ショスタコーヴィチ:交響曲第5番&第9番&第10番
クルツ(エフレム) ミトロプーロス(ディミトリ)
交響曲第5番 ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル(1952年)→「ミトロプーロスあって、その後のバーンスタイン/ニューヨーク・フィルの黄金時代あり」をくっきりと印象づける名演。
【以下は引用】
★冷徹なまでの音の軋み―――「時代の証言」としての貴重な同時代録音を集成。
第2次大戦後のアメリカにおけるショスタコーヴィチ受容に貢献した重要な3つの交響曲録音を集めた2枚組。ミトロプーロスの交響曲第5番と第10番は、同時代音楽を積極的に紹介したこの指揮者ならではの使命感に貫かれた緊張感漲る演奏で、ニューヨーク・フィルをパワフルに鳴らしたその激烈さはムラヴィンスキーに匹敵するほど(交響曲第10番はアメリカ初演4日後のセッション録音で、西側での初録音となった)。サンクトペテルブルク生まれのロシアの巨匠エフレム・クルツはバレエ指揮者として高名であるが、ニューヨーク・フィルを指揮して1949年に録音した交響曲第9番は、レコード録音としては世界初となったもの。作品に内包されたウィットやユーモアを丁寧に紡ぎだす緻密な演奏が、知られざる名匠の実力を今に伝えている。
オーマンディは米国にあって、実はショスタコーヴィッチ演奏の先駆者である。残念ながら、その音源はあまり有名ではないが、この第5番のほか以下のラインナップ等が知られている。
第5番はバーンスタイン盤とかぶるので、レコード会社の方針もあってか、バーンスタインの5番+オーマンディのチェロ協奏曲第1番(ヨー・ヨー・マ)のカップリングが主力で、オーマンディの5番の存在の影はうすい。しかし、これはこれで素晴らしいものである。フィラデルフィア・サウンドを強調するあまり、各楽器を際立たせた録音になっており、その分全体の構成力が見えにくいが、よく耳を研ぎ澄ませば、全体のバランスもよく、熱情型とは異なるテンポの安定した冷静で分析的な演奏であることがわかる。曖昧さのない明解で、かつクリアなサウンドは、作曲家自身が高く評価したとおりショスタコーヴィッチの優れたオーケストレーションをよく描ききっていると思う。
◆ショスタコーヴィッチ集(交響曲第1番、第4番、第5番、第10番、チェロ協奏曲第1番、組曲「黄金時代」作品22a‾第3曲:ポルカ) オーマンディ・コンダクツ・ショスタコーヴィチ
◆交響曲第1番&チェロ協奏曲第1番 Shostakovich: Symphony No.1, Cello Concerto No. 1 (このジャケット写真の両雄の表情は実によい)
◆交響曲第4番、第10番 Symphonies 4 & 10
◆交響曲第13番 「バービイ・ヤール」 ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バービイ・ヤール」
◆交響曲第14番 「死者の歌」 ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」&ブリテン:「ピーター・グライムズ」‾4つの海の間奏曲
◆交響曲第15番 Symphony 15 in a Major / Piano Sonata 2
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
西本智実, ユルロフ記念国立アカデミー合唱団他 | 2013
第1に、女性指揮者であること。第2に、オーケストラの力量についての予断。第3に、ショスタコーヴィッチ解釈の最近の動向。とは言っても、あらかじめ、そうした過剰な潜在意識があるからこそ、それを排そうとしているわけだから、所詮は無理なのかも知れないが。
第1の感想として、テンポに厳格、あくまでも沈着冷静で研ぎ澄まされた上質の感性が光る良い演奏であると思う。色調はどちらかというと全体に暗めであり、オーケストラの集中度は一定程度は感じ取れるけれど、かつてのムラヴィンスキー/レニングラードフィルに親しんできた自分などからすると、集中の強度はいまひとつで、その響きはいかにも薄く、かつ軽く感じる(第2の予断に抵触しているかな・・・)。
第2に、2曲ともに解釈が「楷書」的にキチンとした印象で、紡がれる響きも清んでおり、それが印象に残る。弦楽器の響きは十分に美しく、管楽器は鳴らせすぎない(音が軽い)、打楽器は逆に強調しすぎのきらいの部分もあるが、指揮者の意図は十分に伝わっていて、全般には「制御」された演奏。
彼女はおそらくスコアを読み尽くすタイプの相当な分析癖のある現代的な指揮者であり、このアプローチ法であれば、今後多くのレパートリーを無難にこなしていくだろう。その意味でちょっとシノーポリを連想させる部分もある。反面で、シノーポリほど天才肌ではない(もちろん、シノーポリのような大物指揮者は空前絶後だ)から、この「分析的」な演奏が好きでない向きからは、「解釈に面白みに欠ける」、「線が細い」といった批判も予測されうる。自分はシノーポリ、ポリーニ好みなので、この点の違和感はない。
この演奏を聴く限り、いまの人気からみても、早晩、超一流のオーケストラとの録音もでるだろうが、技術的に優れたオーケストラとの共演を是非、聴いてみたいと思う。
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セミヨン・ビシュコフは、ムーティの代役としてベルリン・フィルに登場し本曲で成功。本盤は、その翌年の1986年、フィリップスでのデビュー・アルバムとして収録したもの。
彼の経歴は複雑である。1952年東欧ユダヤ系ロシア人として生まれ、サンクトペテルブルク音楽院を首席で卒業。その後、アメリカ合衆国へ帰化し、ロシア系アメリカ人となる。さらに幅広い活動の舞台を求めて欧州へ。本盤はちょうどその頃の録音である。
沈黙と弱音の背後には一瞬、暗い影がさすような第1楽章。緩徐楽章の美しさは尊敬するカラヤンの影響か。終楽章も快速感とそれに連動する躍動感があって“聴かせる”演奏。ただし、それらの「要素」にはあまり統一感がない。音楽的な才能に恵まれ、その磨かれた感性から聴いていて不満はないのだが、器用な印象が本曲の強烈な個性を表現するには、やや大人しく感じさせてしまう。一方、冷静にして豊穣、ベルリン・フィルの響きは本当に心地良い。
ショスタコーヴィチ
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