ラヴェルの管弦楽曲。さまざまな名演がある。たとえば、ミュンシュの「ラ・ヴァルス」、この迷うことなき直情的な解釈と音楽の迫力には圧倒される。いかにもミュンシュらしい思い切りの良さである。
一方で、作曲家として緻密な分析とその結果、管と弦を完全融合させるような独自のラヴェルを紡いでみせたのがブーレーズである。ミュンシュとは明らかに別のアプローチである。
この中間にはいくつものヴァリエーションがある。あえて、ミュンシュ型とでも呼べば、モントゥーやアンセルメがこれに近いように思う。
👉 アンセルメ
一方、ブーレーズとは少し異質ながらも、分析型という括りからは、マルケヴィッチやシノーポリがいる。シノーポリの「ボレロ」の解像力などは抜群である。ところで、前者については、後者を聴いたあとでは、肌理の粗さを感じてしまうことがあり、他方、前者の天晴れな感覚をよしとすると後者は迫力不足に思えてしまう難もある。人それぞれ、曲の感じ方それぞれである。
👉 マルケヴィッチ
そうした意味で中間に位置して、双方の良さを兼ね備えているように思うのがマルティノンやデュトワである。それはクリュイタンスにも通じる最良の品位とともにある。
👉 マルティノン
その品位をフランス的と表現してよいかどうかはわからないが、中間に位置しコスモポリタン的な立派な演奏(平たく言えば万人受けする)という意味では、カラヤンとオーマンディは、情感がありオーケストラの妙技が冴えるという点、双方ともに秀でていると思う。
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