月曜日, 12月 06, 2021

ギレリスとリヒテル


 

























はじめに、Deutsche Grammophon: The Originals - Legendary Recordings 2014を見てみよう。この時点でのDeutsche Grammophon(DG)の選りすぐりの全50枚の曲集である。


ここでのピアノ部門をフォーカスする。DGが誇る当代一流ピアノの名手たちの録音は以下のとおりである。ある程度、全体俯瞰のなかで両巨頭の位置を確かめる一助には好適だろう。

―ピアニストの競演―

【ヴィルヘルム・ケンプ(P)】
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番、第5番『皇帝』/ライトナー&ベルリン・フィル(1961年)
・同ピアノ・ソナタ:『月光』『悲愴』『ワルトシュタイン』『熱情』、第8番、第14番、第21番、第23番1964、1965年)
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Wilhelm Kempff Complete Solo Repertoire

【リヒテル(P)】
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/ヴィスロツキ&ワルシャワ・フィル(1959年)
・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/カラヤン&ウィーン交響楽団(1962年)
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リヒテルの衝撃、カラヤンの存在感 (amazon.co.jp)


【エミール・ギレリス(P)】
・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番、第2番/ヨッフム&ベルリン・フィル(1972年)
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達意のプロ同士、最高の仕事 (amazon.co.jp)

・同:幻想曲集Op.116(1975年)
・グリーグ:叙情小品集(1974年)


【ゲザ・アンダ(P&指揮)】
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、第21番、第26番
 ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(1961、1962年)

【マルタ・アルゲリッチ(P)】
・ショパン:ピアノ協奏曲第1番
・リスト:ピアノ協奏曲第1番/アバド&ロンドン交響楽団(1968年)
・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
・ラヴェル:ピアノ協奏曲/アバド&ベルリン・フィル(1967年)
・ラヴェル:『夜のガスパール』(1974年)
・ショパン:スケルツォ第3番、ブラームス:『2つのラプソディー』、プロコフィエフ:トッカータ ハ長調、ラヴェル:『水の戯れ』、ショパン:『舟歌』、リスト:『ハンガリー狂詩曲』第6番、リスト:ピアノ・ソナタロ短調(1960、1971年)
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Martha Argerich: The Collection 1: The Solo Recordings

【ポリーニ(P)】
・ショパン:12の練習曲 op.10、12の練習曲 op.25(1972年)
・同:ポロネーズ第1番〜第7番(1975年)
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Pollini Edition (Bonus CD)

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リヒテルは本国ロシアもの、ギレリスはドイツ系とグリーグとDGのなかで見事に棲み分けがなされている。他レーベルを含め協奏曲に注目するとどうだろう。冷戦下、早くから”西側”で活躍したギレリスには以下の金字塔ともいえる録音がある。

👉 硬質な叙情性  ギレリスならではの魅力 (amazon.co.jp)

【協奏曲】
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
(1)ライナー/シカゴ響(1955年10月29日)
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Tchaikovsky:Piano Concerto No1
(2)メータ/ニューヨーク・フィル(1979年11月14日、ライヴ)
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、ライナー/シカゴ響(1958年2月8日)
ショパン:ピアノ協奏曲第1番、オーマンディ/フィラデルフィア管(1964年12月31日)
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ショパン:ピアノ協奏曲第1番 他

ギレリスはこれに加えて、セル/クリーヴランド管とのベートーヴェンの協奏曲全集がある。→ セル、晩年の歴史的成果 (amazon.co.jp)

ライナー、オーマンディ、セルといった全米制覇のハンガリアン・ファミリーを総なめ、加えて、メータ/ニューヨーク・フィルまで加えた強力布陣である。

ギレリスは米国で、遅れてリヒテルは欧州で活躍した。リヒテルが米国に行きにくかったのは、彼の飛行機嫌いも影響しているのかも知れないが、リヒテルの活躍も眩いものがある。

👉 リヒテルー協奏曲集にみる絢爛、豪華な陣容 (amazon.co.jp)

<収録情報>
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482(1979年)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37(1977年)、ムーティ(指揮)フィルハーモニー
・ベートーヴェン:三重協奏曲ハ長調Op.56、オイストラフ(ヴァイオリン)、ロストロポーヴィチ(チェロ)、カラヤン(指揮)ベルリン・フィル(1969年)
・ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.83、マゼール(指揮)パリ管弦楽団(1969年)
・ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲ト短調Op.33、クライバー(指揮)バイエルン国立管弦楽団(1976年)・バルトーク:ピアノ協奏曲第2番Sz.83、マゼール(指揮)パリ管弦楽団(1969年)

・グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調Op.16、シューマン:ピアノ協奏曲イ短調Op.54、マタチッチ(指揮)モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団(1974年)
・プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第5番ト長調Op.55、マゼール(指揮)ロンドン交響楽団(1970年)・ベルク:室内協奏曲※、ユーリ・ニコライエフスキー(指揮)モスクワ音楽院器楽アンサンブル(1977年)

カラヤン、クライバー、マゼール、マタチッチ、ムーティと盤石の共演者である。チャイコフスキーやブラームスなど一部は重なるものもあるが、概ね両者は曲目でも見事に棲み分けされていることがわかる。しかし、いまとなっては夢物語だが、リヒテルのベートーヴェン協奏曲全集やギレリスのグリーグ&シューマンのピアノ協奏曲を、”西側”の一流オケで残してほしかったとも思う。

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次に、室内楽について見ると、ここにも特徴的なところがある。

👉 織工Ⅲ 拾遺集 ギレリスの芸術26  協奏曲、管弦楽および室内楽 (fc2.com)

ギレリスは、ヴァイオリンでは、エリザヴェータ・ギレリスやレオニード・コーガンとの共演が多い(サンプルとして以下を参照)。 エミール・ギレリスの妹、エリザヴェータ・ギレリスは、レオニード・コーガンに嫁いだので、ギレリスとコーガンは義兄弟。コーガンの経歴からして、早熟の天才として十代で颯爽とデビューし若くしてエリザベート王妃国際音楽コンクールを制した点でも、ギレリスと似ている。一方、リヒテルは、これも若き天才といわれたオレグ・カガン(199043才で逝去)やオイストラフとの共演が多い。

ギレリスの室内楽音源(一部)

・キュイ:ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 Op.84

・ヴィヴァルディ:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 RV31

・モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ハ長調 K296

・モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第35番 イ長調 K526

・ハイドン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 Hob.XV:32

以上、エリザヴェータ・ギレリス(ヴァイオリン) 1951年 

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・アリャビエフ:ピアノ三重奏曲 イ短調(1820) ドミトリー・ツィガーノフ(ヴァイオリン) セルゲイ・シリンスキー(チェロ) 1947

・アリャビエフ:ヴァイオリン・ソナタ ホ短調(1834) ドミトリー・ツィガーノフ(ヴァイオリン) 1950

・ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO38 1950

・ボロディン:ピアノ三重奏曲 ニ長調(1861) ドミトリー・ツィガーノフ(ヴァイオリン) 1950

・モーツァルト:ピアノ三重奏曲(ディヴェルティメント) 変ロ長調 K254 1952

・フォーレ:ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.15 1958

レオニード・コーガン(ヴァイオリン) ルドルフ・バルシャイ(ヴィオラ) ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)

孤独癖といわれ、1日7時間は練習に明け暮れたといわれるリヒテルだが、オイストラフの伴奏はしっかりと務めている。

👉 織工Ⅲ 拾遺集 オイストラフ (fc2.com)

👉 ロシアものは、いまも最上等な演奏記録 (amazon.co.jp)

👉 オイストラフ&リヒテル 馥郁たる名演 (amazon.co.jp)

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ギレリスは、ときに大衆路線というべきか、クラシック音楽の普及にも熱心で、コンサートでも聴衆を飽きさせない濃やかな工夫もほどこしている。小曲をまとめて楽しく聴かせるプロムナードコンサート型と本格的な真剣勝負の夕べを別けているようなところもある。彼のライヴ集のプログラム・ビルディングを見るとそれがわかるし、ときに大衆受けを狙ったようなフランス・ロシア拾遺集なども持ち駒としていた(けっして、否定的な意味ではない。高踏的に“大家”然としているよりも余程よいと思う)。

👉 織工Ⅲ 拾遺集 ギレリスの芸術25   1935年以降の初期音源 (fc2.com)

👉 織工Ⅲ 拾遺集 ギレリスの芸術24   1950年代のライヴ音源 (fc2.com)

👉 織工Ⅲ 拾遺集 ギレリスの芸術23   1960年代のライヴ音源 (fc2.com)

👉 織工Ⅲ 拾遺集 ギレリスの芸術22   1970~80年代のライヴ音源 (fc2.com)

一方、リヒテルはもっと求道者的なスタンスのように見受けられる。バッハ、ベートーヴェン、プロコフィエフなど、己が芸術の、そのときその時の“発露”に賭けているような感じがある。キャンセルが多く、曲目変更も間々あったようだが、“気分屋”というよりは、厳しいベスト・エフォート主義者とみるべきか。それが許されるだけの権威(権利)となによりも抜群の実績があったからだろう。

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(備考)

4人の関係

オイストラフは1908年にオデッサ生まれ。リヒテルは1915年ウクライナに生まれ幼いころに一家でオデッサに移住。ギレリスは1916年オデッサのユダヤ人の家庭に生まれ。コーガンは1924年ウクライナ生まれ。オイストラフ、ギレリス、コーガンともにユダヤ系、一方、リヒテルはドイツ系。

オイストラフは1935年に第2回全ソビエトコンクールで優勝、同年の第2回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで第2位に入賞。さらに2年後の1937年、ブリュッセルのウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝。

ギレリスは1931年、アルトゥール・ルービンシュタインに認められ、193317才第1回全ソ連ピアノコンクールに優勝。1936年にはウィーン国際コンクールで第2位、1938年にブリュッセルで行われたイザイ国際コンクールで優勝。

コーガンも10代から天才として知られたが、戦中戦後をはさみ、1951年、ブリュッセルのエリザベート王妃国際音楽コンクールにおいて優勝しイザイ・メダルを受賞。最後にリヒテルは、1945年に30才で全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で優勝。しかし、“西側”へのデビューは遅れ、1958225日、ブルガリアのソフィアでライヴの録音が広く知られる契機となった。

オイストラフとコーガンは一回り、年が違うが、ギレリスとリヒテルは同年代で、モスクワ音楽院ネイガウス門下として、リヒテルはギレリスの2年後輩。

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