http://www.hmv.co.jp/product/detail/2504947
ブルックナーを聴くようになってから、シューベルトの交響曲の良さを改めて認識するようになった。たとえば、交響曲第9番「グレート」。かつてはその名のとおり長い曲だなと構えたが、いまはまったく意に介さない。長さも繰り返しもごく普通の曲と感じる。さて、この「感覚」は一般的なのかな?
その「グレート」だが、70年代、カラヤンの演奏がでて、その速さ、いささかファナティックとも思える盛り上げ方に驚いた。いまもその時の衝撃は忘れていない。
今日はミュンシュで聴く。なるほど、そうか、カラヤン盤以前にミュンシュ盤ありだったのかと気がつく。速度ははやく、フレーズは短く刻み、各フレーズの初音をきっちりと揃えて、かつ力を込める奏法とその持続。しかし一本調子にならないように、音量はアンプ音の調整のようにリニアにコントロールする。ぼくはよほど、ひどくない限り録音技術には無頓着ながら、これはいささか事後的にチューニングされているかも・・・と感じるくらいの独特のアクセントである。この時代でも、見事に飽きない、厭きさせない9番である。
⇒(参考) http://shokkou3.blogspot.com/2011/04/blog-post.html
【以下は引用】
ミュンシュ / 『未完成』、『グレート』
ミュンシュ=ボストン響のダイナミックな魅力を最大限に発揮させたシューベルトの交響曲2曲の名演で、いずれもミュンシュにとって唯一の録音となったもの。『未完成』(2チャンネル録音)は『運命』とのカップリングでLP発売された有名な録音で、男性的な迫力に満ちた硬派の快演。『グレート』(3チャンネル録音)は、圧倒的なスケールと一気呵成の推進力が聴きもの。なおこのカップリングによる「リビング・ステレオ」としてのCD化は初めて。(BMG JAPAN)
シャルル・ミュンシュ(指揮)ボストン交響楽団
録音:第8番・1955年5月2日、ボストン、シンフォニー・ホール(2ch録音)、第9番・1958年11月19日(3ch録音)
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【以下はHMVの記事を編集】
今年は、シャルル・ミュンシュ生誕120年記念の年。ピエール・モントゥーがサンフランシスコ交響楽団を(1936~1952年)、ミュンシュがボストン交響楽団を(1949~1962年)、そしてポール・パレーがデトロイト交響楽団を(1951~1962年)とフランスの偉大な3人の指揮者がアメリカのオーケストラを率いていた時代があった。
ミュンシュ(1891-1968年)が前任者クーセヴィツキーを引き継いでボストン響の音楽監督となったのは1949年。モントゥーが確立したフランス式の演奏様式の伝統を継承し、ボストン響をフランス音楽の演奏にかけては類のないアンサンブルに仕立て上げた。自らもゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターをつとめるほどの腕を持ったヴァイオリニストだったミュンシュは、ボストン響の上質のシルクを思わせる見事な弦楽セクションから豊麗な音色と幅広いダイナミック・レンジを引き出した。
【ボストン時代】
一方、テレビ時代の到来。ボストンのテレビ局「WGBH」は、1955年から1979年にかけて150以上のライヴ・コンサートを放送した。当時の4人の音楽監督、ミュンシュ、エーリヒ・ラインスドルフ、ウィリアム・スタインバーグ、そして小澤征爾。他の客演指揮者たちも含めて、毎回、彼らの雄姿がテレビ画面を飾った。その多くの音源も残っている。なお、ミュンシュのレコード録音はほぼすべてをリチャード・モーア、ルイス・レイトンというRCAのステレオ録音の礎を築いたコンビが手がけたもの。音響効果の良いボストン・シンフォニー・ホールでの収録。
ミュンシュは、ドイツ音楽の演奏においても本領を発揮した。まず、得意のブラームス。ミュンシュはボストン交響楽団の音楽監督時代に、積極的にブラームスを取り上げた。交響曲第1番は43回、交響曲第2番は62回、そして第4番は56回もの演奏記録がある。演奏旅行の際にもブラームスを取り上げ、1960年の来日公演では第2番を演奏した。
ベートーヴェンも十八番。特に、交響曲第9番『合唱』は全曲約62分、LP時代『最も速い第9』の一つとして高い評価を得た。細部まで温かい血の通ったオーケストラの有機的な響きが聴かれ、再現部における怒涛の迫力が見事な第1楽章、弦と管の暖かな音色が印象的な第3楽章、そしてプライスをはじめとする豪華ソリスト陣と優秀な合唱団を従えて人類の平和を希求しつつ情熱的に高揚していく第4楽章は、まさにミュンシュ芸術の神髄。『レオノーレ』第3番におけるホルンやトランペットによる木管パートの補強もこの時代ならでは。
ミュンシュは、ボストン時代にシューベルト、シューマン、メンデルスゾーンなど、初期ロマン派のシンフォニーも多数録音。豪放・磊落なミュンシュのメンデルスゾーンでは、『イタリア』(第4楽章サルタレッロが聴きもの)、『宗教改革』(トスカニーニ以来の名盤の説も!)。
チャイコフスキーでは、この作曲家の音楽に付きまといがちな感傷を排し、明るく開放的に歌い上げるのが特徴で、作品のドラマティックな起伏を存分に生かしながら、ロシアの広大な大地を思わせる雄大なスケールで歌い上げた。チャイコフスキー『弦楽セレナード』、バーバー『アダージョ』、エルガー『序奏とアレグロ』など弦楽器系の歌わせ方には定評。
【パリ時代】
パリ管弦楽団は、1967年に当時の文化大臣で作家でもあったアンドレ・マルロー(1901-1976年)と、音楽局長で作曲家のマルセル・ランドスキ(1915-1999年)の要請により、長い歴史を持つ名門、パリ音楽院管弦楽団を発展的に解消し、再編・結成された。
その目的は「諸外国に対し、パリおよびフランスの音楽的威信を輝かすこと」という意欲的なもので、最初から、フランスが世界に誇ることを目指していただけに、首席指揮者にもフランス随一の大物であったシャルル・ミュンシュが迎えられた。
そうした背景もあってか、演奏活動は設立当初からきわめて精力的におこなわれた。翌年4月にはソ連ツアー、その半年後には北米ツアーを敢行。そうした激務がたたったのか、77歳のミュンシュは、ツアー先のヴァーモント州リッチモンドで心臓発作を起こして急逝した。
フランス政府が威信をかけたオーケストラの最初の演奏会は、1967年11月14日にパリのシャンゼリゼ劇場でおこなわれ、マルロー文化相も臨席。『幻想交響曲』は公演の前月にEMIによりセッション・レコーディングされたが、『海』はパリ管とのセッション・レコーディングがおこなわれなかっただけに貴重な存在。
演奏はどちらも指揮者とオーケストラの表現意思が完全に合致し、強烈なダイナミクスと自在なテンポに特長。ときおり聞こえるミュンシュの気合の入った声も「特別な演奏会」の臨場感を示している。
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