナミズムが持続することにある。陰影の付け方などはかなり工夫もあり、ここは「ベートーヴェン的」に演奏しているのでは・・と思わせるところもある。文句なしの「名演」であり、現状、第1番のベスト5に入るといっても過言ではないと思う。
第3番ではケーゲル/ゲヴァントハウス管もある。
【以下は商品解説から引用】
録音:1986年3月ライヴ ステレオ
マズアとケーゲルが犬猿の仲であったことは、周知の事実です。ライプツィヒという音楽都市を二分した二人ですが、才能の差は歴然。 ここでは、珍しくマズアの手兵ゲヴァントハウス管に客演した晩年のライヴ。ゲヴァントハウス管から古色蒼然とした音色を甦らせました。壮年期のエネルギッシュで挑発的な表現は陰を潜め、ゆったりと懐かしむようなメロディ遊びに特色があります。全曲を通じて遅めのテンポが取られており、「ドイツ伝統遵守」の巨匠としてのケーゲルの一面を垣間見ることが出来ます。
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第5番と第7番では、コンヴィチュニーとの演奏がある。
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1970年後半から80年代前半にかけて第5番の名演といえば、ヨッフム、カラヤンなどを除けば、ケンペ/ミュンヘン・フィルとともに、このコンヴィチュニー/ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管は最右翼であった。かつ、バトンタッチした後の、マズア/ゲヴァントハウス管も推薦盤につづいて名を馳せるなど、コンヴィチュニーの引いた路線は確実に継承された。
豪胆な演奏、思い切り鳴らして迫力も十分。低弦の押し寄せる地響きにも似た音の広がりと金管楽器の劈(つんざ)くような咆哮によって、ブルックナーサウンドの底力を強烈に印象づけている。小細工なし、正面突破型のスタイルながら、第2楽章のボヘミアン風のメロディの親しみやすさなども巧みに表現して、けっして一本調子の力押しばかりではない。練達の指揮者と曲を完全習熟したオケによるこの時代ならではの成果といえよう。
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コンヴィチュニー(1901~62年)は、61才という指揮者としては働き盛りのときに逝去した。東西冷戦下にあって、その名声は西側に正確に伝えられていたかどうかはわからないが、残された記録によって稀代の大指揮者であったことがその後、知られるようになった。
豪胆極まる第5番(ゲヴァントハウス管)、第8番(ベルリン放送響)にくらべて、第7番は“大人しめ”の印象だが、第2楽章の充実感がよい。凡長な演奏だと表現に濃淡のムラがでる難しいアダージョだが、テンポは一定、表現ぶりも不動の平常心を忘れず、いわば淡々と進行しながら、深い感興をあたえる。気心のしれたオーケストラに「いつもどおりに気負わずにやろう}と指示しているような感じ。録音の鮮度が劣るのが残念だが、この鷹揚とした解釈から、素材の良さが自然と浮き上がってくるような演奏である。
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フランツ・コンヴィチュニー (1901〜62年) は、旧東ドイツで活躍した指揮者。いまは、息子の演出家ペーター・コンヴィチュニーのほうが有名だが、ことブルックナーの演奏に関する限り、父フランツの残した名演は語り継がれるものである。
コンヴィチュニーは、ブルノとライプチッヒの音楽院で学び、はじめはヴィオラ奏者となる。1927年に指揮者としてデビューしドイツ各地の歌劇場で活躍、49年にゲヴァントハウスの常任となり、1953〜55年にはドレスデン国立歌劇場、55年からは東ベルリンの国立歌劇場の音楽監督も兼ねた東ドイツでもっとも著名な指揮者であったといえよう。61年に来日するも翌年他界した。
ブルックナーは本集ほか比較的多くの録音がある。以下はその代表盤たる8番について。
金管が山脈の高度はあるが緩やかな稜線をトレースするように朗々と鳴り響く。実に雄々しく鳴らせている。解釈はオーソドックスでテンポは安定しており、多くの同番を聴いてきた者からすれば「重量感がある見事な演奏」というのが大方の感想ではないだろうか。弦楽器は録音の関係もあるかも知れないが控えめな印象をぬぐえないけれど、アンサンブルはけっして悪くはない。聴けば聴くほどに納得できる手堅くも堂々とした演奏である。ブルックナー名指揮者の間違いなく一角を占める証左と言えよう。
<収録情報>
○第2番(1960年モノラル)ゲヴァントハウス管弦楽団[1877年稿ハース版]
→ほかにベルリン放送響(1951年モノラル)盤もある。
○第4番(1961年ステレオ)ウィーン交響楽団[原典版]
→ほかに、ゲヴァントハウス管弦楽団、チェコ・フィルの録音もある。
○第5番(1961年ステレオ)ゲヴァントハウス管弦楽団[ハース版]
○第7番(1961年疑似ステレオ)ゲヴァントハウス管弦楽団[ハース版]
○第8番(1959年モノラル)ベルリン放送響[ハース版]
○第9番(1962年モノラル)ゲヴァントハウス管弦楽団[原典版]
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ゲヴァントハウスでも活躍したブロムシュテットははずれなし、彼のブルックナー全てが名演の評価。
◆ブロムシュテットのブルックナー
https://shokkou3.blogspot.com/2013/06/blog-post_16.html
以下はゲヴァントハウス以前、ドレスデンを振っての2枚
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1981年9月ドレスデンのルカ協会での演奏。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの4番は翌1982年録音だから、この時期シュターツカペレはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになる。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通するが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたい。
ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保つ(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17’48:18’23、第2楽章、16’40:16’30、第3楽章、10’02:10’51、第4楽章、20’22:21’06)。
ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足ない。
ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるだろう。ヨッフム盤とともにお奨めしたい。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1MSACDRZ0CO6C/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B003RECFFY
ブロムシュテットは、1998〜2005 年 ゲヴァントハウスで楽長(その後名誉指揮者)を努め、その後2005〜2012年の7年にわたってライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を完成させその成果を世に問うた(7番は本盤同様ハース版による)→ Complete Symphonies。
本盤はそれに先立ってシュターツカペレ・ドレスデンを指揮して録音されたもの。ブロムシュテットは1975〜85年にわたってシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者の地位にあり、ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集や、モーツァルトの後期交響曲集などを録音する一方、ブルックナーの取り上げは7番、4番の2曲に限られた。ブルックナーに関してはその後、6番(サンフランシスコ響、1990年)、4番(1993年)、ゲヴァントハウス管と録音した9番(1995年)や3番(1998年)などもあるが、この7番は1980年6月30日から7月3日にかけて、ドレスデンのルカ教会で録音されたいわば最初のブルックナー・トライアルである。
同団との ブルックナー:交響曲第4番<ロマンティック> も同様だが、本当に素晴らしい演奏である。第1楽章冒頭のいわゆるブルックナー<原始霧>、弦楽器群の弱音のトレモロの深い美音を聴いた瞬間から、その清涼な響きに打たれる。ブロムシュテットといえば、その師、イーゴリ・マルケヴィッチ同様、痩身長躯の立ち姿が目に浮かぶ。徹底した菜食主義者で知られ、かつて来日時に見た特集番組でもサラダを時間をかけて食する場面があったように記憶するが、全体として、緑陰に座って木漏れ日が葉脈を細密に映し出すのを下から眺めるような爽快な印象がある。
イン・テンポで一音一音を慎重に磨きこんでいく一方、その音楽には生命感があり葉脈を通じる透明な溶液を連想させる。音の彫琢という点では、晩年のカラヤン/ウィーン・フィルが徹底しているが、この自然な流れはブロムシュテットに特有である。試みに最晩年のカラヤン盤との比較でも、本盤/カラヤン盤は、第1楽章21:07/19:40、第2楽章24:32/23:15、第3楽章9:39/10:11、第4楽章12:25/13:00となっており、前半2楽章のテンポ設定はいかにブロムシュテットが遅いかがわかる。第2楽章はハース版の採用で打楽器は抑制され、ワグナーチューバの厳粛な響きも控えめで弦楽器群の室内楽的統一感と静謐さが前に出ている。
第3楽章スケルツォは一転、軽快に風を切る雰囲気があり、管楽器も躍動感をもって応答するがトリオでは指示どおり減速し潔癖なハーモニーが重視される。終楽章も過度なドライブはかけない。音量は感動とは正比例しないという信念があるかのように、管楽器の突出が巧みにセーヴされ高貴な響きが生き生きとしたリズム感とともに心の奥底に届いてくるかのようなアプローチである。
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