ぼくがギレリスをライヴで聴いたのは、リストのロ短調のソナタ他であった。
今日、ひがな聴いていたのは以下(の一部)である。
1972年4月22日、東京でギレリスのソロ・ライヴを聴いた。リストのロ短調ソナタが演目のメインだったが、集中力を高めるため、鍵盤を前にしての長い沈黙・長考の時間があり聴衆も緊張感をもって相対したことを思いだす。
その一方、コンサート・マナーはとても気さくな印象で当時、ソ連からのピアニストとして人気を二分したいささか「高踏的」なリヒテルと好対照だった。しかし、その演奏の並外れた熟度というか、一曲毎に籠められる崇高な音楽性では両者は文字通りの双璧だった。
その一方、コンサート・マナーはとても気さくな印象で当時、ソ連からのピアニストとして人気を二分したいささか「高踏的」なリヒテルと好対照だった。しかし、その演奏の並外れた熟度というか、一曲毎に籠められる崇高な音楽性では両者は文字通りの双璧だった。
ギレリスのもっとも活動的だった時代のライヴ録音が、いまは廉価で提供されるようになった。以下のリストを参考されたいが、セル/クリーヴランドのバック、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(セル晩期の見事なサウンド)、録音は古いが抜群のセンスを誇ったクリュイタンス/パリ管のラフマニノフ(第3番)、サン=サーンス(第2番)の協奏曲が聴けるだけでも元は十分にとれる。
特にベートーヴェンはギレリス得意の演目でありライヴでの音源は貴重、また、クリュイタンス/パリ管の十八番の2曲も自信に満ちた競演で楽しめる。惜しむらくは音のクリアさの不足だが、往時のギレリスの実力を知るうえでは必須の記録である。
http://www.amazon.co.jp/Icon-25th-Anniversary-Death-Emil-Gilels/dp/B003D0ZNXS/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1332557260&sr=1-1
特にベートーヴェンはギレリス得意の演目でありライヴでの音源は貴重、また、クリュイタンス/パリ管の十八番の2曲も自信に満ちた競演で楽しめる。惜しむらくは音のクリアさの不足だが、往時のギレリスの実力を知るうえでは必須の記録である。
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【収録情報】
CD1 ベートーヴェン:
1. ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op.15
2. ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.19
クリーヴランド管弦楽団、ジョージ・セル指揮
1968年4月29,30日、5月1,4日、セヴェランス・ホール、クリーヴランド録音
CD2
1. ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
2. ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58
クリーヴランド管弦楽団、ジョージ・セル指揮
1968年4月29,30日、5月1,4日、セヴェランス・ホール、クリーヴランド録音
CD3
1. ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.73『皇帝』
クリーヴランド管弦楽団、ジョージ・セル指揮
1968年4月29,30日、5月1,4日、セヴェランス・ホール、クリーヴランド録音
2. 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO80
3. ヴラニツキーのバレエ「森のおとめ』のロシア舞曲の主題による12の変奏曲イ長調 WoO71
4. 創作主題(トルコ行進曲)による6つの変奏曲 ニ長調 Op.76
1968年4月29,30日、5月1,4日、セヴェランス・ホール、クリーヴランド録音
CD4 ベートーヴェン:
1. ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58
2. ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.73『皇帝』
フィルハーモニア管弦楽団、レオポルト・ルートヴィヒ指揮
1957年4月26,27,30日、5月1日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音
CD5
1. ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op.15
2. ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.19
パリ音楽院管弦楽団、アンドレ・ヴァンデルノート指揮
1957年6月1,2日(第2番)、19,20日(第1番)、サル・ワグラム、パリ録音
CD6
1. ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
パリ音楽院管弦楽団、アンドレ・クリュイタンス指揮
1954年3月9,10日、シャンゼリゼ劇場、パリ録音
2. モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調 K570
1954年3月12日、シャンゼリゼ劇場、パリ録音
CD7
1. ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調 Op.30
2. サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調 Op.22
パリ音楽院管弦楽団、アンドレ・クリュイタンス指揮
1955年6月13日、1954年3月11日、シャンゼリゼ劇場、パリ録音
1955年10月19,20日、ニューヨーク録音
チャイコフスキー:
1. ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 Op.23
2. ピアノ協奏曲第2番ト長調 Op.44(シロティ編)
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ロリン・マゼール指揮
1972年10月11-17日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音
1. ピアノ協奏曲第3番変ホ長調 Op.75
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ロリン・マゼール指揮
1972年10月11-17日、アビー・ロード第1スタジオ、ロンドン録音
3. ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op.87より第1番ハ長調
1955年10月19、20日、ニューヨーク録音
続いて座右のブラームスを聴く。
ギレリスもヨッフムも超一流のアーティストだが、ともに派手さを嫌う理性的なタイプ(例えば、リヒテルとギレリス、カラヤンとヨッフムを比較すれば如実だろう)。しかし、この2曲での両者の<競演>は、達意のプロ同士が、己の力を賭したぶつかりあいにより、ときに激烈な感情表出を、ときに天国的至福感を見事に描ききったという点において、予測を超えた最高の仕事をなしえたといった風情がある。そしてベルリン・フィルが両者を繋ぐ最良のパートナーであったことには疑う余地がない。
かつてドイツ駐在中、毎日持ち歩いて、この2曲を聴いていたが飽きるということがなかった。これぞブラームスの本意ではないかという勝手な連想をしていた。1972年の録音だが、いまでもこの三者の組み合わせを超える音源に出会ったことがない。
(かつて書いたもの)
1986ー87年にかけて、ドイツで暫しの生活を送ったときに、ハンブルクに2週間近く滞在しました。もちろんブラームスゆかりの地であることは十分意識しつつ、カセットを数本、旅の鞄に入れました。それが、このギレリス+ヨッフム/ベルリン・フィルのブラームスピアノ協奏曲の1番と2番でした。列車の窓から11月の北ドイツの晩秋の風景を眺めながら聴くブラームスは格別でした。地元の教会ではドイツ・レクイエムをホルスト・シュタインで聴きました。残響にドームが戦慄き、震えるなかでの経験は、これがブラームス詣での最大の成果だなと感動したことを思い出します。
1986ー87年にかけて、ドイツで暫しの生活を送ったときに、ハンブルクに2週間近く滞在しました。もちろんブラームスゆかりの地であることは十分意識しつつ、カセットを数本、旅の鞄に入れました。それが、このギレリス+ヨッフム/ベルリン・フィルのブラームスピアノ協奏曲の1番と2番でした。列車の窓から11月の北ドイツの晩秋の風景を眺めながら聴くブラームスは格別でした。地元の教会ではドイツ・レクイエムをホルスト・シュタインで聴きました。残響にドームが戦慄き、震えるなかでの経験は、これがブラームス詣での最大の成果だなと感動したことを思い出します。
さて、この1番のコンチェルトですが、第2楽章を聴いて下さい。研ぎ澄まされた感覚と静かな深い思索がここに息づきます。ベルリン・フィルの分厚い音質もブラームスの感興を自然に、徐々に熱を込めて伝えてくれます。他演奏との比較でも、低弦の豊かな響きにみる「重心の安定性」とギレリスの心を込め、粒の揃った、しかも迫力ある表現力の融合は抜群で、大変な名演を生みました。
http://freizeit-jiyuu.blogspot.jp/2006/06/blog-post_13.html
http://freizeit-jiyuu.blogspot.jp/2006/06/blog-post_13.html
(参考)ライナーとの名盤もあります。
【ギレリスについて】(引用)
ギレリス[1916-1985]はウクライナのオデッサ出身、オデッサ音楽院在学中の31年に彼を聴いたルービンシュタインが「彼がアメリカに来るなら、私は荷物をまとめて逃げ出す」と絶賛したエピソードが残されるほどの天才。1936年ウィーン国際コンクールで2位、1938年ブリュッセルのエリザベス女王国際フェスで1位と輝かしいコンクール歴を持ち、47年の西側デビュー以来国際的なキャリアを築きましたが、ツアーは少なく彼のコンサート登場はイベントとして騒がれ続けました。リヒテルと並ぶロシアの2大ピアニストの一人。心臓麻痺で急死。
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