月曜日, 10月 04, 2021

マリア・カラスと名指揮者 Maria Callas


 








カラスの全盛期(195257年)の録音をランダムに聴いている。スカラ座で収録されたものだ。👉  カラス、初動期の実力を知ることができる廉価盤

ここでは、指揮者との関係を少しメモしておきたい。この限られた期間に、当時の大物指揮者を招聘できたのは、なによりもカラスの実力によるものだ。また、カラスとともに一流の歌手がスカラ座に集っていたことも大きい。相手役の男声について、テノールでは、ジュゼッペ・ディ・ステファノを筆頭に、レナート・エルコラーニ、レナート・ガヴァリーニ、リチャード・タッカー、ニコライ・ゲッダらがいた。バリトンでは、ティート・ゴッビにくわえて、ローランド・パネライ、エンツォ・ジョルダーノ、エットーレ・バスティアニーニらがいた。バスでは、ニコラ・ザッカーリア、ニコラ・ロッシ=レメーニ、プリニオ・クラバッシ、カルロ・フォルテなど錚々たる芸達者がいた。

👉 共演者たち カラス全盛期、そしてスカラ座黄金期の記録

指揮者にとって、オペラではなによりも共演者の歌手の質がもっとも重要なファクターである。盤石の陣容があってはじめて良き作品を残すことが可能となる。カラスは総譜を読み作品を研究し、ピアノを弾いて自らのパートを磨き上げるだけではなく、オケの練習にも臨場し指揮者の指示を確認していたという。指揮者に自分の意見をはっきりと言い、共演者との打ち合わせも周到であった。練習魔、完璧主義者ともいわれたが、妥協はしなかった。指揮者にとっても共演者にとっても常に強い緊張感をしいる存在であったと伝えられる。

👉 カラスの実力 歴史を塗りかえたディーヴァの記録

第二次大戦の敗戦国で復興途上にあったイタリア・ミラノ。復興のシンボルがイタリアオペラの殿堂、スカラ座であった。そこにニューヨーク生まれのギリシア人歌手が「降臨」してきた。その才能をいちはやく見抜き、これを育て上げたのは、トスカニーニの弟子、セラフィンであった。カラス&セラフィンの組み合わせこそ、多くの名演を生むまぎれもない最良の苗田だった(下記リスト★)。

👉 セラフィン カラス&セラフィンのアイーダ 1955年盤

一方、カラヤン、バーンスタイン、ジュリーニを招聘できたのは時代も幸いした。フルトヴェングラーは195411月に急逝し、思いがけなくも翌年カラヤンはベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任する。これ以前に幸いスカラ座はカラヤンとの関係を築いていた。バーンスタインがニューヨーク・フィルの音楽監督に就任するのは1958年である。バーンスタインのオペラ指揮を所望したのはカラス自身であり、彼女が躊躇するバーンスタインを電話で直接説得したとされる。しかし、バーンスタインはすでにオーケストラ指揮者としては約3年前にスカラ座に登壇していた。また、ジュリーニは折良く1953年、ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任(ただし1956年に辞任)していた。

そして、忘れてはならないのは、指揮者として引退直前のサーバタがいた。まず、サーバタでは、『マクベス』(1952L、『トスカ』(1953S)を、カラヤンでは、『ランメルモールのルチア』(1955年L)、『蝶々夫人』(1955S)、『トロヴァトーレ』(1956Sを、バーンスタインでは、『メデア』(1953L、『夢遊病の女』(1955L)を、そしてジュリーニでは、『アルチェステ』(1954L)、『椿姫』(1955Lをカラス最盛期に全曲録音することができた。

👉 サーバタ カラス 内的独自に満ちたマクベス夫人

👉 カラヤン “カラス・シンドローム”としてのトロヴァトーレ

👉 バーンスタイン 『メデア』 カラス&バーンスタインの初顔合わせ

👉 ジュリーニ カラスのヴィオレッタ、高級娼婦としての鮮烈なイメージ

これは記念碑な録音といってよいものだが、カラヤンともカラスとも専属契約を結んでいた音楽プロデューサー、ウォルター・レッグの陰の貢献も大きい(シュワルツコップの夫君。カラス&セラフィン/フィルハーモニア管での名曲集などもある)。

カラスとの共演は、その後のカラヤンやバーンスタインにとって大きな影響をあたえた。カラヤンはフルトヴェングラーの跡目をつぐとともに、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルと多くのオペラ録音を残すが、指揮者と対等以上の存在感を要求するカラスのような強烈な個性をもったソプラノは本来の“カラヤン美学”からはあまり好みではなかったようだ。バーンスタインはむしろカラスを通じてイタリアオペラに目覚め、それは作曲家として、後年の彼の声楽作品に隠然たる影響を与えているだろう。 

👉 オペラはいいな 9 カラス(callas)とカラヤン(karajan)

👉 今日は バーンスタイン!

(参考)カラスの驚異的な録音記録

1952年】

『アルミーダ』全曲★(1952L)、

『マクベス』全曲/サーバタ1952L

1953年】 

『ランメルモールのルチア』全曲★(1953S

『カヴァレリア・ルスティカーナ』全曲★(1953S) 

『清教徒』全曲★(1953S

『トスカ』全曲/サーバタ1953S

『メデア(メディア)』全曲/バーンスタイン1953L

1954年】 

『ノルマ』全曲★(1954S

『道化師』全曲★(1954S

『運命の力』全曲★(1954S

『イタリアのトルコ人』全曲(1954S

『ヴェスタの巫女』全曲(1954L

『アルチェステ』全曲/ジュリーニ1954L

1955年】

『蝶々夫人』全曲/カラヤン1955S

『アイーダ』全曲★(1955S

『リゴレット』全曲★(1955S

『椿姫』全曲/ジュリーニ1955L

『夢遊病の女』全曲/バーンスタイン1955L

1956年】 

『ボエーム』全曲(1956S

『仮面舞踏会』全曲(1956S

『トロヴァトーレ』全曲/カラヤン1956S

1957年】 

『マノン・レスコー』全曲★(1957S

『トゥーランドット』全曲★(1957S

『セヴィリアの理髪師』全曲(1957S

『アンナ・ボレーナ』全曲(1957L

『トーリードのイフィジェニー』全曲(1957L 

<摘要>基本的にミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団による。S:セッション録音、L:ライブ録音、★はセラフィン指揮、/は他の特色ある指揮者のみを記載

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