火曜日, 8月 02, 2011

第九の名盤



ここに二種類の第九がある。Aはフルトヴェングラーの歴史的名演で、クラシック音楽ファンなら知らぬ人なしの記念碑的録音。Bは、その4年前、カラヤンの若き日、第九の最初期の録音で、一般にこちらはめったに聴かれないもの。
 
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
エリザベート・シュヴァルツコップ(ソプラノ),
エリザベート・ヘンゲン(アルト),
  ハンス・ホップ(テノール),
オットー・エーデルマン(バス)
フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管&合唱団,
  1951年7月29日録音(ライヴ)18:27 12:28 19:55 25:52
  バイロイト祝祭劇場


 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
エリザベート・シュヴァルツコップ(ソプラノ),
エリザベート・ヘンゲン(アルト),
  ユリウス・パツァーク(テノール),
ハンス・ホッター(バリトン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  1947年11月&12月録音 15:59 10:11 15:4324:49


【フルトヴェングラーの第九】
【カラヤンの第九】
 
(参考)
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
アイリ-ン・ファーレル(ソプラノ), 
ナン・メリマン(メゾ・ソプラノ),
  ジャン・ピアース(テノール),
ノーマン・スコット(バス)
トスカニーニ/NBC交響楽団 ロバート・ショウ合唱団(合唱指揮:ロバート・ショウ)
1952年3月31日、4月1日録音
 
さて、Aについてはなんども聴いてきて、ほかに類するものなしと評価をしていた。ところが、その後Cに嵌り、これぞ双璧と感じ入ったあと、再度、Bを聴いて立ち止まって考えるようになった。
Bは、カラヤンの膨大なディスコグラフィーのなかでも、とてつもない名演ではないかということである。
  A、Bでは、エリザベート・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、エリザベート・ヘンゲン(アルト)の独唱者は共通、ある意味で実に丁寧な運行で、緊張感の維持も甲乙つけがたい。
演奏時間は上記のとおりでカラヤンはおおむね10分くらい短い。かつてこのブログでブルックナーの8番やベートーヴェンの3番でも書いたが、カラヤンの演奏時間は、晩年は別だが、壮年期の録音はどれも驚くべきほど一定で、早くからその演奏スタイルが確立していたことがわかる。
カラヤン盤の魅力は、ひたむきな「純粋さ」とでも表現できるような気がする。フルトヴェングラーのドラマツルギーは、バイロイト神話からはじまり冒頭の足音、拍手といった演出まがいの仕掛けもあって、ライヴ特有の迫真性がふんだんに付加されるが、このカラヤン盤にはそうした「華麗さ」はない。
あえて言えば、この時期のカラヤンは、戦後、連合軍からパージされていた時期であり、レッグに声をかけられて、第一線への復帰途上にあった。
カラヤンのスタイリッシュさは、この時期でもその傾向はあるものの、後年の「完成」の域にはいまだ遠く、ウイーン・フィルも戦後の混乱期から脱しきってはいない。少し荒削りのところもあり、部分的には、指揮者とオケで折り合いをつけているようなところもある。
しかし、その一方、モダンな疾走感は聴き手にとって心地よく、自然に次の展開に期待感をふくらませ、そして結果はそれをはるかに上回って進む。そこにこそ感動の規則的な連鎖がはじまる。しかもその背後には若きひたむきな「純粋さ」がある。
今日この瞬間、ぼくはBをAより好むだけでなく、(すべてを聴いているわけではないが、)カラヤンの第九録音の最右翼ではないかとすら思う。

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