火曜日, 6月 14, 2022

ウィーンの巨星 クレメンス・クラウス








古き良きウィーンの時代、巨匠にしてその薫り高き立役者の一人が、クレメンス・クラウスであった。”ウィーン子”としては珍しく、ワーグナー指揮者としても著名で、クナッパーツブッシュとともに『指輪』、『パルジファル』のバイロイト全曲録音(1953年)にくわえて、『オランダ人』(1944年)、『マイスタージンガー』(抜粋、1933年)などもバイエルン、ウィーンの両歌劇場オケと残している。

両シュトラウスも独壇場。R.シュトラウスはオペラの初演はもとより、主要演目のほとんどを手がけており、作曲家本人の信任がすこぶる篤かった。最小タクト・コントロールでもご両人は共通していたようだ。ドン・ファン、大胆なドライブ感 (amazon.co.jp)

ヨハン・シュトラウス一家の演奏でもはやくから膨大なる記録があるが、若きボスコフスキーなどウィーン・フィルの名手にして後継者を自らの手で”巣立ち”させたほか、定例のニューイヤーコンサートの輝かしい初代指揮者でもあった。

その一方、ウィーン・フィルのメインロードたるモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなどの交響曲では、好敵手エーリッヒ・クライバーにくらべて体系的な録音は行っていないが、ワーグナー、R.シュトラウス以外の歌劇や宗教曲でも数多くの成果が知られており、そのレパートリーの広さからも当代一流の大家であったことがわかる。

過酷なスケジュールが災いしてかメキシコでの客死が惜しまれるが、フルトヴェングラーと同様、この時代の巨匠指揮者の宿命であったかも知れない。この二人はあと5年、存命していたら、ステレオ録音でその鮮烈なる成果を後世に問えたのにと残念である。

ちなみに100枚近くの以下の集大成があるが、同一演目の複数録音があまりに多く、あくまでもディープなファン向けであろう。

クレメンス・クラウス/クレメンス・クラウス・コレクション ~1929-1954 Recordings (tower.jp)


【以下は引用】

クレメンス・クラウス

プロフィール

1893年3月31日ウィーン生まれの指揮者。1954年5月16日メキシコにて没。ウィーン少年合唱団を経てウィーン音楽院に進み、1922年からウィーン国立歌劇場の指揮者となる。1926年、ザルツブルク音楽祭に登場、R.シュトラウス作品の指揮者として名声を確立。1929年ウィーン国立歌劇場、1935年ベルリン国立歌劇場、1937年バイエルン国立歌劇場の総監督を歴任、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院の院長も務めた。 



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