日曜日, 1月 26, 2014

アバド 追悼 




クラウディオ・アバドは、2014120日、ボローニャの自宅で永眠した。
 
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886125日ベルリン - 19541130日バーデン=バーデン)は、70才前に逝去、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 190845 - 1989716日)は80才を少し超えて天に召された。そして、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado, 1933626 - 2014120日)は80才で追悼を迎えた。フルトヴェングラーが亡くなった年令に近い2000年にアバドは胃癌で倒れて、その後の闘病生活をへて復帰し、ほぼカラヤンの没年まで生きたことになる。

イタリア出身者では、ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli1946112 - 2001420日)にくらべれば、けっして早世ではないし、アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867325 - 1957116日)やカルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini, 191459 - 2005614日)ほどの長生きはしなかった。

重石がとてつもなくて大変だったと思う。ベルリン・フィル首席指揮者としては、フルトヴェングラー、カラヤンの跡目を継いだが、強烈な個性の2人のスーパー・スターのあとの戦後「3代目」は、それでなくとも多くの苦労があった筈だ。特に、演奏スタイルのある部分は、カラヤンと似ており(カラヤンから後継の推挙もあった)、かつ前任(カラヤン)時代にその先駆的なデジタル録音で多くの演目をカヴァーしてしまったので、これを超える成果を残すのは蓋し高いハードルだったはずである。

コンサート指揮者として、あまりにはやくから頭角を現したゆえに、オペラのレパートリーの裾野を広げるのは小澤征爾とおなじく時間との戦いだったろう。ミラノ・スカラ座音楽監督の地位にもあったが、すでに若き才能ムーティが背中を追撃していた。

現代音楽の旗手という点でも、天才的な後輩シノーポリや異才ブーレーズもいた。あまり拡張の余地はなかったろう。

「最適効用」―一定平均以上の優れた演奏を、非常にタイトなスケジュールのなか見事にこなしていく能力―にくわえて、「最適効率」―オーケストラからリハーサル、ゲネプロなどで嫌われない制御技術と人徳ーを兼ね備えた現代的秀才で、機才(鬼才)であったしてもトスカニーニのような「鬼神」ではけっしてなかった。しかし、活動した時代、それは指揮者に限らなずどの職業においても一般的な傾向かも知れない。その意味では、アバドはラッキーボーイであり有能なる時代の子であったと言えるかも知れない。
 
 

 
 
  アバドの音源を振り返ると、これが決定盤といえるものがなかなか見つからない気がする。下記にドイツ(オーストリアも見たがほとんどドイツと変わらないので記載省略)とイタリアでの現在の売れ筋を見てみた。
生国たるイタリアでは、マーラーがよく聴かれていることがわかる。ドイツでは、ベートーヴェンなどドイツものにくわえてモーツァルトのコンチェルトが上位入りしている。
 
 
 
 
アバドは若い才能を常にサポートしてきた。1978 年ヨーロッパ・コミュニティ・ユース・オーケストラ、 1981 年ヨーロッパの室内管弦楽団、1986 年マーラー室内管弦楽団、そして2004 年、芸術監督としてモーツァルト管弦楽団をボローニャに設立。そのボローニャの自宅で名誉市民たるアバドは永眠した。
小生はipod35番、38番を入れて聴いている。モーツァルトの原曲に内生する膨らむような活力を、アバドは若きメンバーとともに、楽しみながら丁寧に引き出しているように思う。肩に過度な力の入らない、しかし、自律的で生き生きとした一挙手一投足を感じさせる爽やかな演奏である。こうした音楽の喜びを演奏者も当日ライヴに接している聴衆も共有しているからこそ、音楽媒体で接するリスナーにも新鮮な感動が伝播するのだろう。
アバド追悼として、その代表的な音源と思う。
 
一方、アバドは協奏曲においてソリストの最良なものを見抜き、最適に引き出す名伯楽であった。あまたの秀演があり、アルゲリッチやムローヴァなどとも素晴らしい記録を残しているが、ポリーニとの相性も抜群だった。代表的なブラームスの2番について。 
 
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(紙ジャケット仕様)
 
ポリーニ34才、アバド43才頃の1976年の録音である。ウィーン・フィルがその持ち味の馥郁たる響きで応じている。この盤がでる以前、ウィーン・フィルによる同曲では、バックハウス+ベームの歴史的な名盤があった。
ポリーニ+アバドを起用したプロデューサーはこれに変わる新風を求めたのだろう。バックハウス盤は1967年録音。当時、バックハウス83才、ベーム73才頃の収録で、枯淡を超えて神々しいまでの演奏に対して、ポリーニ、アバドにはいかにも若き獅子の挑戦といった緊迫感がある。 
ポリーニの演奏はいつもどおり分析的で曖昧さのないクリアーな解釈である。音は美しく響くが柔なセンチメンタリズムとは無縁、無機質的では決してないけれど音の陰影の付け方はストイックで抑制的である。
一方、アバドの追走が見事。ポリーニの高質の一音、一音を大切に浮かび上がらせようと細心の注意を払っている。その神経質なまでの配意が演奏をキリリと締め、これがリスナーに伝わりとても好ましく思われる。ポリーニ+アバドのコンビは余程相性が良いのだろう。その後、ベルリン・フィルでも同曲をライヴで取り上げているほか全集も残した。しかし、76年盤の重みは、ウィーン・フィルが決定盤の名を欲しいままにしたバックハウス+ベームに対して、約10年振りに若き2人の見事な共同作業によって拮抗せんとしたことにあるだろう。その挑戦はいまも燦然と輝く見事な成果を生んでいる。
 
 

 

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