難曲のマーラーの第3シンフォニー、都響はとても良い演奏であったと思うし、清水華澄さんの独唱も落ち着いていて、表情豊かで好感をもった。合唱の巧さはいつもどおり。その響きには統一感と潤いがある。合唱指揮者のご苦労にもエールを贈りたい。
都響は”ふだん”のN響よりも、はるかに緊張感と意欲をもった臨場で、ソディの明解な曲づくりとよく呼応し、勝負どころの第1楽章の吹奏楽の目いっぱいの競演も無難にこなしていた。
全6楽章のメリハリの付け方の巧さは、オペラ指揮者として十分な経験をふんだソディならではと思わせた。第1楽章:打楽器と吹奏楽のお披露目、第2楽章:弦楽器によるメローディアスな艶やかさの表出、第3楽章:両者の特質をいかした管弦楽の融合感、第4楽章:声楽(メゾ・ソプラノ)を加えたさらなる音楽的な結合、第5楽章:以上に合唱を付加したマーラーの独自世界への展開、終楽章:のちの第9番の終楽章を連想させる爛熟した交響楽への昇華への試み…といった解釈を感じながら聴き終えた。ソディという逸材を知ることができた貴重な機会となった。
ソディ&都響、是非ディスクを世に問うてほしい。米国動向との比較において、日本でもこうした取り組みが行われていることに心から敬意を表したい。
(参考1)
Amazon | メシアン: トゥーランガリラ交響曲 | アレクサンダー・ソディ, マンハイム国立劇場管弦楽団
(参考2)
織工Ⅲ: アメリカ 5大オケ 名盤探訪 総括 (shokkou3.blogspot.com)
(参考3)
織工Ⅲ: 東京 春の音楽祭 2022 ローエングリンを聴く Wagner: Lohengrin (shokkou3.blogspot.com)
織工Ⅲ: もうすぐ 東京・春・音楽祭 -東京のオペラの森 2015- (shokkou3.blogspot.com)
織工Ⅲ: 東京春の音楽祭 マイスタージンガー (shokkou3.blogspot.com)
織工Ⅲ: 上野でタンホイザーを聴く 東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2012- (shokkou3.blogspot.com)
【以下は引用】
東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.9
マーラー《交響曲第3番》
プログラム詳細
日時・会場
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:アレクサンダー・ソディ
メゾ・ソプラノ:清水華澄
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
児童合唱:東京少年少女合唱隊
合唱指揮:田中祐子※、仲田淳也
児童合唱指揮:長谷川久恵
マーラー:交響曲 第3番
6つの楽章からなり、演奏に100分近くを要するマーラー最長の交響曲。作曲時、ハンブルクの歌劇場で指揮者を務めていたマーラーは、信仰に関する問題で悩んでいた。ウィーンへの進出を強く願っていた作曲家は、カトリックの都でポストを得るために、ユダヤ教からの改宗を迫られていたのだ。マーラーは当時、ドストエフスキー、ショーペンハウアー、ニーチェらの著作を耽読していた。特に、“神は死せり”の警句や、“永劫回帰”を打ち出したことで知られるニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』は、生の絶対的肯定、言い換えると、キリスト教的ドグマ(教理)からの解放を謳っており、マーラーは生や自然を讃歌するそうした新たな世界観に強く惹かれていた。
第1楽章は8本のホルンによる豪壮なユニゾンで始まる。この旋律は、ブラームスの交響曲第1番の終楽章との類似が指摘されてきた。ワーグナー派とブラームス派が確執を続けるウィーンにあって、マーラーは一方の領袖ブラームス本人にポスト獲得への援助を仰いだ。この冒頭部分を“牧神パンの目覚め”と作曲家は称しており、恩人ブラームスへのリスペクトを感じさせる。序奏の後、暗澹たる雰囲気の中で警告のラッパが鋭く吹き鳴らされる。やがて闇を打ち破るかのように、抒情的な旋律をともなった快活なマーチが沸き上がる。生命の夏を象徴するバッカス神(デュオニソスのローマ神話版)の行進だ。人間の王たちを暗喩するトランペット群に対して、唯一神(キリスト教の神)を象徴するトロンボーンがソロで思慮深い旋律を奏でる。しかし軽快かつ勇壮に行進するバッカス神は圧倒的だ。そして牧神はふたたび目覚め、闇が覆い、唯一神が語り、また諧謔的なマーチが始まる。まさに永劫回帰の音楽的表現と言えよう。
「緩−急」が繰り返されるメヌエットの第2楽章は、ブルックナーからの影響が顕著とされる。だが、この執拗な繰り返しもまた、永劫回帰を象徴する手法と考えられる。
第3楽章はスケルツォ。歌曲「夏に交代」(《若き日の歌》)をもとにした音楽は、ナイチンゲールとカッコウが歌い交わす。騒々しいほどに夏の生を謳歌する鳥獣たち。そこにポストホルンのしめやかな歌が挿入される。歌曲「美しいトランペットが鳴り響くところ」(《子供の不思議な角笛》)は、戦死者の幽霊が恋人のもとを訪れる夜を描く。死者は“いまや緑の大地こそが我が家”と告げる。音楽は突然、交響曲第2番《復活》からの引用を雄々しく奏で、圧倒的な高揚感で終わる。
第4楽章はアルト独唱により『ツァラトゥストラ』の章句が歌われる。それは“快楽は深き永遠を欲すのだ!”という、後年の《大地の歌》のエンディング「永遠に、永遠に・・・」を先取りした、これまた永劫回帰への憧憬である。
第5楽章はアルト独唱と女声合唱、少年合唱が「三人の天使が優しい歌をうたっていた」(《子供の不思議な角笛》)を高らかに唱和する。「ビム、バム」と少年たちが教会の鐘の音を模して歌う姿は微笑ましいが、作曲家は「生意気に」との指示を与えている。これは、キリスト教的な救いをシニカルに歌うことで、それを皮肉っているともとれる。(ちなみに、ここで引かれている「三人の天使~」の原詩の題名は「哀れな子供の乞食の歌」である)。
第6楽章はバッカスの快活な行進とは対照的に、踏みしめるようなテンポで進む、永遠のレント。うねるような弦楽器の響きに全てが浄化されていく。この楽章を覆うニ長調の“D”は Domine、すなわちキリスト教の唯一神を暗示しているという説もあるが、この交響曲に限っては、Dionysos(デュオニソス)の D では? さて、音楽は長いクレシェンドを経て、ティンパニーの C 音と D 音の連打で歩みを終える(R.シュトラウスは交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》の冒頭で自然音とされる C と G を連打させた)。マーラーはこの第6楽章のあと、さらにアルト独唱による楽章を据えることを考えていた。しかし結局、その楽章は次作、交響曲第4番の終楽章(「天上の生活」)に転用された。やはりこの曲は、圧倒的なニ長調と自然音の連打で終わらなければならなかったのだろう。
マーラー《交響曲第3番》 | 東京・春・音楽祭 (tokyo-harusai.com)
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