皆、怖い、いかつい顔で、魔法使いの生まれかわりのような感じの指揮者(失礼)!
◇マルケヴィッチ
◇アンセルメ
◇フレモ―
◇チェリビダッケ
◇フリッチャイ
最近、フリッチャイでは、初期モーツァルト The Mozart Radio Broadcasts を聴いて、すっかりその正攻法のアプローチに感心したが、本集は、それとは別のテイストの小品集。
マルケヴィッチが名演を紡いだラムルー管との2曲、ローマの謝肉祭と魔法使いの弟子を聴く(1952年モノラル)。
軽妙にして、表情豊か。オーケストラを縦横に操舵しつつ、自らの求める音楽のイメージをしっかりと打ち出している。たとえば、魔法使いの弟子では、いくぶんファナティック(過激)でありながら、ファンタスティック(夢想的)さもそこに充溢する。この異質と思える要素が、彼の棒にかかると見事にブレンドされて聴こえるから不思議だ。その“意外性”は、さまざまな曲で、形をかえて展開するが、他では味わえないトリッキーさこそ、フリッチャイの天賦の芸術的な魅力だろう。
マルケヴィッチが名演を紡いだラムルー管との2曲、ローマの謝肉祭と魔法使いの弟子を聴く(1952年モノラル)。
軽妙にして、表情豊か。オーケストラを縦横に操舵しつつ、自らの求める音楽のイメージをしっかりと打ち出している。たとえば、魔法使いの弟子では、いくぶんファナティック(過激)でありながら、ファンタスティック(夢想的)さもそこに充溢する。この異質と思える要素が、彼の棒にかかると見事にブレンドされて聴こえるから不思議だ。その“意外性”は、さまざまな曲で、形をかえて展開するが、他では味わえないトリッキーさこそ、フリッチャイの天賦の芸術的な魅力だろう。
(参考)
別の2つのテーストから
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