土曜日, 11月 30, 2024

テンシュテットのシューマン

 


5つ星のうち5.0 テンシュテットの凄みのある「ライン」

揺れ動く心の振幅―激しいパッションと崩れ落ちそうになるような抒情性の葛藤―この曲の演奏は難しいと思う。思い切りのよい踏み込みで作曲家の心情と同化せんとするテンシュテットの没入型のアプローチで、この曲の「凄み」がはじめて理解できたような気がした。第2楽章は複雑な音型が交錯し、それは希望と懊悩の隠れた表現になっているように感じる。ひとときの静けさの第3楽章、ふたたび心の荒野を見つめるような第4楽章、そして終楽章。色調が明るくなって躍動感が増してくる。このあたりの解釈のメリハリの効いた明快さこそテンシュテットらしさか。最高度の表現能力をもつベルリン・フィルが真剣に臨場している緊迫感、それを十全に引き出しているテンシュテットの実力と背後のひたむきさ。「ライン」の名演である。
珍しい選曲の4つのホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュックは、「ライン」的な心情の複雑さはなく、むしろ重厚なホルン協奏曲をベルリン・フィルの至芸で聴く喜びがある。


シューマン:交響曲第4番について

生き生きと躍動する音楽。弦楽器の堰を切ったような奔流に吞み込まれる快感。とくに低弦は底流に引きずり込むような迫力である。第1楽章を聴いただけで、この特異な音作りにたじろくだろう。短い第2楽章はロマンツエ、シューマンの夢想的なメロディは聴かせどころだがベルリン・フィルの木管の表情が美しい。仕切り直しの第3楽章、屹立する雄々しさと官能的甘さが共存するスケルツォ。テンシュテットの曖昧さのない解釈が冴える。減速し、遠くから雷鳴が近づくような緊迫感をもって終楽章は開始され、それまでのすべての主題が再構成される。徐々に明るく、力強く、前向きに、開放的に音楽が一層の高みに上昇し一気のエンディングを迎える仕儀は見事。
 シューマン:交響曲第3番  ともに名演の誉れがあろう。

セルのシベリウス、モーツァルト(日本ライヴ)

 


5つ星のうち5.0

いまから半世紀以上前(1970年)に東京でおこなわれたセル/クリーヴランド管弦楽団によるライヴ音源である。この日、このコンサートを東京文化会館で聴いていた。その時の感動が正確に甦ってくる。セルがこの時に重篤な病気であったことはコンサート会場では知るよしもなかったし、同年大阪万博の記念コンサートが東京でも目白押しで、多くの注目は同時期に来日していたカラヤン/ベルリン・フィルに寄せられていた。セルはもちろん「著名中の著名」な指揮者ではあったが、それでもあまりに多くの巨匠の来日ラッシュのなかに埋没し正直地味な印象はぬぐえなかった。


しかしその魂魄の演奏は、はじめての日本でのライヴで、私ならずとも聴衆の驚きは大きかったと思う。当時、セル/クリーヴランド管弦楽団の演奏は「冷たい」とか「クールな精密機械」といった一部評論家の言動があったが、実際の演奏はそれとはまったく異質の熱気あふれるものであり、オケから紡ぎだされる音楽は暖かく表情豊かな音色とともに、アンサンブルはけっして乱れないといったものだった。前半の「オベロン」序曲、モーツアルトの40番も一気に流れるように展開され素晴らしいものだったが、後半のシベリウスの2番は文字通り白熱の名演だった。当時、シベリウスはいまほど演奏される機会がなく、このプログラムでも透明なクリーヴランド・サウンドに合う曲を選んだのかなと事前には感じたが、のちにセルがこの曲をもっとも得意としていたことを知り十八番での勝負といった演目であったのだろう。
 
若き日から彗星のごとく登場したセルの晩年の輝きを本CDを聴き返して追想した。忘れえぬ思い出である。

クーベリックのブラームス交響曲全集

 


クーベリックのブラームス交響曲全集は、4番(1956324-25日)、2番(195734-8日)、1番(同年923-24日)、3番(同年928-29日)の順で、ウィーン・ゾフィエンザールにてDECCAによってステレオ録音で収録されたもの。フルトヴェングラー亡き後、カラヤンのウィーン席巻までの空隙を埋めるかのように、若き俊英クーベリックがいかに当時注目されていたかの証左。演奏もフルトヴェングラーを彷彿とさせるようなパッショネイトさもあって熱演。その後、同じDECCAでカラヤン盤(1番、3番)が出たので、いわばお蔵入りになってしまったが、クーベリックのメモリアルである。

織工Ⅲ: ウィーン・フィル ブラームス 交響曲全集神話

ケンペのR.シュトラウス

 

5つ星のうち5.0

ケンペのR.シュトラウスに関心をもったのは、近くの名曲喫茶で偶然、アルプス交響曲を聴いたのがきっかけである。「いい演奏だな」と感じ「誰の演奏かな」と思案しいくつか候補をしばし考えてプレイヤーの近く、CDの置いてあるところに足をはこんで確認した。ケンペ/ロイヤル・フィル(本盤とは異なるが)だった。想定はまったくはずれており、その分、印象に強くのこった。

本集は、ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデンによるR.シュトラウスの管弦楽曲、協奏曲集である。収録は1970年6月から1976年1月の6年をかけて、ドレスデン、聖ルカ教会で数次にわたって行われた(*1~7は録音順に並べてみた)。かつては限定版で高かったが廉価版となり入手しやすくなった。
R.シュトラウスの曲はコンサートでは、トップバッターでも前半のエンドでも、後半のメインでも、どこでも使える“品揃えの良さ”が下記のリストから確認できる。短尺でも長竿でも対応可能。古典的な装いの曲から現代音楽の先駆けまで作風も多彩であり、標題からみてわかるとおり、他の演目と合わせやすい幅の広さと多様性をもっている。しかも、オーケストレーションが巧く、楽器の妙技を際だたせることも可能。こうした特質から多くの指揮者が重宝している。録音は古くなったが、ケンペの演奏はR.シュトラウスのこうした良さを構えることなく十全に表現しており推奨できる。
<収録情報>
・交響詩『ドン・ファン』 Op.20 *1
・交響詩『死と変容』 Op.24 *1
・交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』 Op.28 *1
・歌劇『サロメ』 Op.54~7つのヴェールの踊り *1
・組曲『町人貴族』 Op.60 *1
・歌劇『カプリッチョ』Op.85~月光の音楽 *1
・交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 Op.30 *2 
・アルプス交響曲 Op.64 *2  
・バレエ音楽『泡立ちクリーム』 Op.70~ワルツ *2 
・交響詩『英雄の生涯』 Op.40 *3 
・家庭交響曲 Op.53 *3 
・メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための)  *4 
・交響詩『マクベス』 Op.23 *4 
・歌劇『ばらの騎士』Op.59~ワルツ *4
・交響詩『ドン・キホーテ』 Op.35 *4 ,
・フランソワ・クープランのハープシコード曲による舞踏組曲 *4 
・交響的幻想曲『イタリアから』 Op.16 *5 
・交響的断章『ヨゼフ伝説』 Op.63 *5 
・ヴァイオリン協奏曲 ニ短調Op.8 *6 
・ホルン協奏曲 第1番、第2番 変ホ長調 *6 
・オーボエ協奏曲 ニ長調 *6 
・デュエット・コンチェルティーノ(クラリネット、ファゴット、弦楽とハープのための)   *6 
・ブルレスケ ニ短調 *6 
・家庭交響曲余禄Op.73 *7
・パンアテネの行列Op.74 *7 

【演奏】
ポール・トルトゥリエ(Vc)、ペーター・ダム(Hr)、マンフレート・クレメント(Ob)、マックス・ロスタル(Va)、マンフレート・ヴァイス(Cl)、ヴォルフガング・リープシャー(Fg)、マルコム・フレイジャー(Pf)、ペーター・レーゼル(Pf)

【録音時点】
*1:1970年6月、 *2:1971年9月、*3:1972年3月、*4:1973年1,4,6月、*5:1974年3月、*6:1975年4月、*7:1976年1月



ケンペの本領発揮。「ティル」は本当に楽しく、「ドン・ファン」の推進力も申し分なし。メインの「英雄の生涯」もストーリーにそって聴けば、情景が浮かび上がってくる。表現は自然なのに、奥行きがあって落ち着きもある。名人芸也。

【以下は収録内容】
1.交響詩 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 作品28(1970年6月)
2.交響詩 「ドン・ファン」 作品20(1970年6月)
3.交響詩 「英雄の生涯」(1972年3月)
英雄/英雄の敵/英雄の伴侶/勝利の確信/英雄の戦場/英雄の戦場 (戦いのファンファーレ)/
英雄の平和の業績/英雄の引退/諦念
Peter Mirring(solo violin)

金曜日, 11月 29, 2024

ヨッフムのブルックナー交響曲全集

 


ヨッフムの偉業はなんと言ってもブルックナーの交響曲全集や多くの宗教曲集を残してくれたことでしょう。しかも、彼がブルックナーの交響曲や宗教曲を体系的、系統的に録音しはじめた頃は、誰も今日のようにはブルックナーへの熱い視線は送っていなかったと思います。

 ヨッフムが第1回の交響曲全集を完成させたのは1966年ですが、その後に続く代表的な指揮者の全集をいくつか拾ってみると、ハイティンク/コンセルトヘボウ(63-72)、朝比奈隆/大阪フィル(75-78)、マズア/ゲバントハウス管弦楽団(74-78)、バレンボイム/シカゴ響(72-80)、ヴァント/ケルン放送響(74-81)、カラヤン/ベルリン・フィル(74-81)となりますが、この時にはヨッフムは2度目の本全集をドレスデン国立管弦楽団と収録済みですから驚きです。

 4番や後期のブルックナーを定着させたのは、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ワルター、クレンペラーらの先人ですが、1〜3番や5番の素晴らしさを一般に教えてくれたのはヨッフムの飽くなき挑戦あればこそと思います。

織工Ⅲ: ヨッフム ブルックナー Jochum Bruckner

バーンスタインのマーラー交響曲全集

 


バーンスタイン/ニューヨーク・フィルは1970年に来日、マーラー交響曲第9番を東京文化会館で演奏した。高校生だった個人的な思い出だが、会場で打ちのめされたような<衝撃>を受けて以来、このマーラー像に魅せられている。
 
 本全集は、バーンスタイン (1918-90)42才から57才頃までの最もエネルギッシュな活躍の時代に録音されたが、その後の再録もあるので一般には「旧盤」と呼ばれる。8番と『大地の歌』以外は手兵ニューヨーク・フィルとの演奏で、一貫してバーンスタインの、「没入型」ともいえる独自のマーラー解釈が表現され、迸るような熱い強奏と深く沈降するような弱奏が全般に早いテンポで交錯する。ワルター、クレンペラーの世代とは一線を画し、新マーラー解釈の扉を開いたといった当時の評価が思い出される。 
 録音は古くなったが、演奏の最高の質、破格の値段(CD12枚組)からみて、シノーポリのような「分析型」との対比聞き比べの妙味でも、マーラー全集選択の最右翼である。

 【データ(録音年)】
1番ニ長調『巨人』(1966)、第2番ハ短調『復活』(1963年)、第3番ニ短調(1961年)、第4番ト長調(1960年)、第5番嬰ハ短調(1963年)、第6番イ短調『悲劇的』(1967年)、第7番ホ短調『夜の歌』(1965年)、第8番変ホ長調『千人の交響曲』(1966年、ロンドン響)、第9番ニ短調(1965年)、『大地の歌』(1972年、イスラエル・フィル)、第10番嬰ヘ長調「アダージョ」(1975年)


佐渡の「新世界」

 

5つ星のうち4.0


第1楽章、慎重で神経のゆきとどいた出だし、その後の低弦を思い切り生かした雄渾な展開に、佐渡らしい割り切りの良さを感じさせる。胸をキュッと絞めつけられるようなこの曲独特のノスタルジックな抒情性は希薄ながら、健康的で明るい色調はそれ自身の魅力がある。

第2楽章、“家路”に暗さはない。むしろここには暖かな夕餉が待っているような安心感がある。弦のピッチをきれいに合わせて几帳面な演奏を心がけている。第3楽章ともに、テンポをあまり動かさず、速度も比較的ゆったりととる。客演でのライヴ収録ゆえに、オーケストラ奏者が実力を発揮しやすい演奏に気を配っている様子も思い浮かぶ。

終楽章、少しアクセルを強め、緩急をつけて思い切りオケを鳴らしている。ダイナミックでスケールの大きな隈取りである。最盛期の岩城宏之を彷彿とさせるような、自信に満ちた、それでいて激情型とは一線を画した冷静なスタイルを感じた。

小澤の「第九」

 

星のうち4.0


CD添付の解説書の最後に、全演奏家のリストがのっている。志あるサイトウ・キネン・オーケストラの面々が2002年9月松本に結集し、同月、小澤征爾がウィーン国立歌劇場音楽監督に就任したお祝いをこめたライヴ盤。同メンバーが1993年から足掛け10年、行ってきたベートーヴェン・チクルスの掉尾を飾る演奏でもある。

聴きながら、「実力」を自ら誇りながら録音を残さないN響にたいして、このオーケストラはいつの間にか、「日本」を世界に発信するユニークな楽団になっていることに思いがいたった。最近もN響を聴いたが、経済だけでなく、ここにも日本の「失われたX年」を感じる。

さて、本演奏はけっして表面的な響きの美しさを追求するものではない。アンサンブルの完璧さを求めるアプローチとも異なり、むしろ伸び伸びとした大らかさこそ身上かも知れない。全体の中で第3楽章が特に出色。この情感の豊かさには素直に心が動く。地理的には日本の真ん中の地方都市で、日本人指揮者、多くが日本人の演奏家によるベートーヴェン。でもこの情感の豊かさと肌理こまやかさの魅力は世界にしかと届くだろうなと感じさせる。心で歌い全員が全員の音楽に耳を傾ける、その様子が手に取るようにわかる。終楽章も緊張感はあってもファナティックさとは無縁で、格調の高さこそ求められているように思う。合唱も天晴れである。