シュタイン&VPO / ブルックナー:交響曲第2番、他
・ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(ハース版)
・ウェーバー:『オイリアンテ』序曲・ウェーバー / ベルリオーズ編:舞踏への勧誘
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ホルスト・シュタイン(指揮)
ホルスト・シュタインは1986ー87年のドイツ滞在中、2回のビッグ・プロを聴いている。夏にバイロイト音楽祭でマイスタージンガーを、冬にハンブルクの教会でドイツ・レエクイエムを聴いた。どちらも優れた演奏だった。さて、ブルックナーだが、いま2番を聴いている。なかなか良い演奏である!じっくりと味わってみたい。
(参考)以下は引用
ホルスト・シュタインさん逝去
2008年7月30日 (水) ドイツの指揮者で、NHK交響楽団名誉指揮者としても知られたホルスト・シュタインさんがお亡くなりになりました。N響に入った連絡によると27日、スイス・ジュネーブの自宅で死去されたとのことです。ご冥福をお祈り申し上げます。ホルスト・シュタイン(Horst Stein)は1928年5月2日、大指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの故郷として知られるラインラント地方の都市エルバーフェルト(現在はヴッパータール市の一部)に生まれました。フランクフルト・アム・マインの音楽ギムナジウムとケルン高等音楽院で音楽教育を受けますが、ケルン高等音楽院ではこちらも同郷の名指揮者ギュンター・ヴァントに師事しています。 1949年にヴッパタール市立劇場の合唱指揮者に就任してキャリアをスタート、1951年にハンブルク国立歌劇場指揮者となって活動を本格化させる一方、1952年から1955年にかけてはバイロイト音楽祭で、ハンス・クナッパーツブッシュ、ヨーゼフ・カイルベルト、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどのアシスタントを務めて経験を深め、自身も1962年に『パルジファル』を指揮してバイロイト・デビューを果たします。 ベルリン国立歌劇場の楽長を経て1963年にマンハイム国立劇場音楽監督に就任(1970年まで)。1970年から3年間はウィーン国立歌劇場第1指揮者を務めるなど、叩き上げのオペラ指揮者として重厚な実績を残します。 ウィーン国立歌劇場にポストを得た1970年には、バイロイト音楽祭でワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲を指揮して絶賛され、ワーグナー・オペラのスペシャリストとしての名声を確立しています。 1972~77年にはハンブルク国立歌劇場音楽総監督を務めますが、以降はコンサート指揮者としての活躍に重心を移し、1980年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督を5年間務めた後、1985年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任、その名コンビぶりは来日公演やレコーディングを通じて日本でもよく知られるところとなりました。 1985~89年にはザルツブルク音楽祭に出演、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどヨーロッパの主要オーケストラに客演、バンベルク響とは世界各地へコンサート・ツアーをおこなっています。 日本へは1973年にNHK交響楽団への客演で初来日、2年後の再登場時には名誉指揮者の称号を贈られるなどN響との結びつきはきわめて深く、以後1999年まで定期的に客演を重ねました。 1996年、病気のためバンベルク交響楽団の首席指揮者を辞任、終身名誉指揮者の称号を贈られて活動を続けますが、1999年の「プラハの春」音楽祭出演中に倒れ、以降は活動休止状態となったまま、2008年7月27日、スイスの自宅で亡くなられました。80歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
http://www.hmv.co.jp/news/article/807300046/
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