http://www.thefamouspeople.com/profiles/images/sergei-prokofiev-2.jpg
ふと、プロコフィエフを聴きたくて、ミトロプーロスの古い録音を取り出してくる。ピアノ協奏曲第3番。ピアノはミトロプーロス自身が弾いている。この人は、はやり才人中の才人。やや荒削りだが、テクニックをふくめ堂々とした演奏。かつ、プロコフィエフの前衛的な個性をよく引き出していると思う。併録は交響曲第1番。なお、ミトロプーロスでは、ニューヨーク・フィルを振った組曲『キージェ中尉』(1956年)も手元にある(→ The Great Conductors)。
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 フィラデルフィア・ロビン・フッド・デル管弦楽団 (1946年7月26日)
◆プロコフィエフ:交響曲第1番『古典』(1940年12月7日)
→ ミトロプーロス Dimitris Mitropoulos
http://shokkou3.blogspot.jp/2014/03/dimitris-mitropoulos.html
(参考)ピアノ協奏曲第3番
Martha Argerich Collection 2: The Concerto Recordings
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さて、プロコフィエフといえば、多面的な魅力をもった作曲家である。まずは、子供から大人まで、皆が微笑みとともに鑑賞できる名作から。
ふと、プロコフィエフを聴きたくて、ミトロプーロスの古い録音を取り出してくる。ピアノ協奏曲第3番。ピアノはミトロプーロス自身が弾いている。この人は、はやり才人中の才人。やや荒削りだが、テクニックをふくめ堂々とした演奏。かつ、プロコフィエフの前衛的な個性をよく引き出していると思う。併録は交響曲第1番。なお、ミトロプーロスでは、ニューヨーク・フィルを振った組曲『キージェ中尉』(1956年)も手元にある(→ The Great Conductors)。
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 フィラデルフィア・ロビン・フッド・デル管弦楽団 (1946年7月26日)
◆プロコフィエフ:交響曲第1番『古典』(1940年12月7日)
→ ミトロプーロス Dimitris Mitropoulos
http://shokkou3.blogspot.jp/2014/03/dimitris-mitropoulos.html
(参考)ピアノ協奏曲第3番
Martha Argerich Collection 2: The Concerto Recordings
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さて、プロコフィエフといえば、多面的な魅力をもった作曲家である。まずは、子供から大人まで、皆が微笑みとともに鑑賞できる名作から。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/29/63/b0117863_16325336.jpg
◆プロコフィエフ:ピーターと狼
Prokofiev: Peter and the Wolf / Saint-Saens,Bizet
プロコフィエフという作曲家の芸域のひろさを知るうえで、「ピーターと狼」の存在は大きい。楽器の個性を特定し、これを演者(プレイヤー)として、子供向けの物語として紡ぐというアイデアも斬新なら、ユーモアたっぷりにこれを奏するオーケストラにとっては、腕自慢の見せ所といった要素もある。
的確な標題音楽性、隠し味としての民謡の使用、不協和音などの技法の援用といった点でもユニークな作品で、けっして子供向けと侮れない名曲である。
英語ナレーター版を聴く。落ち着いた語り口でわかりやすい発音。アンドレア・リカータは、オペラ指揮者として成果をあげている人。ロイヤル・フィルは、ジャンルの広い演奏で定評があり、こうした演目では巧さが光る。
<収録情報>
『ピーターと狼』(英語版):ジョン・ギールグッド(ナレーター)ヴィヴィアン・トルーン(ピアノ)、ロデリック・エルムス(ピアノ) アンドレア・リカータ/ロイヤル・フィル(1994年)
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
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『キージェ中尉』やバレエ音楽『ロミオとジュリエット』といった作品も著名。前者の荒唐無稽さを音楽にできる想像力はたいしたものだし、後者がいまやフィギュア・スケートのバック・ミュージックの定番であることは、プロコフィエフ作品の懐の深さを示しているだろう。
Prokofiev: Romeo & Juliet Suit
◆プロコフィエフ:キージェ中尉
◆プロコフィエフ:ロミオとジュリエット(組曲)
『キージェ中尉』は、架空の中尉が書類上で波乱万丈の生涯をおくるという寓話的な作品。背後に専制君主の気まぐれや官僚制への揶揄がこめられているのだが、音楽はユーモラスで、<なぞなぞ解き>のような面白さもある。テナー・サクソフォーンのとぼけた味が絶妙。
『ロメオとジュリエット』組曲は、シモノフにとっては最も得意な演目だろう。シモノフは、ボリショイ劇場の音楽監督を1970~1985年まで務めたが、組曲第1番は、1936年11月24日、同劇場でセバスチャンの指揮により初演されているのだから言わずもがなである。本集では、組曲第2番を中心に、第1番からも一部を加えて、
1.モンタギュー家とキャピュレット家、2.少女ジュリエット、3.ロレンス神父、4.朝の踊り、5.メヌエット、6.仮面劇、7.タイボルトの死、8.ダンス、9.ジュリエットの墓の前のロメオの9曲の編成としている。
ロイヤル・フィルは音が重くならず、明るい響きに特色があるが、シモノフの熱演を支え、迫力がありながら品の良さも滲ませる演奏となっている(1996年の収録)。なお、全曲盤では Romeo & Juliet もお薦め。
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
◆プロコフィエフ:ロミオとジュリエット(全曲版)
Romeo & Juliet
1990年8月25日-9月2日にサンクトペテルブルク、マリインスキー劇場で手兵の同劇場管弦楽団を振ってセッション収録された全曲盤。なお、ロンドン交響楽団の最近のライヴ再録もある(→ Romeo & Juliet (Hybr))。
生き生きとしたドライヴ感が身上で、おおらかで屈託のないストレートなアプローチ。ダイナミックレンジの広い演奏だが、最強音をすこしくセーヴして全体のバランス感をけっして崩さない。作曲家の意図をじゅうぶんに汲み取った自信に満ちた解釈と楽器の特性を最大限引き出すゲルギエフ流の隠された巧者の手法が背景にあるのだろう。
セッション録音ながらライブ感も豊富。その一方、何度も聴くと部分的にはメッシュの肌理の細かさではやや粗さもあるが、全曲盤ではいくども変奏がくりかえされるフィギア・スケートですっかり有名になった主要なメロディなどの聴かせどころは大向こうをうならせる魅力満載。
→ Art of Valery Gergiev も参照
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他にも、管弦楽曲を多く手掛けている。
◆プロコフィエフ:道化師
プロコフィエフ:バレエ組曲「道化師」作品21a
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今度は、交響曲に目を向けてみよう。第1番は古典交響曲と呼ばれ、短いけれど内容は濃密、かつ新鮮な曲づくりで多くの指揮者からの人気も高い。加えて後期の2曲を取り上げてみた。
◆プロコフィエフ:交響曲第1番『古典』
筋肉質に締まった演奏。しかも、プロコフィエフの高度な管弦楽手法と親しみのあるメロディ、そして短いフレーズに盛り込まれた凝縮の美をあますところなく味わうことができる。この19世紀に逆戻りしたような古典的出だしから次第に現代的な装いを帯びていくウイットに富む作品の本質を描き切っている。本曲、トスカニーニに名演 Arturo Toscanini - The XX Century ( Arturo Toscanini Conducts Various Composer )に対して、1960年代初頭とは思えない見事な録音によって、これに比肩する成果となっている。ヴァイオリン協奏曲第2番もスターンを迎えての巧演。
→ Eugene Ormandy Conducts 20th Century Classics にて聴取
◆プロコフィエフ:交響曲第7番および第5番
<第7番>
プロコフィエフの最後の交響曲。「青春」という副題があり古典的な構えと明るい雰囲気に包まれている。ほかの交響曲における一種、暗喩された情念といった要素はすっかり影をひそめ、ショスタコーヴィチのような激情型とも異なる柔らかさもある。一方、基調の「明るさ」には落着きと心地よさがあるのだが、ときに作為(どこか無理をした作り笑い的なところ)も垣間見え、第4楽章が典型だが、一般にわかりやすい分だけ、作品としては平板でやや独創性に欠ける気もする。
<第5番>
第1楽章、全体としてメロディは柔らかく親しみやすいが、管弦楽の多重的な使用によって複雑なニュアンスを裏打ちしている。第2楽章は軽快で躍動的なスケルツォ、一転し第3楽章では弦楽の美しい旋律が続くが、背後で不安定な心理を調性の変化によって表現しており本曲の聴かせどころ(演奏も素晴らしい)。終楽章は、明るく前向きな心情を感じさせる
ロストロポーヴィチ(1927~2007年)は、同時代として、プロコフィエフ(1891~1953年)の生存中の成果を強く意識しその普及に努めた。本交響曲全集もその成果のひとつ。作品の素材の良さを最大限、表現せんと全身全霊で臨んでいる姿を連想させ好感がもてる。
→ 50CD レガシーボックスセット ERATO BOX にて聴取
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以下は過去に書いたものを転載。「アレクサンドル・ネフスキー」も楽しめる曲。こちらは、シャイー/クリーヴランド管の演奏。
◆プロコフィエフ:アレクサンドル・ネフスキー
リッカルド・シャイー(指揮):クリーヴランド管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団合唱団(合唱指揮…ロバート・ペイジ)、イリーナ・アルヒポヴァ(メゾ・ソプラノ) 1983年3月録音
(収録)1.モンゴルの制圧にあえぐロシア、2.アレクサンドル・ネフスキーの歌、3.プスコーフの十字軍士、4.めざめよ、ロシア人民、5.氷上の戦い、6.死の原野、7.アレクサンドルのプスコーフ入城
「アレクサンドル・ネフスキー」(1939年作曲)は、1242年の氷上の戦いでドイツ騎士団を壊滅させたネフスキー大公(聖人)の物語を通して、ファシズムへの憎悪を表現したといわれる。エイゼンシュテインの映画音楽として当初作曲され、のちに生まれ変わった作品。
アレクサンドル・ネフスキー(1220-1263)はウラジーミル大公国の大公だった実在の人物。中世ロシアの英雄と讃えられ、東方正教会の聖人に列せられている。アレクサンドルの敵はドイツ騎士団とスウェーデンであり、彼はモンゴル帝国のバトゥを味方に付けてドイツ騎士団等と対峙し,ノヴゴロド公だった1242年には襲来したドイツ騎士団を「氷上の戦い」と後世形容されるチュド湖上の戦いで撃破する。
その戦闘をセルゲイ・エイゼンシュテインが1938年に映像化したのが映画「アレクサンドル・ネフスキー」で、その音楽を担当していたのがプロコフィエフであり、翌年、それを転用してカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」を作る。 プロコフィエフとエイゼンシュテインは、同世代のロシアの芸術家で、「アレクサンドル・ネフスキー」のほか「イワン雷帝」第1部・第2部を共作した。彼らはともに、革命後の一定期間を外国で過ごし、ソ連に帰還している。プロコフィエフは、ロシア革命(1917年)直後に出国し、ソ連帰国(1936年)。エイゼンシュテインは、「ストライキ」(1924年)、「戦艦ポチョムキン」(1925年)、「十月」(1927年)、「全線」(1929年)と映画史上に残る無声映画の傑作を製作後、1929~32年の間、アメリカ、メキシコに滞在。そのエイゼンシュテインが初めて完成させたトーキーが本作であった。「氷上の戦い」を軸としたこの映画は、明確に時代を反映したものであり、日独の脅威が迫っていた当時、映画で描かれるキプチャク・ハーン国(モンゴル)は日本に、騎士団はナチス・ドイツになぞらえて理解された(実際、1939年に日ソはノモンハン事件で衝突し、41年には独ソ戦が勃発する)という。 http://www.tmso.or.jp/j/news/ivan.php
・『ロメオとジュリエット』〜マスク:ユーリ・シモノフ/ロイヤル・フィル(1993年)http://www.amazon.co.jp/Russian-Masters-Great-Emotions-Music/dp/B00J3FKBIO/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1461896882&sr=1-1&keywords=membran++russian
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プロコフィエフ:交響曲第1番 ニ長調「古典」 他
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番
プロコフィエフの5曲のピアノコンチェルトの劈頭を飾るのみならず、作曲家、ピアニストとしてデビューを果たした記念すべき作品。曲想はゆたかでさまざまなメロディが盛り込まれているが、不協和音の挿入によって、それらは中断され、リズミックなピアノ(高い鍵が亀裂的な効果)が激しく乱舞する。
わずかに15分にも満たない曲ながら小作品といった感じはなく、プロコフィエフの天才的な感性と今後の展開を予測させるにたる充実感がある。
リヒテルの演奏が凄まじい。強靭な打鍵は彼の特徴だが、弱音のニュアンスづけすべてに説得力があり、ゆえに叙情性にぐらりと惹きつけられ、されど次の強音で突き放されといった具合にリスナーは思うさま翻弄される。そこにスリリングな醍醐味を感じる。名人アンチェルはここでは控えめな受け手に終始している。
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番/ラヴェル:ピアノ協奏曲
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
全体に激しい情念が渦巻き、感情が爆発するような曲である。しかし、プロコフィエフはその表現においては、不協和音の多用による感性への新たな刺激、民族的メロディの効果的挿入による親和性の確保、そして、ピアニストに限界をしいる「打楽器」としての強靭なピアニズムの実験などを沈着に行っているようにも思う。力任せの荒業だけでは表現できない「仕掛け」が周到にほどこされている。
アルゲリッチの演奏は、こうした仕掛けを一つ一つ丁寧に(ときに猛烈なパッセージで)クリアしつつ、さらに彼女のみずみずしい感性を曲想に素直にのせている。そこが胸打つ感動となっている。アバド/ベルリン・フィルの力量ある音感と思い切りのよい、強力な追走もほかを寄せつけない優位性を確保している。
→ Martha Argerich Collection 2: The Concerto Recordings にて聴取
http://www.amazon.co.jp/dp/B002GKRT74/ref=pdp_new_dp_review
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番
ピアノ協奏曲第5番(1932年初演)は面白い作品である。リズムの躍動がメロディを上回り、戦争ソナタ(リヒテルによる1943年初演)の原型、その先行オーケストレーション版といった感じすらある(特に第3楽章)。
そうした成り立ちからは、リヒテルが本曲を積極的に取り上げ、秀抜な録音(音もこの時代としては意外に良い鮮度)を残していることも首肯できるだろう。
作品の密度が高く、リヒテルの迫力あるピアノの威力も十分。第4楽章ラルゲットはロシアの血であろうか、ラフマニノフと共通するようなリリシズムを感じる。終楽章は気忙しい展開ながら、前衛音楽的な冴えを随所でみせて、プロコフィエフの創造性の高さを実証している。リヒテルの集中力も凄い。
→ The Russian Masters of Great Emotions in Music にて聴取
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リヒテルの演奏は本当に凄みがある。ピアノ曲について、以下、プロコフィエフの自作自演も含めて紹介。
Sonata for Piano 6 7 & 9
◆プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」
ピアノ・ソナタ、6番までは作曲家自身によって、7番、9番はリヒテルによって初演された。つまりこれは作曲家公認の初演ピアニストによる曲集といえる。以下はもっとも有名な7番について。
本曲にはじめて接したのは、アルゲリッチ来日時のライヴにおいてであった。このパワー全開の難曲は女性には不向きと言われつつ、これをあっけらかんと弾ききった彼女には当時「女リヒテル」の異名があった。裏をかえせば、ご本家リヒテルの威令が行きとどいていたというエピソードでもある。
第1楽章、リズムが律動し、そこに深い闇をしめすようなメロディが絡みついてくる。「動」のリズムと「静」のメロディが拮抗するが、前者が後者を圧倒しつつも、暗い無機質的なメロディはけっして消えることなく繰り返される。
第2楽章、時の歯車を逆回転させたように、古典的な美しい旋律が追憶される。しかし、それは明朗なものではなく、暗く病的なものを抱えている。
第3楽章、両楽章で提示されたさまざまなテーマや心象が一気に否定され、激しいリズムが全体を支配する。しかもそれは一切の曖昧さを残さず、強烈なパワーをもって、他の要素を一掃する。
原曲の「暗喩」をリヒテルはすべて見切っているかのように深く弾き込んでいる。凝縮感、緊張感、そして正確に打ち下ろされるハンマーの如き打鍵の力に圧倒される演奏。
→ Classical Piano Giants にて聴取
セルゲイ・プロコフィエフ
1932年の録音のプロコフィエフ自身のピアノ演奏による協奏曲第3番。あまりに古い音源なのでまったく期待しないでCDを回したが、これが意外なくらいクリアな音。もちろん難はある。収録の関係でオーケストラの音が前面にでて、ピアノが埋没しがちだが、しかし、そこを補正して聴けば、ピアノのサウンドが生真面目で、けっして過度な打鍵を誇るものではないことがわかる。総じて端正な演奏の自作自演である。
以下は1935年に収録されたピアノ曲集について一言コメント。
「ガヴォット」(交響曲第5番より)は教則本のような規則正しい演奏。「アンダンテ・アッサイ」(ピアノ・ソナタ第4番より)、『年とった祖母のお話』より「アンダンティーノ」op.31-2の2曲では、表情たっぷりの叙情的な一面もみせる。「アンダンテ・アッサイ」op.31-3、「ガヴォット」 op.32-3の2曲では、独特の弾けるようなリズム感が新鮮である。
時代が下って、「練習曲」 op.52-3は高い鍵がより強調され、「田園風ソナティナ」 op.59-3、「風景」 op.59-2の2曲では、不協和音の使用も多く複雑な心象風景を描いている。
『束の間の幻影』op.22は、9,3,17,18,11,10,16,6,5の9曲がこの順で取り上げられている。さまざまな表情が顔をだすが、プロコフィエフ自身、ある意味、余裕をもって楽しんで弾いているような場面を感じる。最後は、「悪魔的暗示」 op4-4、最初期の作品ながら才気煥発な迸りがある。
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric
・第7番 オーマンディ/フィラデルフィア管(1953年)
【管弦楽曲等】
・バレエ音楽『道化師』ジュスキント/ロンドン響(1959年)
・組曲『キージェ中尉』シモノフ/ロイヤル・フィル(1996年)
・バレエ音楽『ロメオとジュリエット』抜粋 同上。
・『ピーターと狼』(英語版)ジョン・ギールグッド(ナレーター)ヴィヴィアン・トルーン(ピアノ)、ロデリック・エルムス(ピアノ) アンドレア・リカータ/ロイヤル・フィル(1994年)
◆プロコフィエフ:ピーターと狼
Prokofiev: Peter and the Wolf / Saint-Saens,Bizet
プロコフィエフという作曲家の芸域のひろさを知るうえで、「ピーターと狼」の存在は大きい。楽器の個性を特定し、これを演者(プレイヤー)として、子供向けの物語として紡ぐというアイデアも斬新なら、ユーモアたっぷりにこれを奏するオーケストラにとっては、腕自慢の見せ所といった要素もある。
的確な標題音楽性、隠し味としての民謡の使用、不協和音などの技法の援用といった点でもユニークな作品で、けっして子供向けと侮れない名曲である。
英語ナレーター版を聴く。落ち着いた語り口でわかりやすい発音。アンドレア・リカータは、オペラ指揮者として成果をあげている人。ロイヤル・フィルは、ジャンルの広い演奏で定評があり、こうした演目では巧さが光る。
<収録情報>
『ピーターと狼』(英語版):ジョン・ギールグッド(ナレーター)ヴィヴィアン・トルーン(ピアノ)、ロデリック・エルムス(ピアノ) アンドレア・リカータ/ロイヤル・フィル(1994年)
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
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『キージェ中尉』やバレエ音楽『ロミオとジュリエット』といった作品も著名。前者の荒唐無稽さを音楽にできる想像力はたいしたものだし、後者がいまやフィギュア・スケートのバック・ミュージックの定番であることは、プロコフィエフ作品の懐の深さを示しているだろう。
Prokofiev: Romeo & Juliet Suit
◆プロコフィエフ:キージェ中尉
◆プロコフィエフ:ロミオとジュリエット(組曲)
『キージェ中尉』は、架空の中尉が書類上で波乱万丈の生涯をおくるという寓話的な作品。背後に専制君主の気まぐれや官僚制への揶揄がこめられているのだが、音楽はユーモラスで、<なぞなぞ解き>のような面白さもある。テナー・サクソフォーンのとぼけた味が絶妙。
『ロメオとジュリエット』組曲は、シモノフにとっては最も得意な演目だろう。シモノフは、ボリショイ劇場の音楽監督を1970~1985年まで務めたが、組曲第1番は、1936年11月24日、同劇場でセバスチャンの指揮により初演されているのだから言わずもがなである。本集では、組曲第2番を中心に、第1番からも一部を加えて、
1.モンタギュー家とキャピュレット家、2.少女ジュリエット、3.ロレンス神父、4.朝の踊り、5.メヌエット、6.仮面劇、7.タイボルトの死、8.ダンス、9.ジュリエットの墓の前のロメオの9曲の編成としている。
ロイヤル・フィルは音が重くならず、明るい響きに特色があるが、シモノフの熱演を支え、迫力がありながら品の良さも滲ませる演奏となっている(1996年の収録)。なお、全曲盤では Romeo & Juliet もお薦め。
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
◆プロコフィエフ:ロミオとジュリエット(全曲版)
Romeo & Juliet
1990年8月25日-9月2日にサンクトペテルブルク、マリインスキー劇場で手兵の同劇場管弦楽団を振ってセッション収録された全曲盤。なお、ロンドン交響楽団の最近のライヴ再録もある(→ Romeo & Juliet (Hybr))。
生き生きとしたドライヴ感が身上で、おおらかで屈託のないストレートなアプローチ。ダイナミックレンジの広い演奏だが、最強音をすこしくセーヴして全体のバランス感をけっして崩さない。作曲家の意図をじゅうぶんに汲み取った自信に満ちた解釈と楽器の特性を最大限引き出すゲルギエフ流の隠された巧者の手法が背景にあるのだろう。
セッション録音ながらライブ感も豊富。その一方、何度も聴くと部分的にはメッシュの肌理の細かさではやや粗さもあるが、全曲盤ではいくども変奏がくりかえされるフィギア・スケートですっかり有名になった主要なメロディなどの聴かせどころは大向こうをうならせる魅力満載。
→ Art of Valery Gergiev も参照
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他にも、管弦楽曲を多く手掛けている。
◆プロコフィエフ:道化師
プロコフィエフ:バレエ組曲「道化師」作品21a
全12曲は以下のとおり。踊りと間奏曲が道しるべとなっているが、ストーリーと音楽との関連は不分明で、「ピーターと狼」のような啓示性はない。
◆道化師とその妻/◆道化師の妻たちの踊り/◆妻を殺した道化師たち/◆若い女に化けた道化師/◆第3の間奏曲/◆道化師の娘たちの踊り/◆商人の到着、迎えの踊り、嫁選び/◆商人の寝室にて/◆若い女が山羊に変身する/◆第5の間奏曲と山羊の埋葬/◆道化師と商人との諍い/◆最後の踊り
今度は、交響曲に目を向けてみよう。第1番は古典交響曲と呼ばれ、短いけれど内容は濃密、かつ新鮮な曲づくりで多くの指揮者からの人気も高い。加えて後期の2曲を取り上げてみた。
◆プロコフィエフ:交響曲第1番『古典』
筋肉質に締まった演奏。しかも、プロコフィエフの高度な管弦楽手法と親しみのあるメロディ、そして短いフレーズに盛り込まれた凝縮の美をあますところなく味わうことができる。この19世紀に逆戻りしたような古典的出だしから次第に現代的な装いを帯びていくウイットに富む作品の本質を描き切っている。本曲、トスカニーニに名演 Arturo Toscanini - The XX Century ( Arturo Toscanini Conducts Various Composer )に対して、1960年代初頭とは思えない見事な録音によって、これに比肩する成果となっている。ヴァイオリン協奏曲第2番もスターンを迎えての巧演。
→ Eugene Ormandy Conducts 20th Century Classics にて聴取
◆プロコフィエフ:交響曲第7番および第5番
<第7番>
プロコフィエフの最後の交響曲。「青春」という副題があり古典的な構えと明るい雰囲気に包まれている。ほかの交響曲における一種、暗喩された情念といった要素はすっかり影をひそめ、ショスタコーヴィチのような激情型とも異なる柔らかさもある。一方、基調の「明るさ」には落着きと心地よさがあるのだが、ときに作為(どこか無理をした作り笑い的なところ)も垣間見え、第4楽章が典型だが、一般にわかりやすい分だけ、作品としては平板でやや独創性に欠ける気もする。
<第5番>
第1楽章、全体としてメロディは柔らかく親しみやすいが、管弦楽の多重的な使用によって複雑なニュアンスを裏打ちしている。第2楽章は軽快で躍動的なスケルツォ、一転し第3楽章では弦楽の美しい旋律が続くが、背後で不安定な心理を調性の変化によって表現しており本曲の聴かせどころ(演奏も素晴らしい)。終楽章は、明るく前向きな心情を感じさせる
ロストロポーヴィチ(1927~2007年)は、同時代として、プロコフィエフ(1891~1953年)の生存中の成果を強く意識しその普及に努めた。本交響曲全集もその成果のひとつ。作品の素材の良さを最大限、表現せんと全身全霊で臨んでいる姿を連想させ好感がもてる。
→ 50CD レガシーボックスセット ERATO BOX にて聴取
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以下は過去に書いたものを転載。「アレクサンドル・ネフスキー」も楽しめる曲。こちらは、シャイー/クリーヴランド管の演奏。
◆プロコフィエフ:アレクサンドル・ネフスキー
リッカルド・シャイー(指揮):クリーヴランド管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団合唱団(合唱指揮…ロバート・ペイジ)、イリーナ・アルヒポヴァ(メゾ・ソプラノ) 1983年3月録音
(収録)1.モンゴルの制圧にあえぐロシア、2.アレクサンドル・ネフスキーの歌、3.プスコーフの十字軍士、4.めざめよ、ロシア人民、5.氷上の戦い、6.死の原野、7.アレクサンドルのプスコーフ入城
「アレクサンドル・ネフスキー」(1939年作曲)は、1242年の氷上の戦いでドイツ騎士団を壊滅させたネフスキー大公(聖人)の物語を通して、ファシズムへの憎悪を表現したといわれる。エイゼンシュテインの映画音楽として当初作曲され、のちに生まれ変わった作品。
アレクサンドル・ネフスキー(1220-1263)はウラジーミル大公国の大公だった実在の人物。中世ロシアの英雄と讃えられ、東方正教会の聖人に列せられている。アレクサンドルの敵はドイツ騎士団とスウェーデンであり、彼はモンゴル帝国のバトゥを味方に付けてドイツ騎士団等と対峙し,ノヴゴロド公だった1242年には襲来したドイツ騎士団を「氷上の戦い」と後世形容されるチュド湖上の戦いで撃破する。
その戦闘をセルゲイ・エイゼンシュテインが1938年に映像化したのが映画「アレクサンドル・ネフスキー」で、その音楽を担当していたのがプロコフィエフであり、翌年、それを転用してカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」を作る。 プロコフィエフとエイゼンシュテインは、同世代のロシアの芸術家で、「アレクサンドル・ネフスキー」のほか「イワン雷帝」第1部・第2部を共作した。彼らはともに、革命後の一定期間を外国で過ごし、ソ連に帰還している。プロコフィエフは、ロシア革命(1917年)直後に出国し、ソ連帰国(1936年)。エイゼンシュテインは、「ストライキ」(1924年)、「戦艦ポチョムキン」(1925年)、「十月」(1927年)、「全線」(1929年)と映画史上に残る無声映画の傑作を製作後、1929~32年の間、アメリカ、メキシコに滞在。そのエイゼンシュテインが初めて完成させたトーキーが本作であった。「氷上の戦い」を軸としたこの映画は、明確に時代を反映したものであり、日独の脅威が迫っていた当時、映画で描かれるキプチャク・ハーン国(モンゴル)は日本に、騎士団はナチス・ドイツになぞらえて理解された(実際、1939年に日ソはノモンハン事件で衝突し、41年には独ソ戦が勃発する)という。 http://www.tmso.or.jp/j/news/ivan.php
さて、シャイーの演奏だが、 オルフ「カルミナ・ブラーナ」を彷彿とさせるダイナミックな表現力が魅力である。シャイーはほかにもショスタコーヴィチ「ジャズ音楽集」、「ダンス・アルバム 」やメシアン「 トゥーランガリーラ交響曲」などを得意としているが、こうしたメリハリの利いた民族色豊かな曲に魅力を感じているようだ。メゾ・ソプラノのアルヒポヴァの声も奥行きがありながら柔らかく陶然たるもの。
プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番は、ハイフェッツが取り上げたことで、その普及がすすんだと言われる。古くは、作品発表2年後のクーセヴィツキー/ボストン響(1937年12月20日 ボストン・シンフォニー・ホール)の音源もあるが、本盤は、ミュンシュ/ボストン響(1959年2月23~25日 ボストン・シンフォニーホール)である。
素朴で親しみやすいメロディが満載された第2楽章アンダンテ・アッサイは、ハイフェッツの独壇場でありさまざまな色調をイメージさせる。終楽章は諧謔的な雰囲気とカスタネットなどの効果的な活用で飽きさせないが、ここでのハイフェッツの妙技は、ヴァイオリンという楽器の表現能力を極限まで追求せんとするかのような凄みも感じさせる。
→ Jascha Heifetz Plays Great Violin Concertos を参照
素朴で親しみやすいメロディが満載された第2楽章アンダンテ・アッサイは、ハイフェッツの独壇場でありさまざまな色調をイメージさせる。終楽章は諧謔的な雰囲気とカスタネットなどの効果的な活用で飽きさせないが、ここでのハイフェッツの妙技は、ヴァイオリンという楽器の表現能力を極限まで追求せんとするかのような凄みも感じさせる。
→ Jascha Heifetz Plays Great Violin Concertos を参照
(参考2)
◆プロコフィエフ:
・ヴァイオリン協奏曲第1番:オイストラフ(ヴァイオリン)、マタチッチ/ロンドン交響楽団(1954年)
・ピアノ協奏曲第5番:リヒテル(ピアノ)、ロヴィツキ/ワルシャワ・フィル(1959年)・『ロメオとジュリエット』〜マスク:ユーリ・シモノフ/ロイヤル・フィル(1993年)http://www.amazon.co.jp/Russian-Masters-Great-Emotions-Music/dp/B00J3FKBIO/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1461896882&sr=1-1&keywords=membran++russian
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プロコフィエフ:交響曲第1番 ニ長調「古典」 他
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番
プロコフィエフの5曲のピアノコンチェルトの劈頭を飾るのみならず、作曲家、ピアニストとしてデビューを果たした記念すべき作品。曲想はゆたかでさまざまなメロディが盛り込まれているが、不協和音の挿入によって、それらは中断され、リズミックなピアノ(高い鍵が亀裂的な効果)が激しく乱舞する。
わずかに15分にも満たない曲ながら小作品といった感じはなく、プロコフィエフの天才的な感性と今後の展開を予測させるにたる充実感がある。
リヒテルの演奏が凄まじい。強靭な打鍵は彼の特徴だが、弱音のニュアンスづけすべてに説得力があり、ゆえに叙情性にぐらりと惹きつけられ、されど次の強音で突き放されといった具合にリスナーは思うさま翻弄される。そこにスリリングな醍醐味を感じる。名人アンチェルはここでは控えめな受け手に終始している。
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番/ラヴェル:ピアノ協奏曲
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
全体に激しい情念が渦巻き、感情が爆発するような曲である。しかし、プロコフィエフはその表現においては、不協和音の多用による感性への新たな刺激、民族的メロディの効果的挿入による親和性の確保、そして、ピアニストに限界をしいる「打楽器」としての強靭なピアニズムの実験などを沈着に行っているようにも思う。力任せの荒業だけでは表現できない「仕掛け」が周到にほどこされている。
アルゲリッチの演奏は、こうした仕掛けを一つ一つ丁寧に(ときに猛烈なパッセージで)クリアしつつ、さらに彼女のみずみずしい感性を曲想に素直にのせている。そこが胸打つ感動となっている。アバド/ベルリン・フィルの力量ある音感と思い切りのよい、強力な追走もほかを寄せつけない優位性を確保している。
→ Martha Argerich Collection 2: The Concerto Recordings にて聴取
http://www.amazon.co.jp/dp/B002GKRT74/ref=pdp_new_dp_review
◆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番
ピアノ協奏曲第5番(1932年初演)は面白い作品である。リズムの躍動がメロディを上回り、戦争ソナタ(リヒテルによる1943年初演)の原型、その先行オーケストレーション版といった感じすらある(特に第3楽章)。
そうした成り立ちからは、リヒテルが本曲を積極的に取り上げ、秀抜な録音(音もこの時代としては意外に良い鮮度)を残していることも首肯できるだろう。
作品の密度が高く、リヒテルの迫力あるピアノの威力も十分。第4楽章ラルゲットはロシアの血であろうか、ラフマニノフと共通するようなリリシズムを感じる。終楽章は気忙しい展開ながら、前衛音楽的な冴えを随所でみせて、プロコフィエフの創造性の高さを実証している。リヒテルの集中力も凄い。
→ The Russian Masters of Great Emotions in Music にて聴取
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リヒテルの演奏は本当に凄みがある。ピアノ曲について、以下、プロコフィエフの自作自演も含めて紹介。
Sonata for Piano 6 7 & 9
◆プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」
ピアノ・ソナタ、6番までは作曲家自身によって、7番、9番はリヒテルによって初演された。つまりこれは作曲家公認の初演ピアニストによる曲集といえる。以下はもっとも有名な7番について。
本曲にはじめて接したのは、アルゲリッチ来日時のライヴにおいてであった。このパワー全開の難曲は女性には不向きと言われつつ、これをあっけらかんと弾ききった彼女には当時「女リヒテル」の異名があった。裏をかえせば、ご本家リヒテルの威令が行きとどいていたというエピソードでもある。
第1楽章、リズムが律動し、そこに深い闇をしめすようなメロディが絡みついてくる。「動」のリズムと「静」のメロディが拮抗するが、前者が後者を圧倒しつつも、暗い無機質的なメロディはけっして消えることなく繰り返される。
第2楽章、時の歯車を逆回転させたように、古典的な美しい旋律が追憶される。しかし、それは明朗なものではなく、暗く病的なものを抱えている。
第3楽章、両楽章で提示されたさまざまなテーマや心象が一気に否定され、激しいリズムが全体を支配する。しかもそれは一切の曖昧さを残さず、強烈なパワーをもって、他の要素を一掃する。
原曲の「暗喩」をリヒテルはすべて見切っているかのように深く弾き込んでいる。凝縮感、緊張感、そして正確に打ち下ろされるハンマーの如き打鍵の力に圧倒される演奏。
→ Classical Piano Giants にて聴取
セルゲイ・プロコフィエフ
1932年の録音のプロコフィエフ自身のピアノ演奏による協奏曲第3番。あまりに古い音源なのでまったく期待しないでCDを回したが、これが意外なくらいクリアな音。もちろん難はある。収録の関係でオーケストラの音が前面にでて、ピアノが埋没しがちだが、しかし、そこを補正して聴けば、ピアノのサウンドが生真面目で、けっして過度な打鍵を誇るものではないことがわかる。総じて端正な演奏の自作自演である。
以下は1935年に収録されたピアノ曲集について一言コメント。
「ガヴォット」(交響曲第5番より)は教則本のような規則正しい演奏。「アンダンテ・アッサイ」(ピアノ・ソナタ第4番より)、『年とった祖母のお話』より「アンダンティーノ」op.31-2の2曲では、表情たっぷりの叙情的な一面もみせる。「アンダンテ・アッサイ」op.31-3、「ガヴォット」 op.32-3の2曲では、独特の弾けるようなリズム感が新鮮である。
時代が下って、「練習曲」 op.52-3は高い鍵がより強調され、「田園風ソナティナ」 op.59-3、「風景」 op.59-2の2曲では、不協和音の使用も多く複雑な心象風景を描いている。
『束の間の幻影』op.22は、9,3,17,18,11,10,16,6,5の9曲がこの順で取り上げられている。さまざまな表情が顔をだすが、プロコフィエフ自身、ある意味、余裕をもって楽しんで弾いているような場面を感じる。最後は、「悪魔的暗示」 op4-4、最初期の作品ながら才気煥発な迸りがある。
→ Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric にて聴取
Sergej Prokofiew - Chaming Eccentric
・第1番『古典』フリッチャイ/ベルリンRIAS交響楽団(1954年)
・第5番 マルティノン/パリ音楽院管(1957年)・第7番 オーマンディ/フィラデルフィア管(1953年)
・バレエ音楽『道化師』ジュスキント/ロンドン響(1959年)
・バレエ音楽『ロメオとジュリエット』抜粋 同上。
・『ピーターと狼』(英語版)ジョン・ギールグッド(ナレーター)ヴィヴィアン・トルーン(ピアノ)、ロデリック・エルムス(ピアノ) アンドレア・リカータ/ロイヤル・フィル(1994年)
・カンタータ『アレクサンドル・ネフスキー』イレーネ・コンパネツ(アルト)、ロジンスキー/ローマRAI響(1958年)
【協奏曲】
・ヴァイオリン協奏曲第1番 オイストラフ、マタチッチ/ロンドン響(1954年)
・ヴァイオリン協奏曲第2番 オイストラフ、ガリエラ/フィルハーモニア管(1958年)
・ピアノ協奏曲第1番 リヒテル、アンチェル/プラハ響(1954年)
・ピアノ協奏曲第3番 カッチェン、アンセルメ/スイス・ロマンド管(1952年)
・ピアノ協奏曲第3番 セルゲイ・プロコフィエフ(ピアノ)、ピエロ・コッポラ/ロンドン響(1932年)
【器楽曲】
・ピアノ・ソナタ第7番 グルダ(1950年)
・ピアノ小品集:ガヴォット(交響曲第5番より)、アンダンテ・アッサイ(ピアノ・ソナタ第4番より)、『年とった祖母のお話』より「アンダンティーノ」、「アンダンテ・アッサイ」、ガヴォット op.32-3、練習曲 op.52-3、田園風ソナティナ op.59-3、風景 op.59-2、つかの間の幻影(抜粋)、悪魔的暗示 op4-4
セルゲイ・プロコフィエフ(ピアノ)(1935年)
・フルート・ソナタ ニ長調 ランパル、アルフレート・ホレチェク(ピアノ)
(1955年)
・チェロ・ソナタ ハ長調 アンドレ・ナヴァラ(チェロ)、アルフレート・ホレチェク(ピアノ)(1958年)
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