このジャケットは「似ていて非」の別物ですが、久しぶりにケルン響で6番を聴きました。1976年8月16日~25日、ケルンのWDRグローサー・ゼンデザールでの録音です。
熱っぽい演奏、そして秘めた意志力が、すべて真率な「音」に転化されていくような演奏。そうした「音」束が生き生きと、再現・創造の場でたしかな「運動」をしていると感じるような演奏。
6番についての先入主ー5番と7番の谷間の比較的小振りの曲で仄かな明るさが身上(これはベートーヴェンからのアナロジーかな)といった一般的な解釈をヴァントはとっていません。
色彩的には全般に暗く、むしろ、(ある意味で当然ですが)5、6、7番には底流で作曲上の「連続した一貫性」があること、そこをあえて忠実に再現しようとする解釈を感じます。その姿勢は、奇をてらわず、いつもながら淡々として臨んでいるともいえるでしょうし、一方、上記のような通説、定番の見方などは、自分には一切関係なし、己は己の道を征くといった気迫もあります。
ヴァントらしい細部の丁寧な処理は他番の演奏と変わりません。しかし、私からみて、6番では、なかなかしっくりとする演奏に出会わないなかにあって、本盤はあくまでも「ヴァント流」でほかが追随できない高みに上った秀演と言ってよいのではないでしょうか。
(参考)ヴァントの他の6番
・Anton Bruckner (1824 - 1896) Symphony no 6 in A major, WAB 106
Wand, Gunter/ North German Radio Symphony Orchestra
録音場所: 05/15/1995, Music Hall, Hamburg, Germany [Live ]
・同上[1881年稿(ハース)]
・同上:北ドイツ響/1996年7月7日、リューベック、コングレスハレ(ライヴ収録)
・同上:ミュンへン・フィル/1999年6月24日ミュンヘン、ガスタイク
日曜日, 8月 24, 2008
土曜日, 8月 16, 2008
西本智実 ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番
交響曲第5番ニ短調 作曲: ショスタコーヴィチ
ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム” 指揮: 西本智実
1812年*祝典序曲 作曲: チャイコフスキー
ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”, ユルロフ合唱団 指揮: 西本智実
3つの「臆断」(バリア)を意識しないようにしようと思って聴く。
第1に、女性指揮者であること。第2に、オーケストラの力量についての予断。第3に、ショスタコーヴィッチ解釈の最近の動向。とは言っても、あらかじめ、そうした過剰な潜在意識があるからこそ、それを排そうとしているわけだから、所詮は無理なのかも知れないが。
第1の感想として、テンポに厳格、あくまでも沈着冷静で研ぎ澄まされた上質の感性が光る良い演奏であると思う。色調はどちらかというと全体に暗めであり、オーケストラの集中度は一定程度は感じ取れるけれど、かつてのムラヴィンスキー/レニングラードフィルに親しんできた自分などからすると、集中の強度はいまひとつで、その響きはいかにも薄く、かつ軽く感じる(第2の予断に抵触しているかな・・・)。
第2に、2曲ともに解釈が「楷書」的にキチンとした印象で、紡がれる響きも清んでおり、それが印象に残る。弦楽器の響きは十分に美しく、管楽器は鳴らせすぎない(音が軽い)、打楽器は逆に強調しすぎのきらいの部分もあるが、指揮者の意図は十分に伝わっていて、全般には「制御」された演奏。
西村は、おそらくスコアを読み尽くすタイプの相当な分析癖のある現代的な指揮者であり、このアプローチ法であれば、今後多くのレパートリーを無難にこなしていくだろう。その意味でちょっとシノーポリを連想させる部分もある。反面で、シノーポリほど天才肌ではない(もちろん、シノーポリのような大物指揮者は空前絶後だ)から、この「分析的」な演奏が好きでない向きからは、「解釈に面白みに欠ける」、「線が細い」といった批判も予測されうる。自分はシノーポリ、ポリーニ好みなので、この点の違和感はない。
この演奏を聴く限り、いまの人気からみても、早晩、超一流のオーケストラとの録音もでるだろうが、技術的に優れたオーケストラとの共演を是非、聴いてみたいと思う。
(参考)公式サイトから引用
西本 智実 (指揮)
大阪に生まれる。
1994年 大阪音楽大学音楽学部作曲学科作曲専攻卒業。
1996年 ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院に留学し、V.フェドートフ、I.ムーシンに学ぶ。
1998年 文化庁芸術インターンシップ奨学金研修生に選ばれる。
1998年 京都市交響楽団を指揮し日本デビュー。
1999年 「出光音楽賞」を受賞。同年、ショスタコーヴィチ記念サンクトペテルブルクフィルハーモニアホールにてサンクトペテルブルク・フィル(旧レニングラードフィル)のメンバーによる室内管弦楽団を指揮した演奏会が絶賛を博す。
2000年 大阪市「咲くやこの花賞」受賞。
2002年 ABC音楽賞本賞、大阪21世紀協会特別賞受賞。
2002年 ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムの首席指揮者に就任し(2002ー2004)その間、モスクワ音楽院大ホールにてニューイヤーコンサートを含む、多くの演奏会を行い、同楽団の来日公演を実現。更に、キーロフ(マリィンスキー)劇場の提携公演による関西歌劇団公演にてチャイコフスキー『エウゲニ・オネーギン』を指揮して大成功に導いた。
2003年 ハバロフスク・ダーンヌイ・ヴァストーク交響楽団に客演。サンクトペテルブルク放送交響楽団に客演。同交響楽団の日本公演を指揮した。更に、チャイコフスキー記念財団ロシア交響楽団の来日公演を指揮し、その的確な音楽性を認められ翌年同楽団の、芸術監督兼首席指揮者に就任した。10月にはムソルグスキー記念 サンクトペテルブルク国立アカデミックオペラ・バレエ劇場(旧レニングラード国立歌劇場)にてヴェルディの「椿姫」を指揮。その成果が認められ急遽シーズン内での指揮依頼を受け、「リゴレット」を指揮。その成功により首席客演指揮者に就任。
2004年5月 チャイコフスキー記念財団・ロシア交響楽団 芸術監督・首席指揮者に就任(2004-2007)。9月 ムソルグスキー記念 サンクトペテルブルク国立アカデミックオペラ・バレエ劇場(旧レニングラード国立歌劇場)首席客演指揮者に就任(2004-2006)。オペラ指揮者としての地位を確立している。
2005年8月「プラハ・プロムズ 2005 国際音楽祭」でチェコ・ナショナル交響楽団を指揮、11月には同交響楽団を率いて日本国内6都市で公演を行い、大成功を収めた。また11月6日国立チャイコフスキーの家博物館ホール(クリン市)にて、チャイコフスキー未完成交響曲「ジーズニ」第2楽章の初演を指揮。その模様はロシアや日本においてもニュース、新聞などでとりあげられた。
2006年5月7日 クリン市チャイコフスキーの家博物館記念ホールにて、チャイコフスキー未完成交響曲「ジーズニ」全楽章初演を指揮。その後チャイコフスキー記念財団ロシア交響楽団を率いて、日本国内7ケ所(8公演)来日公演。
2006年8月「第52回スプリット夏の音楽祭」「第57回ドゥブロヴニク夏の音楽祭」を指揮。10月にはハンガリー国立歌劇場来日公演で「トスカ」を指揮。
2007 年 2 月、モスクワ交響楽団ロシアフィルを指揮。 4 月にはオーストリアのリンツ、ブルックナーハウスにおいてブルックナー管弦楽団定期演奏会を好演、大成功をおさめ、ヨーロッパでの活躍の第一歩となった。 9 月 16 日モナコに於いてのモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団との公演では熱狂的な大成功を収め翌日の新聞では大きく取り上げられた。 10月プラハ国立歌劇場の来日公演で「椿姫」を指揮。聴衆に深い感動を与えた。
2008年4月、再びモスクワ交響楽団ロシアフィルを指揮し、好評を博す。6月昨年に続きモナコにおいてモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、その後、来日公演11ヶ所(11公演)を行い、大成功を収める。10月20日、21日にはハンガリー国立歌劇場において、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団を指揮する予定である。
国内においては1998年デビュー以来、新日本フィル、東京交響楽団、東京シティ・フィル、東京都交響楽団、東京フィル、日本フィル、読売日本交響楽団、神奈川フィル、オーケストラ・アンサンブル金沢、大阪フィル、大阪センチュリー交響楽団、大阪シンフォニカー交響楽団、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団、関西フィル、札幌交響楽団、名古屋フィル、広島交響楽団、九州交響楽団など国内の主要オーケストラを指揮し、好評のためチケットは完売になることが多い。
http://www.tomomi-n.com/profile.html
水曜日, 8月 13, 2008
クーベリック ブルックナー第3番(再掲)
「3番はなににしようかな」と思って、クーベリック盤に手が伸びる。やはり凄い演奏だ。いまは、冷静にテクスチャーを読み込み、それを忠実に再現していくという「楷書」型の演奏が主流だが、たっぷりと墨をふくませ剛毅に筆を揮ったような大家の書蹟を思わせるようなタイプである。これを古いと片付けることはできないだろう。2007年2月23日に以下をこのブログに書いた。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
いま聴いているのはクーベリックの1970年録音のブルックナー交響曲第3番。
「HMV レビュー」からの転載では、「第3番は記録によれば、手兵バイエルンだけでも3種の録音が知られています。 まず、1962年11月8、9日のライヴ。これは前年1961年音楽監督就任後に、クーベリックがバイエルンと初めてこの曲を取り上げた記念すべきもの(未発売)。次いで今なお高い評価を獲得している1980年のスタジオ盤(SONY)。そして今回の1970年ライヴ。いずれにも共通する特徴としてはエーザー版を使用している点・・・ちなみにクーベリックはアウディーテ・レーベルのライヴ盤(1970年)、クラシックスのライヴ盤(1954年)でも第2稿エーザー版を使用していますから、やはりこだわりがあったのでしょう録音の記録は、ブルックナー:交響曲第3番ニ短調[第2稿] バイエルン放送SO録音:1970年1月30日ミュンヘン、レジデンス・ヘルクレスザール(ライヴ)となっている」。
エーザー版はノヴァーク第2版(N2)とほぼ同じであり、巷間言われるように余程のブルックナーマニアでない限り、個々のフレーズの違いに時折、はっとはするが全体としてはそう際だった異質感はないように思われる。
ここではむしろ演奏スタイルの違いのほうが印象的である。テンポは全般にかなり早い。そのうえでアゴーギクは相当大胆に用いられる。ブラームスはブルックナーの音楽は買っていなかったがドヴォルザークの「メロディ創造力」は高く評価していたと言われるが、クーベリックの演奏を聴いているとブルックナーのメロディがドヴォルザークと二重写しで錯覚して聞こえるような気すらする。クーベリックの織りなすメロディは生気に満ち実に溌剌としている。個々のメロディに愛着をもって音楽を再現している姿が眼に浮かぶような演奏である。弦や管の各パートも、アド・リビトウム(自由度のあるテンポ)で情感たっぷりにメロディを奏でているように聞こえるが、それでいて全体のバランスや統一感はきりりとしている。こんなにも胸に迫るメロディが満載された曲だったのかと思う一方、弛緩された部分が一切ないのが不思議だ。これぞ音楽に熱い「血のかよった」クーベリック・スタイルなのかも知れない。
ブルックナーの「隠れた」魅力
夏休みで、一日中 ブルックナー三昧の生活である。どんな凡人でも日々に精進すればなにかは見えてくるものかも知れない。否、ここは酔狂人のたんなる世迷い言と思っておいたほうが良いかも・・・
8番のシューリヒト/ウイーン・フィルを聴きながらこれを書いている。ブルックナーは、汲めども尽きぬ泉が湧き出るように、ときに美しく、ときに雄々しい希代の「メロディ・メーカー」であると感じることがある。
これを、<主題(主旋律)>にすれば、ブラームスなら、その変奏によってもっともっと多くの交響曲を描くことができたのではないか。これは、彼の天敵、ハンス・リックもその才能を認めざるを得なかったブルックナーの最強の「得手」である。しかし、彼は、そうした<主題>をいとおしみながらも拘泥はせず、むしろそこに至る延々とした「過程」をこそ大切にしたのではないか。
ゼヒターから学んだ高度対位法は、「目的ではなく作曲のための手段」と言い切り、意外性を演出する強力な手法として、その禁則使用は「(大家)ワグナーは使っても良いが、教師の自分は排除する」と作曲後、その事後チェックに余念のなかったブルックナーは、いま風に言えば、音楽における頑固なコンプライアンス・オフィサーのようだ。
執拗な(ときに度を超した)同一リズムの繰り返し、音階の規則的な上下動と逆行・反復的な使用、フレーズの異様な長さのあとの突然の休止といった「忍耐」のあとに、オアシスのように出現する美々しく高貴なメロディ ーそれは完結することなく、いつしかデクレッシェンドし、また長い「忍耐」期間に舞い戻るー しかし、そのスイッチバックの情動は、折り返すごとに確実に高みに登攀していく。
ブルックナー好きは、もちろん聴く前からこのプロセスは「先刻ご承知」だから、「忍耐」も喜んで受け入れる。このあたりの所作は、ちょっと宗教的な儀式にも通じるかも知れない。また、いつしか、この「忍耐」も折りふせば、座禅にのぞむように快々とした愉楽にも通じる日がくる。
さて、待ちに待った「聴き所」の到来である。良い演奏とそうでないものとの分水嶺は、ここではっきりとでる。前者は何度聴いても心に「直入」れしてくるものだ。このシューリヒト盤がそうだ。聴き終わって、またすぐに聴きたくなる。そして2度目、3度目を聴いても、また同じ所でぞくぞくする感興が襲っている。これぞブルックナーの隠れた魅力。
だが、それは高度な作曲技法と、巧まざる心理学的な「公理」(残念ながら、いまだ、的確な説明の言葉がでてこないのがもどかしいが、この難しい言葉で代用)に負っているのかも知れない。8番のスケルツオの後半の一瞬のメランコリィなメロディなど、「ここはブラームスじゃないか!」と錯覚することさえある。もっともその直後には、また、いつもの延々と手順を踏むブルックナーに戻るのだが・・・
「忍従のあとの歓喜」といえば、まず連想するのはベートーヴェンだが、ブルックナーは、その1点において楽聖の最良の弟子とは言えまいか。また、ブルックナーは、(ご本人がよく言うように、神の啓示があったかどうかは別にしても)己のスタイルをあくまで頑なに貫こうとした筋金入りの音楽家であったと思う。
8番のシューリヒト/ウイーン・フィルを聴きながらこれを書いている。ブルックナーは、汲めども尽きぬ泉が湧き出るように、ときに美しく、ときに雄々しい希代の「メロディ・メーカー」であると感じることがある。
これを、<主題(主旋律)>にすれば、ブラームスなら、その変奏によってもっともっと多くの交響曲を描くことができたのではないか。これは、彼の天敵、ハンス・リックもその才能を認めざるを得なかったブルックナーの最強の「得手」である。しかし、彼は、そうした<主題>をいとおしみながらも拘泥はせず、むしろそこに至る延々とした「過程」をこそ大切にしたのではないか。
ゼヒターから学んだ高度対位法は、「目的ではなく作曲のための手段」と言い切り、意外性を演出する強力な手法として、その禁則使用は「(大家)ワグナーは使っても良いが、教師の自分は排除する」と作曲後、その事後チェックに余念のなかったブルックナーは、いま風に言えば、音楽における頑固なコンプライアンス・オフィサーのようだ。
執拗な(ときに度を超した)同一リズムの繰り返し、音階の規則的な上下動と逆行・反復的な使用、フレーズの異様な長さのあとの突然の休止といった「忍耐」のあとに、オアシスのように出現する美々しく高貴なメロディ ーそれは完結することなく、いつしかデクレッシェンドし、また長い「忍耐」期間に舞い戻るー しかし、そのスイッチバックの情動は、折り返すごとに確実に高みに登攀していく。
ブルックナー好きは、もちろん聴く前からこのプロセスは「先刻ご承知」だから、「忍耐」も喜んで受け入れる。このあたりの所作は、ちょっと宗教的な儀式にも通じるかも知れない。また、いつしか、この「忍耐」も折りふせば、座禅にのぞむように快々とした愉楽にも通じる日がくる。
さて、待ちに待った「聴き所」の到来である。良い演奏とそうでないものとの分水嶺は、ここではっきりとでる。前者は何度聴いても心に「直入」れしてくるものだ。このシューリヒト盤がそうだ。聴き終わって、またすぐに聴きたくなる。そして2度目、3度目を聴いても、また同じ所でぞくぞくする感興が襲っている。これぞブルックナーの隠れた魅力。
だが、それは高度な作曲技法と、巧まざる心理学的な「公理」(残念ながら、いまだ、的確な説明の言葉がでてこないのがもどかしいが、この難しい言葉で代用)に負っているのかも知れない。8番のスケルツオの後半の一瞬のメランコリィなメロディなど、「ここはブラームスじゃないか!」と錯覚することさえある。もっともその直後には、また、いつもの延々と手順を踏むブルックナーに戻るのだが・・・
「忍従のあとの歓喜」といえば、まず連想するのはベートーヴェンだが、ブルックナーは、その1点において楽聖の最良の弟子とは言えまいか。また、ブルックナーは、(ご本人がよく言うように、神の啓示があったかどうかは別にしても)己のスタイルをあくまで頑なに貫こうとした筋金入りの音楽家であったと思う。
火曜日, 8月 12, 2008
ハイフェッツ(1) 協奏曲
1.チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
2.メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
3.チャイコフスキー:ゆううつなセレナード Op.26
4.チャイコフスキー:ワルツ~弦楽セレナードハ長調 Op.48 より
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団(1)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団 (2)
室内管弦楽団(3、4)
録音: 1957年4月19日、シカゴ、オーケストラ・ホール(1)
1959年2月23&25日、ボストン、シンフォニー・ホール(2)
1970年7月8&10日、ハリウッド、RCAスタジオA(3&4)
ステレオ録音
ハイフェッツは1959年の夏に事故で腰を痛め、その後、演奏活動が激減したと言われるが、チャイコフスキーは55才、メンデルスゾーンは事故直前の57才の円熟期の演奏。オーケストラのバックも申し分ない。ライナー/シカゴ響、ミュンシュ/ボストン響は、当時、全米のみならず欧州を含め、最高の技倆を誇った指揮者と交響楽団の組み合わせであり、録音時点はその最盛期に位置する。
逆説的だが、「抜群の演奏」とは、こうしたものを指すのだろう。チャイコフスキーが作曲後、協奏曲を当初謹呈しようとしたアウアーは当初、難曲すぎるとしてこの申し出を断ったが、そのアウアーはハイフェッツの先生でもあるという歴史的な「いわく」も付く。両協奏曲とも、美しく、激しく、緊張感に満ち、しかし聴いていて完全に満たされていくような演奏。抜群の演奏としか言いようのない完成度である。
ハイフェッツについては、いまにいたるまで、技巧派、冷たい演奏といった見方もあるが、よく耳を澄ませば、怜悧で厳しい演奏スタイルのなかに、ほの明るい色調と抑制のきいた深い感情表現を見いだすことができる。あとはこうした演奏スタイルを好ましく感じるかどうかの受け止めの問題であろう。
(参考)
ヤッシャ・ハイフェッツ(Иосиф("Яша") Робертович Хейфец [Iosif Robertovich Heifetz], Jascha Heifetz-Ruvimovich, 1901年2月2日 - 1987年12月10日)
< 経歴>
ハイフェッツは現リトアニアのビルナ生まれのユダヤ人。3歳からヴァイオリンを習い始め、6歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏したという。1910年にはペテルブルグ音楽院にてレオポルト・アウアーに学び、翌年に演奏デビュー。12歳でアルトゥール・ニキシュに招かれベルリンデビューを果たすと、同年ニキシュの指揮でベルリン・フィルと演奏。
1917年にはカーネギー・ホールでアメリカデビュー。同年のロシア革命を避けるために、そのままアメリカ在住、1925年にアメリカの市民権を得ている。後年、南カリフォルニア大学で後進の指導も行っている。1987年にロサンゼルスにて死去。
< 演奏面の特徴>
ハイフェッツのボウイングの特徴として弓速が速いことが一般的に挙げられている。しかし弓の返しや先弓での粘りは、丁寧で等速的にゆっくりである。そこからわかるように、一概には分類できない幅広い表現方法を持つ。ハイフェッツの特徴的な音色は、このボーイングに依るところも大きい。 具体的には、指を開かず丸めずに弓を持ち、右手の人差し指はPIP関節(第2関節)より深く竿に当て、小指と親指で主にバランスをとる。アウアー(ロシア派)のボーイングを基本とする。緩やかなボーイングの細部に到る丁寧さを持ち、また一方、技巧的なダウンスタッカートなどを自在に操る。ハイフェッツの運弓の技巧で、右に出るものはいない。 トルテやキッテル、パジョなど、最高級の弓の構造に最も適った運弓法である。
左手のポジショニングや運指は完璧と形容するにふさわしく、映画「カーネギーホール」でチャイコフスキーの協奏曲(第1楽章:短縮版)を演奏している場面では、その超絶技巧を視覚的にも堪能することができる。 手首をひねらず指を弦方向に伸縮させるだけの、特殊なヴィヴラートを用いる。これにより音楽的に、より意志の強い表現を可能とする。
演奏のテンポは概して速く、晩年になっても遅くなることはほとんど無かった。またその特徴的な音色もデビュー当時から基本的には変化しておらず、ハイフェッツの演奏スタイルが早い時期に完成されていたことがうかがえる。
なおハイフェッツは楽器の2番弦(A線)と3番弦(D線)に現代の主流である金属巻の弦ではなく、プレーン・ガット弦を使用している(CD のジャケット写真で確認可)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
2.メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
3.チャイコフスキー:ゆううつなセレナード Op.26
4.チャイコフスキー:ワルツ~弦楽セレナードハ長調 Op.48 より
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団(1)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団 (2)
室内管弦楽団(3、4)
録音: 1957年4月19日、シカゴ、オーケストラ・ホール(1)
1959年2月23&25日、ボストン、シンフォニー・ホール(2)
1970年7月8&10日、ハリウッド、RCAスタジオA(3&4)
ステレオ録音
ハイフェッツは1959年の夏に事故で腰を痛め、その後、演奏活動が激減したと言われるが、チャイコフスキーは55才、メンデルスゾーンは事故直前の57才の円熟期の演奏。オーケストラのバックも申し分ない。ライナー/シカゴ響、ミュンシュ/ボストン響は、当時、全米のみならず欧州を含め、最高の技倆を誇った指揮者と交響楽団の組み合わせであり、録音時点はその最盛期に位置する。
逆説的だが、「抜群の演奏」とは、こうしたものを指すのだろう。チャイコフスキーが作曲後、協奏曲を当初謹呈しようとしたアウアーは当初、難曲すぎるとしてこの申し出を断ったが、そのアウアーはハイフェッツの先生でもあるという歴史的な「いわく」も付く。両協奏曲とも、美しく、激しく、緊張感に満ち、しかし聴いていて完全に満たされていくような演奏。抜群の演奏としか言いようのない完成度である。
ハイフェッツについては、いまにいたるまで、技巧派、冷たい演奏といった見方もあるが、よく耳を澄ませば、怜悧で厳しい演奏スタイルのなかに、ほの明るい色調と抑制のきいた深い感情表現を見いだすことができる。あとはこうした演奏スタイルを好ましく感じるかどうかの受け止めの問題であろう。
(参考)
ヤッシャ・ハイフェッツ(Иосиф("Яша") Робертович Хейфец [Iosif Robertovich Heifetz], Jascha Heifetz-Ruvimovich, 1901年2月2日 - 1987年12月10日)
< 経歴>
ハイフェッツは現リトアニアのビルナ生まれのユダヤ人。3歳からヴァイオリンを習い始め、6歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏したという。1910年にはペテルブルグ音楽院にてレオポルト・アウアーに学び、翌年に演奏デビュー。12歳でアルトゥール・ニキシュに招かれベルリンデビューを果たすと、同年ニキシュの指揮でベルリン・フィルと演奏。
1917年にはカーネギー・ホールでアメリカデビュー。同年のロシア革命を避けるために、そのままアメリカ在住、1925年にアメリカの市民権を得ている。後年、南カリフォルニア大学で後進の指導も行っている。1987年にロサンゼルスにて死去。
< 演奏面の特徴>
ハイフェッツのボウイングの特徴として弓速が速いことが一般的に挙げられている。しかし弓の返しや先弓での粘りは、丁寧で等速的にゆっくりである。そこからわかるように、一概には分類できない幅広い表現方法を持つ。ハイフェッツの特徴的な音色は、このボーイングに依るところも大きい。 具体的には、指を開かず丸めずに弓を持ち、右手の人差し指はPIP関節(第2関節)より深く竿に当て、小指と親指で主にバランスをとる。アウアー(ロシア派)のボーイングを基本とする。緩やかなボーイングの細部に到る丁寧さを持ち、また一方、技巧的なダウンスタッカートなどを自在に操る。ハイフェッツの運弓の技巧で、右に出るものはいない。 トルテやキッテル、パジョなど、最高級の弓の構造に最も適った運弓法である。
左手のポジショニングや運指は完璧と形容するにふさわしく、映画「カーネギーホール」でチャイコフスキーの協奏曲(第1楽章:短縮版)を演奏している場面では、その超絶技巧を視覚的にも堪能することができる。 手首をひねらず指を弦方向に伸縮させるだけの、特殊なヴィヴラートを用いる。これにより音楽的に、より意志の強い表現を可能とする。
演奏のテンポは概して速く、晩年になっても遅くなることはほとんど無かった。またその特徴的な音色もデビュー当時から基本的には変化しておらず、ハイフェッツの演奏スタイルが早い時期に完成されていたことがうかがえる。
なおハイフェッツは楽器の2番弦(A線)と3番弦(D線)に現代の主流である金属巻の弦ではなく、プレーン・ガット弦を使用している(CD のジャケット写真で確認可)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
月曜日, 8月 11, 2008
ブロムシュテット ブルックナー4番、7番
・ブルックナー:交響曲第3番(1873年第1稿)
録音:1998年9月3、4日
・ブルックナー:交響曲第4番 録音:1981年(デジタル)
・ブルックナー:交響曲第4番 録音:1993年 /サンフランシスコ響
・ブルックナー:交響曲第6番 録音:1990年 /サンフランシスコ響
・ブルックナー:交響曲第7番 録音:1980年(デジタル)
・ブルックナー:交響曲第7番(WAB.107、ハース版)
録音:2006年(ライヴ)
・ブルックナー:交響曲第8番(WAB.108、ハース版)
録音:2005年7月1日(ライヴ)
録音場所:ライプツィヒ、ゲヴァントハウス大ホール
・ブルックナー:交響曲第9番 録音:1995年
いつも青年のように若く見えた菜食主義者のブロムシュテットも81才になる。ブルックナーは日本公演でも取り上げていたが得意の演目と言えるだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/irigomi45/51388470.html
4番(1981年)、7番(1980年)を聴く。信じられないくらいの廉価盤だが、演奏は見事である。4番の感想はこう書いた。
ー1981年9月ドレスデンのルカ協会での演奏。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの4番は翌1982年録音だから、この時期シュターツカペレはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになる。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通するが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたい。
ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保つ(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17’48:18’23、第2楽章、16’40:16’30、第3楽章、10’02:10’51、第4楽章、20’22:21’06)。
ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足ない。
ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるだろう。ヨッフム盤とともにお奨めしたい。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA%E3%80%8C%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%80%8D/dp/B00008BDCU/ref=cm_cr-mr-title
7番も基本的にこれと変わらないが、弦楽器の合奏がこよなく美しい。音色は、妙なる清潔感を醸しだし、耳を傾けていて天上へと導かれるような至福の思いを抱く。木管楽器もこれに溶け込み、微妙な表現になるが、音に<色彩感>を与えている。それとの相対比較では、管楽器が没個性的かなと感じる。これは、同じゲヴァントハウスで、コンヴィチュニーをよく聴いているので、余計、そう感じるのかも知れない。
(参考)
ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年7月11日 - )はアメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。
仕事で渡米していたスウェーデン人の両親の元マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時一家は帰国し、ストックホルム音楽大学やウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。1953年にクーセヴィツキー賞を獲得し、1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝した。
1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団でベートーヴェン、ヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ交響楽団(1985年~1995年、現在は桂冠指揮者)、北ドイツ放送交響楽団(1995~1998年)を経て、1998年から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた(現在は名誉指揮者)。また、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。
その演奏は、華やかな個性とはあまり縁がなく、高い名声を誇りながらもどこか地味な印象が強いが、指揮するオーケストラの持つ美質を最大限に引き出して充実感溢れる演奏を行うという点では現代屈指の指揮者であるといえるだろう。近年は、以前にもまして熟練の度合いを深めており、今後、更なる深化が期待される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
録音:1998年9月3、4日
・ブルックナー:交響曲第4番 録音:1981年(デジタル)
・ブルックナー:交響曲第4番 録音:1993年 /サンフランシスコ響
・ブルックナー:交響曲第6番 録音:1990年 /サンフランシスコ響
・ブルックナー:交響曲第7番 録音:1980年(デジタル)
・ブルックナー:交響曲第7番(WAB.107、ハース版)
録音:2006年(ライヴ)
・ブルックナー:交響曲第8番(WAB.108、ハース版)
録音:2005年7月1日(ライヴ)
録音場所:ライプツィヒ、ゲヴァントハウス大ホール
・ブルックナー:交響曲第9番 録音:1995年
いつも青年のように若く見えた菜食主義者のブロムシュテットも81才になる。ブルックナーは日本公演でも取り上げていたが得意の演目と言えるだろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/irigomi45/51388470.html
4番(1981年)、7番(1980年)を聴く。信じられないくらいの廉価盤だが、演奏は見事である。4番の感想はこう書いた。
ー1981年9月ドレスデンのルカ協会での演奏。2回目の全集を同じドレスデン・シュターツカペレで収録中のヨッフムの4番は翌1982年録音だから、この時期シュターツカペレはブルックナーに実に集中して取り組んでいたことになる。薄墨をひいたような弦楽器の少しくすんだ音色も、ルカ協会特有の豊かな残響ともに共通するが、ブロムシュテット盤も秀逸な出来映えで両盤とも甲乙はつけがたい。
ブロムシュテットは全般にヨッフムよりも遅く、かつテンポはベーム同様、実に厳しく一定に保つ(いずれもノヴァーク版使用。ヨッフム:ブロムシュテットで各楽章別に比較すれば、第1楽章、17’48:18’23、第2楽章、16’40:16’30、第3楽章、10’02:10’51、第4楽章、20’22:21’06)。
ブルックナーの音楽は本源的に魅力に溢れ聴衆に必ず深い感動をあたえるという「確信」に裏打ちされたように、小細工など一切用いず、素直に、しかし全霊を傾けてこれを表現しようとする姿勢の演奏。どの断面で切っても音のつくりに曖昧さがなく、全体にダイナミズムも過不足ない。
ブルックナー好きには、演奏にえぐい恣意性がなく、作曲家の「素地」の良さを見事に表現してくれた演奏と感じるだろう。ヨッフム盤とともにお奨めしたい。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC4%E7%95%AA%E3%80%8C%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%80%8D/dp/B00008BDCU/ref=cm_cr-mr-title
7番も基本的にこれと変わらないが、弦楽器の合奏がこよなく美しい。音色は、妙なる清潔感を醸しだし、耳を傾けていて天上へと導かれるような至福の思いを抱く。木管楽器もこれに溶け込み、微妙な表現になるが、音に<色彩感>を与えている。それとの相対比較では、管楽器が没個性的かなと感じる。これは、同じゲヴァントハウスで、コンヴィチュニーをよく聴いているので、余計、そう感じるのかも知れない。
(参考)
ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, 1927年7月11日 - )はアメリカ生まれのスウェーデン人指揮者。称号はバンベルク交響楽団名誉指揮者など。
仕事で渡米していたスウェーデン人の両親の元マサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時一家は帰国し、ストックホルム音楽大学やウプサラ大学に学んだ後、イーゴリ・マルケヴィッチに師事。さらにアメリカ合衆国に留学してジュリアード音楽学校でジャン・モレルに、タングルウッドのバークシャー音楽センターでレナード・バーンスタインに師事。1953年にクーセヴィツキー賞を獲得し、1955年にザルツブルク指揮コンクールで優勝した。
1954年2月にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団でベートーヴェン、ヒンデミットなどの作品を指揮して指揮者として本格的にデビュー。その後、ノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任した後、名門のシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就任。ドレスデンを去った後はサンフランシスコ交響楽団(1985年~1995年、現在は桂冠指揮者)、北ドイツ放送交響楽団(1995~1998年)を経て、1998年から2005年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務めた(現在は名誉指揮者)。また、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。
その演奏は、華やかな個性とはあまり縁がなく、高い名声を誇りながらもどこか地味な印象が強いが、指揮するオーケストラの持つ美質を最大限に引き出して充実感溢れる演奏を行うという点では現代屈指の指揮者であるといえるだろう。近年は、以前にもまして熟練の度合いを深めており、今後、更なる深化が期待される。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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