1947年2月17日の録音。若干の雑音はあるが、全体に音はきれいに録れており、演奏の充実ぶりを十分に追体験することができると思う。
第2楽章など落ち着いた哀歓はあるが、一貫して「規律」をしっかりと保持したよく整った演奏。ダイナミズムを強調する部分では、激しく厳しくビシッと決める。凄まじいばかりの迫力である。
この演奏を聴いていてジュリーニ盤を思い出した。朗々たるカンタービレの魅力を期待して聴くと、ものの見事に「剛の者」の気迫で打っちゃられる。ジュリーニはトスカニーニの「悲愴」をよく研究していたのではないかとの感想をもった。
柔なセンチメンタリズムを微塵も感じさせない軽快、かつ高純度の名演である。録音の悪さを勘案しても★5つに十分値する。なお、トスカニーニの他の演奏では後年のステレオ収録盤もある。
余談だが、高校生のときに、カラヤン/ベルリン・フィルの豪華なチャイコフスキー選集がでて、小遣いをためて購入した。これこそ「悲愴」はその言葉どおりに嫋々と切なく鳴っていると感じ入った。
しかし、ジュリーニのこの演奏はそれとは全く異なる。第一楽章冒頭の暗い出だしは幾分パセティックな予感を感じさせるけれど、それ以降はあらゆるメロディとリズムを「明瞭」かつ「流麗」に再現することを最大の目標にしているように、実にクリアーな音響が充ち満ちている。曖昧さも余分な感傷もないような演奏である。第三楽章のアレグロ・モルト・ヴィヴァーチェなどは小気味よき切れ味で、むしろ気分がスッキリするくらい。第四楽章もメロディは見事に美しく響くが、テンポは軽妙な裁きで、けっして過度に感傷的にはならない。
生前作曲家は、「標題は『なぞ』として残されるべきだ。各自の推測にまかせる・・」と言ったそうだが、ジュリーニの演奏を聴くとチャイコフスキーの最後のシンフォニーの終楽章を格調たかく奏でることに全霊を傾けているように感じる。しかしそれが「悲愴」的かどうかはリスナーの感じ方次第とでも言わんばかりである。これはこれで良き演奏である。
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「悲愴」の優れた演奏は多い。ムラヴィンスキーの比類なき世界もあれば、ジュリー二や最近のゲルギエフなどの個性的な成果もある。しかし、このカラヤン壮年期のすぐれて機能主義的でありながら上質な情感表現の見事なブレンド力は他にかえがたい大きな魅力。
「くるみ割り人形」もカラヤン手中の演目。小生はウィーン・フィル盤が好みだが、本演奏も実に秀でたもの。
【収録情報】
◆交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』(1964年2月録音)◆バレエ組曲『くるみ割り人形』 Op.71a(1966年10、12月録音)
録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会、ステレオ(セッション)
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ゲルギエフの音楽は、どの曲をとっても「明解」な解釈と「明確」な音づくりのアプローチがあるように思う。
まず、明確な音づくりに関してはこの6番(マリインスキー劇場管弦楽団)がその典型。弱音部は情感をもってゆっくりと奏で、強音部は速度を増してメカニックに疾走する。全体にリズミックで切れ味がよいが、前者ではフレージングをやや長めにとり、後者ではザックリと短く鋭く刻む。そのコントラストにははじめは驚くが、一般に凡長に繰り返されると逆に興ざめとなる場合もある。しかし、彼の演奏でそれがマンネリ化せず鼻につかないのは、手兵たるこのオーケストラの各パートの使い方が絶妙だからだ。
全体として低弦のぶ厚い音響(実に心地よい響きだ)を強調しつつ金管(音がクリアで巧い)が効果的にこれに被さる。その場合、意外にも金管をやたらと大きく前面に出すのではなく、よく切れるカッターのように亀裂的に用いる。弦楽器と木管楽器のハーモニーも文句なく美しい。そこが真骨頂といえるだろう。
顔が<濃厚>系(失礼!)なので、音楽もそうかと言うと、実は別の感想を抱く。明解な頭脳的解釈とでも言うべきか、全体構成がくっきりとしており、リスナーの期待を裏切らない。シャイーなどに共通する感度の良さが身上。そのうえで、音のテクスチャーがよくわかり、局面局面での語りかけてくる音楽のボキャブラリーが豊か。だからリスナーに安心感をあたえ、かつ飽きさせない。
はっきり言えば、原曲が多少退屈で、中だるみがあったとしても、それをカヴァーするようなテクニックをもっている(ロシア管弦楽集などで遺憾なく発揮)。カラヤンがそうであったように。チャイコフスキーの6番は、彼が自信をもって高く評価しこよなく好きなのだろう。その相乗効果ゆえか、こんなに良い曲だったのかと久しぶりに聴いて心動いた。6番ではジュリーニ以来の驚きである。
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ムラヴィンスキーは旧ソビエト連邦時代、全ソビエト指揮者コンクールで優勝、直ちに当時同国最高のレニングラード・フィル(現在のサンクトペテルブルク)の常任となる。1938年、時に35才の俊英であった。
本盤所収の録音は、4番(1960年9月14~15日、ロンドン、ウェンブリー・タウンホール)、5番(同年11月7~9日、ウィーン、ムジークフェラインザール)、6番(同年11月9~10日、5番と同じ)であり、この「幻の」指揮者とオケの実質、西欧デビュー盤である。
これぞチャイコフスキー本国の正統的な解釈の演奏というのが当時のふれこみであったろうが、実際は、そんな生易しいものではなく、冷戦時代の旧ソ連邦の実力を強烈に印象づける最高度の名演である。
日本にはEXPO’70で来演したが、残念ながらこの時はヤンソンスの代演となった。しかし、それですら、レニングラード・フィルの衝撃には言葉を失った鮮烈な記憶がある。オケのメンバーはステージ上、誰も無駄話などしない。皆がソリストのような緊張感にあふれ、彼らの合奏は、よく訓練された軍隊の一糸乱れぬ閲兵式を彷彿とさせるものであった。
十八番の名演といった表面的なことでなく、この時代、このメンバーでしかなしえない、極度の緊張感と強力な合奏力を背景とした、比類なきチャイコフスキー演奏といってよいだろう。4、5、6番ともに通底する一貫した解釈と各番の性格の違いの明確な浮き彫りにこそ、本盤の特色がある。
録音は半世紀前であり、いまのレヴェルでは物足りないだろうが、それを上回る往時の覇気がある。歴史的名盤である。
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<第6番「悲愴」について>
地の底から不気味に響くような低弦とともに第1楽章は開始される。徐々にメロディが重なり合って音楽の構造が明らかにされるが、そこには奥深いメランコリーをたたえている。いかにも「悲愴」らしいムラヴィンスキーの解釈である。音楽のあらゆるディテールを明確に伝えようとするレニングラード・フィルの集中力は凄まじい。そして、荒れ狂うような強奏でも一切の乱れはない。
この演奏を聴いた当時の冷戦下の「西側」の音楽関係者は蓋し、たじろいだことだろう。ムラヴィンスキーという大将軍に統率された軍隊、否、大指揮者とそのオーケストラの質量に圧倒されたはずである。第2楽章は全弦楽器の融合された分厚いハーモニーがうねり、これに木管・金管楽器が深い表情づけを行っていく。第3楽章は、実に躍動的で生の喜びを思い切り謳歌しているような表現ぶり。劇的でキリリと締まったオーケストラサウンドに弛みはない。この楽章の畳み込むような迫力だけでも、他盤を圧する屹立感がある。そして終楽章。哀感の主旋律がゆっくりと回帰し、第3楽章との明暗のコントラストが強い。濃厚で複雑な感情表出には、「諦観」と不条理への「怒り」がないまぜになっているようにも感じる。そして最後は、そうしたすべてが、ふたたび静かに地底に吸い込まれていくようだ。
ムラヴィンスキーは指揮者になる前の若き日、マリンスキー劇団の舞台で端役をやっていた。また、35歳のレニングラード制覇のまえは、キーロフ歌劇場で6年間オペラ指揮者として豊富な修行もしている。劇的な展開力、表現の深さの源泉はこうした彼のキャリアも反映されているのかも知れないと思った。
ムラヴィンスキーは指揮者になる前の若き日、マリンスキー劇団の舞台で端役をやっていた。また、35歳のレニングラード制覇のまえは、キーロフ歌劇場で6年間オペラ指揮者として豊富な修行もしている。劇的な展開力、表現の深さの源泉はこうした彼のキャリアも反映されているのかも知れないと思った。
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