ブルックナー:交響曲第1番(1877年リンツ版、ノーヴァク編)
ヨッフムによるブルックナーの交響曲第1番。第1楽章はいかにも初期らしい素朴さや生硬さもそのままに「地」を生かした演奏。第2楽章では中間部の魅力的なメロディは叙情的に歌い込んでおり、清廉なるメロディの創造者としてのブルックナーが浮かび上がる。後半2楽章は快速さが身上で、小刻みなアッチェレランドも使用し、九十九折りのように上昇する旋律と一転畳み込むように下方する旋律もアクセントをもって展開される。ここでは、素朴さよりも劇的な表現の萌芽を存分に拡張してみせるような演奏。ブルックナー楽曲のもつ特色を細部まで考えぬき、さまざまに引き出そうとするヨッフムの演奏には特有の熱っぽさがあり、それがブルックナー・ファンにはたまらない魅力である(1978年12月11-15日、ドレスデン、ルカ教会でのセッション収録)。
ブルックナー:交響曲第4番
ヨッフム/ベルリン・フィルによる1965年録音のいわゆる旧盤である。ヨッフムの演奏は弦楽器の音色が幾分ほの明るく、しかも透明度の高いところに特色がある。その弦の響かせ方に南ドイツ的な軽妙なニュアンスがあると評する人もいるが、水の流れにたとえると、緑陰からさす木漏れ日を少しく浴びた清流のような感じである。
例えば第2楽章では通奏の「流れ」にブルックナーらしいピチカートがリズムを刻むが、これは(いかにも日本的な比喩であるが)渓流で鮎が水面から水飛沫をとばしてはねているような印象すら受ける。瑞々しく清潔感のある調べである。
その一方、第3楽章のtuttiではピシッと整った強奏で迫ってくる。そうした緩急のつけ方がブルックナーの音楽の呼吸と見事に合う。第4楽章のフィナーレへの道程も、反復繰り返しのなかで徐々にエネルギーが充電され、これが最後に一気に放出されるように感じる。
こうしたヨッフムの演奏の特色はこの4番に限らず、どのブルックナーの演奏にも共通するが、縦横にすぐれた大家の技倆だと思う。
ブルックナー:交響曲第5番(ノーヴァク編)
ブルックナーの5番はヨッフムの手中の玉。この曲は3番ほどではないが聴かせどころが難しく、ブルックナー交響曲中でも他番にくらべて録音は少ない。一方、ヨッフムには本曲について実に多彩な音源があるが、なによりリスナーから多くの支持をえているからだろう。
本盤は、残響豊かなドレスデン、ルカ教会でシュターツカペレ・ドレスデンを振っての1980年の録音。ほかにも1958年の バイエルン放送交響楽団 ブルックナー:交響曲第5番 や、1964年のOttobreuren Abbeyでのライブ盤 Bruckner: Symphony No.5 などもあるが、その基本線はまったく変わらない。
全体はがっしりとした構えながら、コラール風の安寧に満ちたメロディが随所に繰り返され、それが徐々に力を漲らせながら頂点に向かっていくこの曲を手練れの技で聴かせる。分析的な解釈と確固たる信念に基づく演奏であり、派手さはなく、大向こうを唸らせるような所作とも無縁ながら、正統性(オーソドキシイ)とでもいうべき品格がこの演奏にはある。これこそブルックナーの魅力の表出といわんばかりの自信に満ちたアプローチと言えよう。
ブルックナー:交響曲第7番
1976年12月残響豊かなルカ教会での収録です。第1楽章冒頭の「原始霧」といわれる微かな弦のトレモロについて、7番では他のシンフォニー以上に慎重な処理が必要なことをヨッフムは指摘していますが、その絶妙な出だしから緊張感あふれる演奏です。
また、この7番は全体の「頂点」が第2楽章にあり、後半は下降線をたどるという解釈にそって、第2楽章アダージョでは特に内省的な求心力のある演奏となっており、シンバルとティンパニーの強奏による「頂点」を形成したあとは諦観的なエピローグによって締めくくられます。全般にとても端整な音楽づくりにヨッフムは心を砕いており、それがリスナーの自発的な集中力を高める結果となっていると思います。
7番は比較的異稿問題が少なくブルックナーの「地」の姿が素直にでていると言われますが、この演奏を聴いていると、本来のオルガン演奏が管弦楽団に極力代替され、チェロなどの中声部は人声の合唱にちかい微妙な表情すらもっているようにも感じられます。特に、後半の2楽章では、金管の使い方が過不足ないようにセーブされており、またテンポも大きく動かさないことから、劇的な演出に慣れたリスナーには、物足りなさを感じるかも知れません。しかし、これが作曲家の意図をあくまでもくみとろうとする解釈なのだと思って神経をそばだてると、瑞々しい感性、静寂の深さに別の感動が湧いてくると思います。じっくりとブルックナーに親しみたいリスナー向けには最良の名演でしょう。
ブルックナー:交響曲第9番(ノーヴァク編)
ヨッフムの9番は、バイエルン放送響(1954年11月)、ベルリン・フィル(1964年)、ベルリン放送響(1984年3月25日)の各録音があるが、本盤は、シュターツカペレ・ドレスデン(1978年)を振り「公式」録音では3度目にあたる(ノヴァーク版使用)。
第1楽章の迫力が凄い。ヨッフム75歳ながら、枯れた要素などは微塵もない。競(せ)っているような少し前のめりの感があり、次から次に畳み込むような強奏がつづき、第1楽章に全体の頂点を形成することを明らかに意図しているような意欲的な演奏である。第2楽章のスケルツオも、これと連続し速度ははやくリズムの切れ味は鋭い。一気に駆け抜けるような文字通りの「快走」である。
一転、第3楽章に入ると大胆に減速し、フレーズは滔々と伸ばし、じっくりとメロディを奏でていく。色調も明から仄かに翳りをもちブルックナー交響曲群全体の「終章」的な重みを持たせているように感じる。第3楽章も強奏は緩めないが、ダイナミズムの振幅は次第に狭まり、その一方で音の透明度は維持されつつも感情表出の濃度がましていく印象をうける。
この曲のもつ演奏スタイルはかくあるべしと言わんばかりの説得力である。考えぬかれ、それをあますところなく表現したヨッフムらしい名演である。
Bruckner Complete Symphonies
ヨッフムの偉業はなんと言ってもブルックナーの交響曲全集や多くの宗教曲集を残してくれたことでしょう。しかも、彼がブルックナーの交響曲や宗教曲を体系的、系統的に録音しはじめた頃は、誰も今日のようにはブルックナーへの熱い視線は送っていなかったと思います。
ヨッフムが第1回の交響曲全集を完成させたのは1966年ですが、その後に続く代表的な指揮者の全集をいくつか拾ってみると、ハイティンク/コンセルトヘボウ(63-72)、朝比奈隆/大阪フィル(75-78)、マズア/ゲバントハウス管弦楽団(74-78)、バレンボイム/シカゴ響(72-80)、ヴァント/ケルン放送響(74-81)、カラヤン/ベルリン・フィル(74-81)となりますが、この時にはヨッフムは2度目の本全集をドレスデン国立管弦楽団と収録済みですから驚きです。
4番や後期のブルックナーを定着させたのは、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ワルター、クレンペラーらの先人ですが、1〜3番や5番の素晴らしさを一般に教えてくれたのはヨッフムの飽くなき挑戦あればこそと思います。
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織工Ⅲ: ヨッフム ブルックナー
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