土曜日, 7月 12, 2014

クラシック音楽 聴きはじめ 5 ショルティ




サー・ゲオルグ・ショルティ(Sir Georg Solti, 1912 – 1997年)をライブで聴いたのは、一度だけですが1969年にウィーン・フィルと来日した際でした(以下は『ウィキペディア(Wikipedia)』 からの要約および加筆)。

 ショルティはハンガリーのブダペスト生まれ。6歳でピアノを習い始め1924年に、リスト音楽院でバルトーク、コダーイなどの指導を受け、ピアノ、作曲、指揮なども学び1930年、リスト音楽院を卒業。ブダペストの歌劇場でコレペティトゥーア採用。

 チャンスは、1936年にトスカニーニと知り合うことから始まります。ザルツブルク音楽祭でリハーサルのためのピアニストに欠員がでて、ショルティが急遽鍵盤の前に座ります。これがトスカニーニの目にとまり、同年と翌年のザルツブルク音楽祭のトスカニーニの助手を務め、1937年には「魔笛」の公演でグロッケンシュピールを担当します。

 1938年ブダペスト歌劇場にて「フィガロの結婚」で指揮者としてのデビュー。しかし軍靴の嵐が押し寄せ、彼はユダヤ系であったことから職を求めて苦労します。トスカニーニは援助の手を差しのべますが、渡米はできずスイスにとどまります。しかし天下の才人は違う!1942年、ジュネーブ国際コンクールの「ピアノ部門」で優勝。 

 戦後、1946年にバイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢され、翌年「ピアニスト」として英デッカと契約を結び録音活動もスタート、さらに1949年、リヒャルト・シュトラウスと会い指導を受けます。1952年にフランクフルト市立歌劇場の音楽監督に就任(-1961年)。1953年サンフランシスコ歌劇場にて「エレクトラ」の指揮でアメリカデビュー。後に音楽監督として緊密な関係を築くシカゴ交響楽団の初指揮は、1954年夏のラヴィニア音楽祭にて。1958年クナッパーツブッシュがやるはずだったウィーン・フィルとの「ニーベルングの指輪」全曲スタジオ録音を担当し、驚愕の成果を上げます。1959年「ばらの騎士」でイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場(ロイヤル・オペラ・ハウス)に登場、その成功により1961年に音楽監督に就任(-1971年)。 

 1969年のウィーン・フィルとの来日公演、同年シカゴ交響楽団の音楽監督に就任。1991年にシカゴ交響楽団の音楽監督を辞すも、桂冠指揮者として活動は継続。1997年9月5日、南フランスのアンティーブで死亡。遺骨はバルトークの墓の隣に埋葬。

 全集のディスコグラフィーは次のとおり。ベートーヴェン:交響曲全集(デッカ)/ブラームス:交響曲全集(同) /マーラー:交響曲全集(同)/ブルックナー:交響曲全集(同) /ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」全曲(同)/モーツァルト:オペラ「魔笛」(同) /バルトーク:管弦楽曲集(同)

ウィーン・フィルというじゃじゃ馬を見事に乗りこなす名騎手としてのショルティは、ウィーン・フィルのメンバーからの人気はいま一つだったようですが、その演奏の完璧性は誰しもが認めていたようです。来日演奏での正確性や燃焼度も記憶に残っていますが、なによりも再婚間もない奥方の美貌が忘れられません。当時ショルティ57歳頃ですが、溌剌としたカップルぶりでした。
 
http://mituhirousui.wordpress.com/2006/06/17/%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a2%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%83%a0%e2%85%a4%e2%91%a3%e3%80%80%e3%83%bcg-%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%ab%e3%83%86%e3%82%a3/



ショルティ オペラ指揮者の実力
http://shokkou3.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html

The Hungarian Masters
http://www.amazon.co.jp/The-Hungarian-Masters-Georg-Solti/dp/B004J4RQFK/ref=cm_rdp_product_img
 
ショルティ/ロンドン・フィルによるバルトーク、コダーイ集。収録されている各曲は以下のとおり。ショルティには録音の良い新盤もあるが、40代の昇竜の勢いをもっていたこの時期、十八番のハンガリーものの迫力は聴きもの。 

◆バルトーク:舞踏組曲(1952年録音)

1923年ブダペスト市制50周年記念のために作曲された祝祭的作品。ストラヴィンスキーを連想させるような鋭いリズムの打ち降しとどこか懐かしい素朴なフォークロアの見事な融合をショルティは生き生きと活写している。

◆バルトーク:弦楽器 打楽器とチェレスタのための音楽(1955年録音)

第1楽章の半音階的な主題は不気味な、底知れぬ不安をかきたて、第2楽章のピアノの特色のある打鍵と弦の跳ねるような追尾(バルトーク・ピッツィカート)はとても躍動的。第3楽章の拍子木による幕開けの後は第1楽章の不安が再来しサイコ・ストーリーのバックにぴったりの曲が展開され、終楽章は民族的なメロディと強いリズミックな音感が綾を成し壮大なクライマックスにいたる。ショルティの演奏は以上の過程を整然かつ濃厚に描いており秀でたもの。 

◆コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』(1955年録音)

「プレリュード」の音楽的冗談<くしゃみ>の絶妙な表現、聴かせどころ第2曲「ウィーンの音楽時計」の無類の楽しさ、第4曲「戦争とナポレオンの敗北」にみる大胆なウイッティさ、第3曲「歌」、第5曲「間奏曲」でのやるせない民謡への郷愁、終曲「皇帝と廷臣たちの入場」の最高潮への誘導、ショルティの演奏は完璧という言葉を連想させるにたる周到な出来映え。

◆コダーイ:ガランタ舞曲(1952年録音)

1933年ブダペスト・フィル創立80周年記念のため作品された曲。ジプシーのメロディが多用され、哀愁もあるがエネルギーにも満ちた、かつ管弦楽の能力を最大限引き出すようなこの曲をショルティは自信をもって堂々と仕上げている。

◆コダーイ:ハンガリー民謡『孔雀』による変奏曲(1954年録音)

第2次世界大戦が勃発した1939年に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団創立50周年記念のために作曲された曲。『孔雀』は正確には「孔雀は飛んだ」という民謡で、マジャール人のオスマン帝国支配下での自由への情熱を意味し、当時のファシズムに対しての抵抗がこめられていた。ショルティは晩年、世界平和への音楽での貢献を企図するが、そのいわば<表象>ともなった曲で、この頃から重要な「持ち駒」であった。切れ味のよい色彩感に富む演奏である。

◆コダーイ:ハンガリーの詩篇<英語歌唱>(1954年録音)
ウィリアム・マカルパイン(テノール)、ロンドン・フィルハーモニー合唱団

1923年ブダペスト市制50周年記念のために作曲された曲。16世紀の詩篇(ハンガリー語訳)がベースで、ハンガリー革命後の反動にあたって、革命派だったコダーイの思いをこの詩篇の歌詞によって表現しているといわれる。ショルティは、ここでも同国人の気概をもって集中力ある名演に仕上げている。 

なお、ヤーノシュ・クルカ/北西ドイツ・フィルによるリスト集<ハンガリー狂詩曲第6番『ペシュトの謝肉祭』、レーナウの『ファウスト』による2つのエピソード(夜の行列/村の居酒屋での踊り)、交響詩『フン族の戦い』>(1982年録音)がCD1に所収されている。

Wagner: The Operas



 ショルティの偉業を再認識させるアルバムである。彼がウイーン・フィルを振って史上初のセッション録音「指輪」全曲指揮者として登壇した当時、正直、その背景がよくわからなかった。並みいるワーグナー指揮者群像のなかにあってなぜショルティなのか?  


 最近、それ以前の分厚い蓄積 George Solti Conducts Opera Works に接して、なるほどと得心した。この人は1940年代後半から50年代にかけてオペラ分野の録音でコツコツと努力をかさね実績を積み上げ、その確実な<布石>と<強運>をもって栄えある地位をえた。しかも、そこにとどまらず、一層の精進をかさねウイーン・フィル、シカゴ響と録音を継続し、1958年から85年まで23年の歳月を費やして前人未踏の巨大な本ワーグナー・アルバムを残した。


  この時代、黄金期の歌手のラインナップが凄い。ニルソン、ヴィントガッセン、ジョージ・ロンドン、フラグスタート、ジェームズ・キング、クレスパン、ホッター、フィッシャー=ディースカウ、クリスタ・ルートヴィヒ、マルガ・ヘフゲン、プラシド・ドミンゴ、ルネ・コロ、ジェシー・ノーマン・・・、目が眩むような豪華絢爛たる布陣である。

 ショルティ再評価はこのアルバムに限定されない裾野の広さ(たとえばバルトークやR.シュトラウスなど)をみせるが、本セットはまちがいなくその中核を形成する。質量ともに本年、最強といってよい廉価盤集の登場である。


(参考)本集年代順録音記録
◆指輪 
Wagner: Der Ring des Nibelungen (Ring Cycle Complete) 1958~1965年
◆トリスタンとイゾルデ 
Tristan Und Isolde 1960年
◆タンホイザー 
Tannhauser (Slipcase) 1970年 
◆パルジファル 
Parsifal-Comp Opera 1971、72年
◆マイスタージンガー 
Die Meistersinger Von Numberg 1975年
◆オランダ人 
Wagner: Flying Dutchman 1976年
◆ローエングリン 
ワーグナー:歌劇「ローエングリン」全曲 1985年
ほかに管弦楽集などがある。
 


マーラー:交響曲第4番
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF/dp/B008RNLQLE/ref=cm_cr-mr-title/375-3498840-3292336


ショルティのマーラーの第4番では、キリ・テ・カナワ(ソプラノ)、シカゴ交響楽団を振った1983年のデジタル録音が代表盤と言われるが、これはスタールマン(ソプラノ)、コンセルトヘボウとの1961年の旧盤である。ショルティ、はじめてのマーラー録音とのことだが、その美しい響きに陶然となるような名演である。

 コンセルトヘボウは、遡ること20年前の1941年に、ヴィンセント(ソプラノ)で名匠メンゲンベルクと歴史的なライヴ名演を残しているが、マーラーの最良の抒情性が結晶したような4番のメローディアス性がこのオーケストラの音質ととても合っていると感じる。

 ショルティという指揮者は、ワーグナーの『指輪』での金字塔のイメージが強すぎダイナミックな演奏の権化のように思われがちだが、その実、こうした絹のような手触りの曲づくりでも抜群の巧さをみせる。

 スタールマンの声は端整でけっして出すぎずにオーケストラの音色と溶け込み好印象を与える。最終部の木管楽器との柔らかな掛け合いの部分などは、まだ終わってほしくない、もっと聴いていたいという陶酔感をリスナーに与えずにはおかないだろう。
 
Symphony 7




今日、マーラーもブルックナーも得意とし双方を積極的に録音する指揮者は少なくない。インバルなどはその代表であろう。また、どちらかは全集、他方は選択的という指揮者は数多い。例えば、バーンスタインはマーラー交響曲全集はあるがブルックナーは選択的、カラヤンはその逆といった具合である。さて、ショルティは早くから双方ともに全集を録音している数少ない指揮者である。しかも、両全集ともに極めて均質的で素晴らしい出来である。


  ショルティはライナーやセル、オーマンディら「ハンガリアン・ファミリー」の一人。いずれも共通し、ハンガリー生まれで欧州で学びアメリカで活躍した音楽家だが、そのレパートリーは広大でムラや「駄演」がない。ハンガリアン・ファミリーはライナーが典型だが、オケを徹底的に鍛え上げ、テクストを深く読み込み、集中力溢れる演奏を心がける。

  マーラーの7番も他の演奏同様、高いレベルにあるが、特に手兵とも言うべきシカゴ響との共演であり他で聴けない独自の交響空間を形成している。オケが精密機器のような完璧な演奏をする一方、音の肌ざわりは時にシルキーである。第2、第5楽章の「夜曲」ではそうした肌理のこまやかさを表出する一方、ブレスの大音響の迫力でも音質は崩れない。マーラーの複雑な心象をより抉って表現する流儀とは異なるが、標準的に曲を聴きたい向きにはクセのない最適な演奏だろう。また、7番に限らないがショルティの高度なマーラー演奏を再認識するに十分な1枚でもある。



日曜日, 7月 06, 2014

カラヤン ふたたび 初期の立ち姿













http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%881908-1989%EF%BC%89_000000000213588/biography/

 第二次大戦後、フルトヴェングラーが苦労のすえ古巣のベルリン・フィルの指揮台に再び立ち、その復興に尽力したことが、どれほど大きくベルリン市民のみならずドイツ国民全体に勇気を与えたか。同様に、冷戦下の大変厳しい政治環境にあって、カラヤンが、世界最高のスキル・フルな楽団としてのベルリン・フィルをいかに手塩にかけて育て上げ世に問うたか。それによって、当時「孤島ベルリン」の安全保障になんと有形・無形の貢献をしたことか。
 いまから過去を振り返れば、至極あたりまえに見えることが、両人の血の滲むような努力なくしては決して成し得なかったことを考えると、フルトヴェングラーからカラヤンにいたる連続した時代の重みをズシリと感じる。

 そのカラヤンのデビューから1960年までの昇竜期の117枚の記録。以下は小生の聴いてきた初期の録音を中心に若干のコメントを。

カラヤン デビューから1960年までの昇竜期の記録 (amazon.co.jp)
 

 まず、1938~43年にかけてのSP録音の≪序曲/前奏曲集≫。戦前、戦中の若き日のカラヤンの英姿がここにある。ドイツ・イタリア枢軸国の代表的な名曲集といった「きな臭い部分」はあろうが、耳を傾けると、そこには類い希な才能にめぐまれた若手指揮者の立ち姿が浮かび上がってくる。特に、イタリアものの響きが、切なく可憐で、しかも初々しくも凛々しい。よくこんな音楽を奏でることができるものかと思う。30代前半のカラヤンの充ち満ちた才能に驚く1枚。

Herbert von Karajan : The Early Recordings (1938-1946)
 

◆ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調op.92 (1941年/ベルリン)
 
  同様に30歳台前半のカラヤンの青年期の記録。圧倒的なスピード感、メリハリの利いた解釈、気力溢れる演奏。しかし、力押しばかりでなく、ときに柔らかく溌剌としたフレーズが心に滲みてくる。天才的な「冴え」である。後日、ベルリン・フィルがフルトヴェングラーの後任にカラヤンを指名した理由がよくわかるような気がする。カラヤンのベートーヴェンの斬新さはいま聴いても凄いと思う。

40年代のコンセルトヘボウとの共演も興味深く、ブラームス交響曲第1番や「サロメ」でのカラヤンは溌剌とし実に巧い。

【録音記録】
◆ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調op.92 (1941年/ベルリン)
◆「レオノーレ」序曲第3番op.72a (1943年9月15日/アムステルダム):アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
◆ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1&第3幕への前奏曲(1939年2月、4月/ベルリン):ベルリン国立歌劇場管弦楽団
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

カラヤンの主として50年代のフィルハーモニア管弦楽団との演奏。モノラルながら聴きやすい録音。今日聴いても、その明確な解釈、快速な運行、品位ある抒情性に感心する。特にウイーン・フィルとのベートーヴェン「第九」、ヴェルディ「レクイエム}は迫力にあふれた出色のもの。
  40年代のコンセルトヘボウとの共演も興味深く、ブラームス交響曲第1番や「サロメ」でのカラヤンは溌剌とし実に巧い。
  協奏曲では相性のよいギーゼキングとベートーヴェンの4,5番、グリーグなどを収録。録音こそ古いが、いずれもこの価格では文句なし、粒ぞろいの名曲・名演集となっている。

【収録情報】
<モーツァルト> 
・交響曲第35番、第40番(RAIトリノ管弦楽団/1942年10月),
・『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』(ウィーン・フィル/1946年10月)

<ベートーヴェン>
・交響曲:第3番(1952年11月)、第7番(1952年11月)、第8番(ウィーン・フィル/1946年11月)、第9番(シュヴァルツコップ(S)、エリーザベト・ヘンゲン(Ms)、ユリウス・パツァーク(T)、 ハンス・ホッター(Bs)、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン・フィル/1947年11,12月)
・ピアノ協奏曲:第4番、第5番(ギーゼキング(p)/1951年6月)
・『レオノーレ』序曲第3番(コンセルトヘボウ/1943年)

<ブラームス>
・交響曲第1番(コンセルトヘボウ/1943年9月)

<ヴェルディ>
・レクイエム(ヒルデ・ザデク(S)、マルガレーテ・クローゼ(C)、ヘルゲ・ロスヴァンゲ(T)、ボリス・クリストフ(B)、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン・フィル/1949年8月14日、ザルツブルク[ライヴ])

<R.シュトラウス>
・『ばらの騎士』〜“Herr Gott im Himmel”(シュヴァルツコップ(S)、イルムガルト・ゼーフリート(Ms)、ウィーン・フィル/1947年12月)
・『サロメ』〜7枚のヴェールの踊り(コンセルトヘボウ/1943年9月)

<シベリウス>
・交響曲第5番、『フィンランディア』(1952年7月)

<その他>
・フランク:交響的変奏曲(ギーゼキング(p)/1951年6月)
・グリーグ:ピアノ協奏曲(同上)
・ストラヴィンスキー:『かるた遊び』(1952年5月)
・バルトーク:管弦楽のための協奏曲(1953年6月) 












(再掲)




日曜日, 6月 22, 2014

ベルリオーズ 幻想交響曲

ベルリオーズ;幻想交響曲 (Berlioz: Symphonie Fantastique)


ベルリオーズの伝記(『小説ベルリオーズ』ジャン・ルスロ著, 横山 一雄訳 音楽之友社1975年)を読むと「幻想交響曲」の生成過程がよくわかる。ワーグナーほどではないが、この人も相当、波瀾万丈の生き様をのこしている。彼の人生は「恋愛と恋愛の苦悩にほかならなかった」(ロマン・ロラン)というのもうなずける。

イギリスの女優ハリエットへの熱愛、挫折をへて後のベルリオーズの社会的成功とともに、思いが叶い幸福の絶頂となるが、実はこれが生涯の心労のはじまり。後半生、男女愛憎乱れる複雑な人間関係に発展していくことになる。作品が作曲家の実生活と関係しているかどうかは、音楽を聴くうえでさして重要でない場合も多い。しかし、標題音楽をかかげ一種の私小説的なストーリー性をもった「幻想交響曲」の場合は別である。あのなんとも魔的でおどろおどろしい世界は、毒をふくんだような強烈な刺激をもっているし、ベルリオーズの創作の秘密(懊悩をスコアにぶつける方法論)もそこにあると言ってよいと思う。
 

ベルリオーズ:幻想交響曲
 
<以下はかつて書いた文章>
 
「幻想」での悲恋はその後、紆余曲折をえて実り、ベルリオーズは憧れのハリエット・スミスソンと結ばれる。しかし、実はここからが新たな男女の縺れのはじまりであり、 ベルリオーズは社会的な名声をえる一方でスミスソン、そして若い愛人との婚姻、恋愛関係では一生悩むことになる。つまり、「幻想」はその後現実に雲散霧消したのではなく終生、ベルリオーズにメフィストのように纏わりつくのである。 彼は死の床で第5章を反芻していたかも知れない。

Sunday, June 02, 2013 幻想交響曲


 

ベルリオーズ:幻想交響曲、ドビュッシー:交響詩「海」 (Berlioz: Symphonie fantastique / Debussy: La Mer) [14/11/1967] [日本語解説付]


さて、その「幻想交響曲」をいかに演奏するか。シャルル・ミュンシュの書いた『指揮者という仕事』(福田 達夫訳、春秋社1994年)は、この点でとても参考になる本である。ミュンシュは、ある意味、気まぐれで空ろぎやすい聴衆に、いかに音楽を聴かせるかに意を砕くが、「彼は音楽のドラクロアであるが、それは彼が厳密な計画にしたがって組み立てているからではなく、大きな色斑をまき散らした大壁画(フレスク)によってやっているからだ。すべてが自然よりも壮大であり行き過ぎている」(p.73)と言う。

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<以下はHMVからの引用>

1967年、フランス文化相アンドレ・マルローの提唱により創設されたパリ管弦楽団は「諸外国にパリおよびフランスの音楽的威信を輝かすこと」を使命とされた、まさにフランスが世界に誇ることを目指したオーケストラでした。その初代音楽監督に選ばれたのが、70歳を越えたフランスを代表する指揮者、シャルル・ミュンシュ。この『幻想交響曲』はミュンシュが最も得意とした曲のひとつであり、パリ管弦楽団の記念すべき最初の演奏会での演目。熱のこもった力溢れる名演です。
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当時、アンドレ・マルローの威令はゆきとどき、小生もご多聞にもれず流行していた彼の小説を何冊か読んだ(いまはほとんど内容を忘れているが、人の顔の抉るような描写のうまさに感心したことだけは覚えている)。
マルロー閣下主導、鳴り物入りのパリ管だったが、結果的にミュンシュは無理がたたり命を縮めてしまったような気がする。1967年の「幻想」はまさにパリ管への悲しき置き土産となった。
この演奏は、けっして「美しく」はない。むしろ、ベルリオーズのもつおどろおどろしさも垣間見えるし、腺病質的な危うさもときに顔をだす。「幻想」のもつ複雑な心理描写をトータルとしてもっとも的確に表現しているように思う。
 ボストン時代から手中の演目だが、ミュンシュは録音にあたって吟味し直し考えぬき、表現しつくしてやろうとの気概のようなものを感じる。
なお、パリ管への管弦楽の統制は緩めで、パート演奏がややデフォルメされる傾向もある。ここを次に音楽監督についたカラヤンは気にいらず鍛えなおしたエピソードは有名。その意味では、ミュンシュ/ボストン響の完成度の高い演奏を第一とする見方もある。
 
Berlioz;Symphonie Fantastique
 
「幻想交響曲」は指揮者にとってもオーケストラにとっても魅力的な演目である。その色彩感覚をどう表現するかには腕がなる部分もあろう。そこで、忘れられないのがマルケヴィッチである。
 

半世紀近くも前だが上野の東京文化会館のブースで、本演奏をリクエストし一人聴きいり、はじめて「幻想」という曲の凄さを知った気がした。1953年11月、残響豊かなベルリン・イエスキリスト教会でのモノラル録音。当時としては音の解析がクリアで、いま聴いても変わらぬ名演としての一種の<威容>がある。マルケヴィッチは作曲家としても、オーケストラ・ビルダーとしても高い能力をもっていたようだが、鬼才ベルリオーズの斬新な作風、特異の感受性をベルリン・フィルから見事に引き出しここに横溢させているように思う。

激しいパッショネイトな後半の「断頭台への行進」や「サバトの夜の夢」は誰が振っても相応な感動があるはずだが、マルケヴィッチの鋭い解析力がはっと実感できるのは、むしろ前半の「夢、情熱」や「野の風景」の緩やかな微音部分かも知れない。1度だけ実演に接したこともあるが、痩躯な横顔と長い指揮棒がマッチし指揮棒の先の震えるような動きが印象に残っている。録音のよい「幻想」のディスクはあまたあるが、鋭き解釈において後世の指揮者にこのマルケヴィッチ盤のあたえた影響は蓋し大きかったろう。誉れ高き、先駆的な名盤である(なお、同コンビによる代表的な成果としてハイドン:オラトリオ「天地創造」も推奨)。

ベルリオーズ:幻想交響曲
 
最後に「幻想」の先駆性にはいつも驚く。ベートーヴェンと一部同時代に生きていたのだが、第2楽章ではベートーヴェン初期交響曲を、第3楽章は6番を、第4楽章は7番の強烈なリズム感を連想させる。その一方、循環動機、先進的な管弦楽法(彼は近代作曲家として初の理論書も書いている)と大胆なオーケストラの起用では、パガニーニ、リスト、ワーグナーらに与えた影響は絶大である。


【ベルリオーズ 幻想交響曲】


 
【織工 の選ぶ 幻想交響曲 10選】

金曜日, 6月 20, 2014

ミュンシュ



オネゲル:交響曲第2番&第5番「3つのレ」、ルーセル:バッカスとアリアーヌ第2番【Blu-spec CD】
オネゲル:交響曲第2番&第5番「3つのレ」、ルーセル:バッカスとアリアーヌ第2番
 
交響曲第2番は、第二次世界大戦中に作曲されたもので、戦争の悲惨さ、絶望感が表現されていることから、戦時映像のバックで流されることもある曲。執拗なテーマの繰り返し、陰惨な曲想、一貫した緊張感の醸成に特色がある。第3楽章の最後にトランペットが用いられるが基本は「弦楽のための交響曲」であり、弦楽五重奏曲の拡大版を聴くような感じ。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管で、コンサートマスターを務めていたミュンシュならでは、弦楽器の使い方の巧みさ、各楽器の音色の奥深い響きは、この曲でも十分生かされている。 

交響曲第5番『三つのレ』(全3楽章がレ(ニ)音で終わる)は、ミュンシュ/ボストン響によって1951年に初演された(本盤は翌年の録音)。第2楽章に十二音技法が用いられているということでも知られるが、リズミックさが強調されているため、あまり意識されない。

ルーセル「バッカスとアリアーヌ」はバレエ曲らしい華やかさがあり、お口直し的に明るく力強いエンディングである。ミュンシュらしい快演。

Berlioz: Symphonie fantastique
http://www.amazon.co.jp/Berlioz-Symphonie-fantastique/dp/B0078OC0WW/ref=sr_1_18?s=music&ie=UTF8&qid=1403275781&sr=1-18

ミュンシュ/ボストン交響楽団による『幻想交響曲』『イタリアのハロルド』『夏の夜』の2枚組。『幻想』ではマルケヴィッチやベイヌムも良い演奏だが、ミュンシュのちょっと真似のできないスケール感はやはり大書しておくべきだろう。

構えが大きく立派で、全般の運行早く軽快なテンポを保ち、熱っぽく汗が迸るような演奏であることがミュンシュの特色である。

クラシック音楽を聴きはじめた頃、1968年11月6日にミュンシュは逝去した。直後の11日に追悼記念コンサートのテレビ放映があり、その演目は『幻想』であった。当時は、こうした映像自身がめったに紹介されることがなかったから、この貴重な記録を食い入るように魅入った思い出がある。他の2曲は下記データのとおりだが定評ある名演。 

【収録内容】
 
◆『幻想交響曲』

 録音:1954年11月 ボストン・シンフォニー・ホール(2トラック録音)

◆交響曲『イタリアのハロルド』

 ウィリアム・プリムローズ(va)

 録音:1958年3月31日 ボストン、シンフォニー・ホール(3トラック録音)

◆歌曲集『夏の夜』

 ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)

 録音:1955年4月12,13日、ボストン、シンフォニー・ホール(MONO)
 

ベルリオーズ : 幻想交響曲 | ドビュッシー : 「海」 他 (Stravinsky : Requiem Canticles | Debussy : La Mer | Berlioz : Symphonie Fantastique / Charles Munch | Orchestre de Paris) (1967 Paris Live) (2LP) [Limited Edition] [Analog]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5
 
 晩年のパリ管との関係、特にフランスものの秀演(上記はその代表作「幻想」など)があまりにも有名だが、ドイツ音楽の正統を継ぎ、かつ黄金時代は、手兵ボストン響との名コンビで全米はもとより世界で鳴らした。    

 本選集ではこれに加えて、メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲では、ハイフェッツと、ブラームス/ピアノ協奏曲第2番ではルービンシュタインとの共演を聞ける。どの演奏も大筆で一気に揮毫するような迫力があるけれど、けっして大味ではなく全体の構成が自然でいささかも崩れていない。     

 特に得意のブラームスの熱気は凄いし、普段あまり聞くことのないシューベルト/交響曲第2番なども実に楽しく飽きずに聴くことができる。

 
【収録内容】

CD1:メンデルスゾーン/交響曲第3番『スコットランド』、ヴァイオリン協奏曲ホ短調[v.ハイフェッツ]、華麗なるカプリッチョ ロ短調[p.ゲイリー・グラフマン](録音/1959年、1960年ステレオ)

CD2:同上/交響曲第4番『イタリア』、同第5番『宗教改革』、弦楽八重奏曲変ホ長調~スケルツォ(録音/1958年、1957年、1960年)

CD3:ブラームス/交響曲第1番、悲劇的序曲(録音/1956年、1955年)

CD4:同上/交響曲第2番、同第4番(録音/1955年、1958年)

CD5:シューベルト/交響曲第2番、ブラームス:ピアノ協奏曲第1番[p.ゲイリー・グラフマン](録音/1960年、1958年)

CD6:同上/交響曲第8番『未完成』、同第9番『グレート』(録音/1955年、1958年)

CD7:シューマン/交響曲第1番『春』、『マンフレッド』序曲(録音/1959年)

CD8:同上/『ゲノヴェーヴァ』序曲、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調[p.ルービンシュタイン](録音/1951年、1952年のみモノラル)
 
Charles Munch Conducts Romantic Masterwo
 
交響曲第1番、悲劇的序曲 ミュンシュ&ボストン交響楽団(限定盤)
 


 
Classique-La Discotheque Ideale
 
クラシック音楽 聴きはじめ 2
 
Great Conductors of the C20th Ⅰ
http://blog.livedoor.jp/shokkou/archives/2013-09.html