アメリカ5大オケといった言い方自体、とうの昔にお払い箱なのかも知れない。民事再生の更生手続きに踏み切ったフィラデルフィア管、近年、活動が停滞しているニューヨーク・フィルなどの凋落組がある一方、その間、GAFAの拠点、西海岸に立地するロサンゼルス・フィル、サンフランシスコ響などの台頭組があり、5大オケといった旧“ブランド化”だけには頼れない競争と群雄割拠が日々続いている。
(参考)
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さて、歴史的なハンガリアン・ファミリーの貢献については、繰り返し述べてきた。
ライナー、ショルティ、セル、ドホナーニ、そしてオーマンディらはいずれもハンガリー出身ないし強い縁のある卓抜なオーケストラ・ビルダーであった。また、ハンガリアン・ファミリー外のボストン響の場合でも、ミュンシュ、小澤征爾、アンドリス・ネルソンス(ラトビア)と指揮者に対する国籍にとらわれないオープンなスタンスは天晴れである。ハンガリアン・ファミリーの時代を黄金期第1世代とすれば、数代をへたいまのシェフでは、その多様性がさらにいっそう増していることに気づく。
現在のシェフをみると、ニューヨーク・フィル(スヴェーデン)、シカゴ響(ムーティ)、ボストン響(ネルソンス)、クリーヴランド管(ウェルザー=メスト)、フィラデルフィア管(ネゼ=セガン)にくわえて、サンフランシスコ響(エサ=ペッカ・サロネン)、ロサンジェルス・フィル(ドゥダメル)と大家から中堅どころまで当代一流の指揮者が名を連ねている。
また、いにしえのアメリカ5大オケの成果(トラックレコード)でみても、その生産性の高さに驚く。厖大なディスコグラフィを残したことに加えて、いまも一定程度、現役盤を維持しているのは、なによりも粗製濫造ではなく質量ともに充実した活動を行ってきたことの証しだろう。
しかも黄金期第1世代の指揮者にはそれぞれ個性があった。まずは、全員がプロとしてなんでもこなすオールラウンダーであることは前提ながら、ライナーのR.シュトラウス、ショルティのバルトーク、セルのモーツァルトやハイドン、ドホナーニのブルックナー、ミュンシュのベルリオーズ、小澤のオルフ、オーマンディのショスタコーヴィチ、そしてミトロプーロスやバーンスタインのマーラーなどいまも燦然とかがやくものだ。
さて、日本のオーケストラを考えると彼我の差は明らかである。島国日本はいまだ国内閉鎖、N響上がりの双六社会に見えてしまう。文化的な歴史、伝統、市民の素養の違いといった言い訳もすぐに聞こえてきそうだが、そう言っているうちに遠からず中国各都市はアメリカ化し日本は埋没するような気がする。日本は大家になった老指揮者の招聘ばかりでなく、国籍を問わず、アジア、南米諸国をふくめ思い切って若手の俊英を抜擢し、一意専心、最低10年はシェフとしてこれに仕え、育て、全力でお互い高みを目指すような気概が必要なことをアメリカ主要オケは示唆している。そして、企業、地域がこれを支えるように働きかける努力もいっそう大事だろう。そのためには、まずはなによりも世界に通用する名演、名盤を一つでも多く供給することしかない。東京がだめなら、大阪で、札幌で、金沢で、群馬ほかで・・・地方オケも大いに頑張っていただきたいと思う。その芽吹きに大いに期待したい。
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