ベイヌムはブリテン:春の交響曲を1949年初演した。また、ブリテンの代表作歌劇『ピーター・グライムズ』
から 4つの海の間奏曲は2度の録音を行っている。一方、フランスものでは、前任メンゲンベルクの取り上げたドビュシー、ラヴェル、フランク、ベルリオーズなどでレパートリーを増やし、さらに深掘りしつつ、この時代、得がたき成果を残している。いまから振り返ってもその先駆性は高く評価されるべきであろう。
第二次大戦前後の激動の時代、「音楽と政治」はいまでは考えられないくらい大きな問題性をはらんでいた。よく、フルトヴェングラーやカラヤンがその象徴として語られるが、ベイヌムの前任者、メンゲンベルクの晩年もその例にもれない。戦後、ナチスへの協力者のレッテルを貼られたメンゲンベルクは完全にパージされスイスへ隠遁しその後80才で逝去した。ゆえに、1945年以降オランダではベイヌムの肩にずしりと重荷がかかることになる。
ウィレム・メンゲルベルク/ウィレム・メンゲルベルクの芸術 with コンセルトヘボウ管弦楽団 (tower.jp)
イギリス、フランスの作曲家の取り上げに、当時の故国の政治状況からの影響を指摘することにはあくまでも慎重であるべきとは思うが、ベイヌム/コンセルトヘボウが前任者の“ドイツ・シフト”とは別の路線を歩み、結果的に、主要国への“文化特使”的な貢献をしたことは事実である。
さらに言えば、ベイヌムは晩年、ロンドン・フィルの首席指揮者やロサンゼルス・フィルの終身指揮者を務める一方、ハードスケジュールのなかで旺盛な録音を行ったことは、彼の心臓には過度な負担となったことだろう。1959年4月、アムステルダムでブラームスの交響曲第1番のリハーサルの最中、心臓発作で倒れ、帰らぬ人となったベイヌムは、いまでいえば過労による労災適用事例であったかもしれない。
音楽的にみて、ブリテンやドビュッシーなどフランス音楽におけるベイヌムのアプローチは一定していて、各国固有の民族主義的な要素よりも、純音楽的にみて楽想の新鮮さや各楽器のもつ特性を最大限引き出すことに注力しているように思う。メンゲンベルクが鍛え上げ、自らがその後磨きをかけた名器コンセルトヘボウの実力を世に知らしめることこそ、ベイヌムの使命であった。1946年に英Deccaにはじめての録音を行うが、その充実ぶり(そして、録音もこの時代としては優秀)は特筆すべきものである。そして終焉まで一貫してその姿勢はかわることがなかった。
織工Ⅲ 拾遺集 ベイヌムの芸術19 ブリテン:春の交響曲/4つの海の間奏曲/青少年のための管弦楽入門 (fc2.com)
【ブリテン】
・春の交響曲 作品44
ヨー・ヴィンセント(ソプラノ)、キャスリーン・フェリアー(アルト)、ピーター・ピアーズ(テノール)ロッテルダム少年合唱団、オランダ放送合唱団 1949年7月9日ライヴ
・歌劇 『ピーター・グライムズ』 から 4つの海の間奏曲 1953年9月
・青少年のための管弦楽入門 1953年9月
エドゥアルト・ファン・ベイヌム/ブリテン:春の交響曲/4つの海の間奏曲/青少年のための管弦楽入門 (tower.jp)
ブリテン 「春の交響曲」 作品44 | クラシックばっか 時空間 (ameblo.jp)
<1946年のベイヌムの主要録音>
・ベルリオーズ:幻想交響曲 録音:1946年9月
・同:「ファウストの劫罰」より+「トロイ人」~トロイ人の行進曲
録音:1946年3月(recorded at Walthamstow Assembly Hall, London)
・ラヴェル:スペイン狂詩曲 録音:1946年9月
・フランク:交響詩「プシシェ」より 録音:1946年9月
・ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」 録音:1946年9月11日
・チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ 録音:1946年9月
・ワーグナー:歌劇「タンホイザー」~序曲とバッカナール 録音:1946年9月
・メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」より 録音:1946年9月
・シューベルト:交響曲第5番 録音:1946年9月
・ベートーヴェン:レオノーレ序曲第2番
録音:1946年3月(recorded at Walthamstow Assembly Hall, London)
ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団 ディスクレビュー■ PART 2. 1941-1953 (POLYDOR~DECCA)■An die MusikクラシックCD試聴記
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